牛久沼に立ち寄って、河童を見て、牛久大仏を見に行って、 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

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牛久沼に立ち寄って、河童を見て、牛久大仏を見に行って、

 この日は アンパンマンこと藤井智恵さんと茨城県の牛久市にある「牛久大仏」の見学に行くことにしました。アンパンマンは JR 牛久駅まで 自宅のある土浦市から 電車で行ことになりました。


 私は、車で 千葉から 東関東道路を行き、四街道インターで降りて、下道を ひたすら 北に向かって 行くことにしました。ナビで 調べると、一度 東京に入って、常磐道を行く道を 教えます。しかし 下道を北上するのも 距離的には 近いのです。三角形の一辺は 最短距離になるからであります。

 1時間半ほど 北上すると、牛久沼に出ました。

牛久沼
(うしくぬま)は茨城県龍ヶ崎市」にある、利根川 水系の「小貝川支流の「沼」であります。沼に近い「牛久市」と同じ名前ですが、全域が「龍ケ崎市」の区域内にあります。

 この牛久沼のほとりに、明治時代から昭和に掛けて生きた、「小川芋銭(おがわうせん)」と言う画家がおりました。「小川芋銭」は晩年、牛久沼のほとりの庵に住みました。


「小川芋銭」は 牛久沼に住むと言われる「河童」の絵を好んで描きました。


 私は この「小川芋銭」の晩年 住んでいた庵を訪れました。

現在は、「小川芋銭記念館」として 牛久市が管理しております。「小川芋銭記念館」は、「雲魚亭」とも呼ばれています。「雲魚亭」からは 牛久沼が 見えます。


 うなぎ丼は 牛久沼が 発祥の地であると言われるほど有名です。付近には 現在でも うなぎ料理店が多いです。


 食べては すぐ 寝て、牛になった小坊主の話があります。「食べて すぐ寝ると 牛になるよ」と、私は 子供の頃 親から言われました。この小坊主の話を 親は 私に言ったのでしょう。「牛になった小坊主」は 牛久沼が モデルになっていると言われています。その時の牛の尻尾が 近くの金龍寺に 保管されているそうです。


  「雲魚亭」の庭には 「河童の碑」がありました。河童は日本の仮想上の動物ですが、日本全国くまなく存在する伝説上の動物であります。


天狗、鬼とともに 日本三大伝説動物であります。

 さて、アンパンマンの到着時間に合わせて 私は、JR牛久駅に急ぎます。



彼女と私は ほぼ同時に 到着しました。

牛久駅の周りは そう混雑していないので、

すぐ分かりました。


では 予定通り、「牛久大仏」に参りましょう。話には 聞いていました。

「牛久大仏は とても大きいよ!」と。


「牛久大仏」は 世界で一番大きいブロンズで出来た仏像であります。全高 120m、像高100m、台座20mであります。


 アメリカニューヨーク州の「自由の女神」の3倍近くの大きさであります。
 奈良の大仏は、私は子供の頃 日本で一番大きい仏像、と教わりました。しかし「奈良の大仏」は、「牛久大仏」の手の平に乗る大きさなのです。

いかに「牛久大仏」が大きいか お分かりになるかと思います。

 私は その大きさに たまげました。しかし「牛久大仏」は 厚さ 6ミリほどのブロンズ板で作ってあるそうです。

奈良の大仏は 流し込んで 作ってあるので、厚みが違います。まあ たいていの人は、「牛久大仏」の大きさに びっくりするのではないでしょうか。


 「牛久大仏」は 1983年着手、1992年12月に 完成したそうです。「牛久浄苑」の中に、人々の魂を見守るように 高く立っております。たまげた後に、出掛けます。


 「牛久大仏」の後は、近くの「稲敷市」にある「ポティロンの森」に 遊びに行きたいと思いました。(つづく)


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