2年目
1年目のシーズンが終わって約1ヵ月後
徐々に練習を再開しました。
2年目スタート
半年くらい動いてなかった俺は徐々に練習を開始していった。
1・2ヵ月後には以前の体力までとは行かないが、
普通に動けるようにはなってきた
1年目と同様に仕事して練習して、土日に月1~2回クリニックと活動をしていった。
この年の俺はバスケができることが嬉しくてしょうがなかった
この時はまだプレーヤーとして
ラストのシーズンにはなるとは思っていなかった・・・
この年は1年目のコーチがチームを離れたためコーチがかわった。
新コーチは仕事の都合上、合流が遅くなったので、
それまではトレーナーと選手達で練習をしていた
。
コーチが合流したのは開幕1ヶ月前
合流して開幕までチーム練習を重ねいよいよ・・
待ちに待った開幕戦
アルファーズにとって2年目のシーズンの開幕
そして、
俺にとっては日本リーグデビュー戦
俺はスターティングメンバーとしてコートに立った
その日俺は19得点だったかな。
デビュー戦にしては上出来だった
しかし、チームとしては痛い開幕黒星
気持ちを切り替え次の試合・・・
開幕2連敗、3連敗・・・・
なかなか勝てない
そして、4試合目の東京海上戦。
ようやく勝利
しかし、俺はこの試合で足を負傷。(1週間まともに歩けなかった
)
それと・・・
試合後にGMに呼ばれ
「協会からストップがかかっている」
ということを告げられた。
このときの俺の気持ちは、
”医者にOKもらってやってるんだから大丈夫だろう”
”検査でも何でも指定されたところでやれば認めるでしょ”
と思っていた。
ちょうど足を怪我したので、他の選手たちには足を理由にして
このことは黙っていた。
この日から俺にとってのカウントダウンが始まったいた・・・
それからはまたベンチで応援する日々が続いた。
みんなからは、
「もう足治ってんだろ?」
「早く復帰しろよ!!」
と言われていたが、事実は言わず
「まだ、痛いから無理だ」
とか言ってごまかしていた。
ある日、
GMから呼び出しがあった。
俺はやっとできるようになるかな~
と思いながら呼び出された場所まで行った。
そこでGMが口を開いた、
「協会からは白か黒かで言ったら黒ではないけど白でもないグレーだ」
とGMが言った。
医者からOKが出ているため黒とは言い切れなかったようだ
その時俺は
”それなら俺次第でできるんだな”
そう思った瞬間
GM「黒ではないけどトレーナー、チームドクター等と話し合った結果出場させるべきではないと判断した」
といわれた。
俺はその瞬間 ”何言ってんだろ・・?”
と思った。
それでもGMは真剣に俺に説明をした。
「チームの勝利のためには出場してもらいたい、
でも、ここで認めて試合に出してもしもお前の身に何かあったとき
俺は一生後悔するだろう」
その時俺はこの現実を受け入れるしかなかった・・・
でもこのまま終わるのは俺自身納得ができない。
「最後にコートに立たせてください・・・」
俺はGMにお願いをした。
GMもそれは認めてくれた。
その時足も良くなってきていたので俺は練習を再開した。
運命の日は1月15日 後半戦の1試合目。
会場はバスケットの聖地 代々木第二体育館
その日はすぐにやってきた・・・
当日まで他の選手は俺がこの日で最後になることを知らない
そのことが告げられたのは試合前のミーティング
GMの口から他の選手に告げられる
いよいよ試合開始
俺に与えられた時間は3分
スタートは#3御手洗(当時の番号)、#7内山(このシーズンで退団)、#10谷尾、#12高岡、#21俺
同期の5人で出場。
俺は先制点を決めることが出来た。
しかし、3分は短かった・・・
すぐに交代。
後はベンチで見守るしかなかった。
試合はアルファーズ優位の試合展開。
しかし、後半になると点差がみるみる縮まっていく・・・
緊迫したシーソーゲーム
残り1分・・・
30秒・・・
10秒・・・
この時点で1点負けている。
このまま終わってしまうかと思われた残り1秒
#12高岡がシュートを放つ
1点差で3Pシュート!?
しかし、その手から放たれたボールはリングに吸い込まれ
ブザービーター!!!!!!
逆転勝利。
ブザーがなった瞬間、俺の目からは汗が・・・
そして俺の日本リーグの選手生活に幕を閉じた。
この年もプレイオフ争いをしてきたが、
最終戦で負けてしまい自力進出は出来ない状況に。
争っていた相手チームの試合結果次第だったが、
最後の試合で相手が勝ったためこの年もプレイオフには行けず
2年目シーズンは幕を閉じた