2046/男の視点/女の視点

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 『2046』。話題の映画だけに、公開一週間も経っていない今日までに、観た人は結構多いようだ。話題先行だが、なかなか考えさせられる映画であることも事実。それ故、色々な意見が存在する。だから、また自分もここに意見を書く。連鎖反応の一種だ・・・。懲りずにまた、書いている。

 さて、男と女では心のメカニズムが異なる。コメントを頂いた。女性の視点から観た「2046」。個人的には女性の視点からの「2046」も理解していたように思う、おそらく。だけど、やはり男だから、チャウ・モウワン(トニーレオン)の男心を重ねながら観ていたのだろう。その男心、理解した女性はどのくらいいたのかもまた、自分は興味を持つ。
 つまり、バイ・リン(チャン・ツィイー)のそういう気持ちを理解しつつも、若い彼女の未来を今の自分が占有してはいけない・・・チャウ・モウワンはそうも思ってたはずだ。「花様年華」を観て感じたのは、「2046」の映画では、バイ・リンを愛することができない自分がいたということ。人間は過去を引きずる生き物、過去なしでは生きていけず、過去にすがってしまう。彼にとっての忘れられない過去とは、「花様年華」の中の出来事。1962年に出会ったスー・リー・チェン(マギー・チャン)を本気で愛した自分がいたこと、そしてその本気の愛が実らなかったことで、通じ合ったはずの想い(愛)が確かなものなのか不安になってしまったこと。彼は今でも本当の愛、変わらぬ約束というものを、信じられないでいるのだと思う。近未来「2046」に失われたい愛を求めて向かったのも、それが原因だったと、俺は思う。

 2046から戻ってくる人がいないことは、つまり、愛を失い、「過去」を「華やかな思い出」として持っている人ばかりがそこへ向かったからだろう。チャウは小説「2046」の中でTak(木村拓哉)に自分を投影させていた。Takが2046を出られたのは、2046には彼の求める「愛(スー・リー・チェン)」が存在していなかったから。「愛」があったと信じていた過去の経験には本当は、「愛」が存在していなかったのでは・・・と感じたから、もしくは・・・。2046に愛が存在しなかった考え得る理由は二つだ。愛が本当になかったか、それとも、『まだ愛は現在に存在したまま』か、である。
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「変わらない」という約束の可能性

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 昨日治ったと思っていた風邪がまたぶり返してきている。昨日、大学で夜10時までミーティングをしたせいだろうか。確かに昨日の夜は寒かった。今日も、朝から気温が低かった。―そういえば、新潟中越地方では、今朝の気温が摂氏4度だったと聞いた。地震で休まる場所がないのに、その上、天候すら味方してくれないなんて、神を疑ってしまう。日本政府ができる限り迅速な処置を行うことを強く望む。ボランティアの方々には、本当に感謝したい。― 俺の風邪はいつまで長引くのか・・・。

 ところで、1960年代の香港を舞台にした二つの映画を観終えて、考えることが一つ増えた。ウォン・カーウァイ監督も言っているが、1997年の香港中国本土返還の際、中国は香港に50年間は変わらないことを約束した。監督は、そこから人間を見た。つまり、「50年間も変わらないことなど、この世にありえるのか」を人間を通して見ようとしたわけだ。一方で俺は、50年間も政治制度が本当に変わらないのかについて調べてみたくなった。香港の今後50年間の資本主義体制を保障する「一国二制度」、これが香港における「変わらない」という約束である。50年後、それが守られている可能性はどれくらいなのだろうか。もしくは、現時点でこの約束はどうなっているのだろうか。
 話を変えて、恋愛という視点から「変わらない」という約束を考えてみる。人は付き合う時、結婚する時に、「ずっと幸せにする」だとか、「君を変わらず愛し続ける」と言う。これも一種の「この先ずっと変わらない」という約束だ。そういった約束をするのに、離婚は普通に存在するし、別れなんて今では頻繁に起こっている。「変わらない」という約束、守られる可能性ってのは本当にどれくらいのものなんだろう。

 ・・・明日の朝、今の喉のカサカサ感はおさまっているだろうか。早く寝て、体を休めたいが、朝がこわい。「明日確実に治る」なんて約束してくれる薬でもないものか。
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2046+花様年華=頭スッキリ

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 映画『花様年華』を観た。映画「2046」のウォン・カーウァイ監督により2000年に発表された作品だ。
 2046でも同様に主人公だったチャウ・モウワン(トニー・レオン)の10年間を整理してみた。ウォン・カーウァイ監督の映画上では過去と未来、そして現在が交差しており、一度観た限りでは頭の中で整理できないからだ。


1962年 香港(『花様年華』より)
 スエン(家主)のところへスー・リー・チェン(マギー・チャン)、チャウ・モウワンが部屋を借りに来たことで、二人は出会う。スー・リー・チェンの夫とチャウ・モウワンの妻が不倫していることに次第に気付いていった二人は、互いに相談をするうちに好意を寄せていく。その気持ちとは裏腹に、男女の一線を超えられない珠玉のラブストーリーが展開される。
 チャウは新聞での連載小説を書き始め、チェンはそれをサポートするアシスタントとして彼と同じ時間を過ごす。同じアパートに暮らす人々の噂にならぬよう、二人だけで会える部屋を別に借りた。その部屋番号は「2046」。

1963年 シンガポール(『花様年花』、『2046』)
チャウ、スー・リー・チェンと別れ、シンガポールで生活を始める。

黒蜘蛛と呼ばれている女ギャンブラー、スー・リー・チェンに会う。

1964年12月24日 シンガポール(『2046』)
チャウ、ルルと出会い、過ごす。

1966年 カンボジア(『花様年華』)
チャウがカンボジアを訪れ、木の幹に空いた穴に向かって秘密を囁く。

1966年12月24日 香港(『2046』)
チャウ、香港でルルと再開。

1966年12月26日 香港(『2046』)
ルルの部屋(2046号室)を訪れる。
ルルは恋人に刺され、2046号室はそのために改修作業中だった。
チャウは仕方なく2047号室を借りる。管理人はワン。

ワン・ジンウェン(ファイ・ウォン)が隣の部屋(2046号室)を訪れるようになる。
ジンウェンの妹ジェウェンがチャウの部屋を訪れるようになる。

チャウ、香港で「夜間外出禁止」になる。
これを機に外出(女遊び)をやめた彼は、小説「2046」の執筆を始める。

1967年9月頃 香港(『2046』)
香港の暴動は終焉に向かい、人々の生活は正常に戻る。
再び外出をはじめたチャウは、隣の2046号室に越してきたバイ・リン(チャン・ツィイー)と出会う。

1967年12月24日 香港(『2046』)
バイ・リンと過ごす。
チャウ、マカオを訪れる。バイ・リンにプレゼント(オメガの時計)を買い、ピンに託す。マカオから帰ってきたチャウと、バイ・リンが別れる。バイ・リンが2046号室を離れる。

空いた2046号室にワン・ジンウェンが時たま姿を現すようになり、チャウとの交流が始まる。ワンは日本人の恋人へ手紙を送り、返事をチャウ宛てに出させる。

1968年12月24日 香港(『2046』)
チャウ、ジンウェンをディナーに誘う。
ジンウェンに恋人(木村拓哉)に電話をかけさせる。

1969年初旬 香港
ジンウェンが日本へ発つ。
ジンウェン、結婚。

チャウはいつもの店で元気になったルルを見かける。

1969年12月24日 シンガポール(『2046』)
黒蜘蛛スー・リー・チェンを求め、シンガポールへ行くが、見つけられず。

1970年夏 香港(『2046』)
バイ・リンから電話がかかり、二年ぶりに再会。


現在 香港(『2046』)


近未来 『2046年』 香港(『2046』)


 さて、『花様年華』だが、この映画、舞台は1962年の香港である。
 花様年華の面白いところは、不倫されている二人が相手の気持ちになって試しているところ。いい大人なんだけど、そこがなんともかわいらしくて、面白い。例えば、どっちが先に誘ったのか、不倫している二人の好みの料理を試食したり。そうこうしている間に二人の距離は近づいていく。気持ちが通じ合って以降も、二人は別れる場面を演じる、これまた試すわけだ。一緒になってはならないという「不倫の愛」と、愛しているからこそ別れが辛いという気持ちを演じるマギー・チャンの演技は素晴らしい。
 最近アジアの映画を観て感じることがある。米英のそれらと違って、言語のニュアンスがさっぱりであるということ。だからだろうか、映画の字幕だけでは分かりにくい。よくよく考えたら、英語に慣れていたことで、米英の映画を観るときにどことなく英語を聞いて理解していたのだと思った。彼らが話す広東語に慣れると、映画に対してまた違った印象を持つのかもしれない。
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smart mobs

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 今日、大学の講義で「政治とIT」に関して、興味深い話を聞いた。
 それは、「Smart Mobs(スマート モブズ)」だ。モブとは群衆や暴徒という意味で、インターネットや携帯電話によってエンパワーされた賢い人々の群れが新しいコミュニティを作ったり、政治力を発揮したりし始めているという。彼らはフィリピンの大統領選挙時やイラク戦争時など、「Just for fun」でネット等を利用し集結する。そこで、彼らの主張を叫ぶ、つまり、行動するというわけだ。疑問に思ったのは、このSmart Mobs、事例のほとんどが国内市民の活動に限られているものばかりだったことだ。これは、簡単なことで、インターネットを利用する際に、同一言語で活動が進められることがほとんどであるかららしく(共通言語でないと意思疎通しにくいわけである)、それ故、国境を越えない一国内でMobsが発生する確率が高いとのこと。ハーヴァード大学バークマン・センターのJames F. Mooreも指摘しているらしいが、今後今回のイラク戦争のような国境を越えた反戦運動が起こったとしたら、そしてそのとき、ネットを使用する言語環境に変化があったとしたら、国際政治に影響を与え得る力を持った一つのアクターとして台頭してくる可能性があるかもしれないとのこと。個人的には、このSmart Mobsが国際政治に与える影響力がいかほどのものか、関心を持った。
 参考に、以下の二つのURLを紹介しておく。
http://hotwired.goo.ne.jp/bitliteracy/tsutiya/030701/textonly.html
http://ellington.gel.sfc.keio.ac.jp/nsly/mt/ns/000730.html

2046

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 とうとう観た。「2046」を。
 正直なところ、見終わった直後は理解不能だった。
この映画は何を言わんとしているのか、「愛」がテーマではあるものの、軸となるキーワードは何なのか、分からなかった。
 風邪をひき体調が悪かったが、一昨日、一日かけて「2046」の小説、パンフレットを読み漁った。その結果、映画のテーマを自分なりに理解できた。おそらく、「愛を追い求めながら、愛を得られなかったとき、人はどうするか?」ということを考えたものであったのだと。
これ以降は、映画を観てない人には多少ネタばれになるかもしれない。知りたくない人は読まないべきだろう。ただ、この映画は、あなたが一般人であるならばその意図するところを先に知ってから観ることを勧める。感性だけでは得られない情報がおそらくほとんどであるだろうから。
さて、話を戻そう。映画の主人公はトニーレオン。彼は、彼が書き進める「2046」という近未来小説の主人公木村拓哉に自身を投影させている。彼は、追い求める愛が得られないとき、小説に「新たな愛」を造る。木村拓哉は、小説の中でも、現実世界のサラリーマンとしても、あきらめてしまうという役柄だ。その他に、トニーレオンを愛していく女性陣の行動も表現されている。
 ざっと説明するとこういう話だったろう。
 こう考えると、なかなか興味深い映画だったと、評価できる。