ひろの会とは・・・

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ひろの会は、大切な方をなくした人が自分の思いや体験を語り合い、悲しみを分かち合う場です。

 

大切な方の死は深い悲しみと苦痛をもたらします。そうしたメンバーの心の傷の回復を共に歩みます。

 


死別の悲痛から回復するためには、悲しみや自責の念、つらさ、怒りなどの様々な感情を表現していくことが大切です。同じような体験をした人が語り合っていくうちに、少しずつ心の重さが軽くなるかもしれません。

 


ひろの会では、どんな話をいくらしてもいいし、話したくなければ他の方の話を聞くだけでもかまいません。話したくない人に話をするよう強制はしません。

 

ひろの会は特定の宗教や営利事業とは無関係です。
東区総合福祉センターを会場とし、毎月第3土曜日午後2時からが活動日です。

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分かち合いで大切にしたいこと

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分かち合いでの約束

1.ここで聞いたことは、参加者以外の人に話さないようにしましょう。話されたことをノートに取ることはしないでください。
(安心して話せる場にしたいからです)

2.話したくないときは話さなくてもかまいません。話したければ、同じことをくりかえし同じことを語ってもいいのです。
(発言を強制することはしません)

3.みんなが話せるよう配慮し、一人で話し続けないようにしましょう。
(みんなで悲しみを分かち合いたいからです)

4.他の人と比べた話は、控えるようにしましょう。
(悲しみを比べるようなことはしません)

5.参加者同士が、励ましたり、アドバイスしたりなどはしないよう、そして自分の考えを押しつけないようにしましょう。
(痛みが一人ひとり違うことを大切にします)

6.他の人が話している時はおしゃべりせず、最後までよく聴きましょう。
(気持ちよく話せるようにするためです)

    ひろの会は聞くことと語ることを大切にする場所です。

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7月の集い

テーマ:
日時 7月15日(土)午後2時~4時
会場 広島市東区総合福祉センター4階 小会議室

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1266468580892/index.html
参加費 200円
予約は不要です。
問い合わせ 谷川 082-221-5285

 

「ひろの会だより」6月号
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hironokai.pdf

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悲しむということ(75)

テーマ:

夢に出て来てくれない、夢でも会いたいという話をよく聞かせていただきます。

 

専門の心理学的なものはさておき、夢占いでいうと、吉夢であると書かれていたり、警告夢であると書かれていたり、話していると吉だと書かれていたりと様々です。

 

夢の見方(夢で逢う方法)はというと、写真などではなく、故人のにおいを感じられるものを枕元に置くなどと書いてありました。本当に様々なことが書いてあり、心が弱っているときには混乱しそうです。

 

人は思い通りの夢を見ることができません。でも、夢によって助けられることも多くあります。夢は心の再処理工場であると言われたりします。

 

睡眠科学の世界では、夢は記憶と深く結びついて、その人の記憶を整理していると言われているそうです。

きっと悲嘆の中にいらっしゃる方たちはそんなことを聞きたいのではなくて、もっとスピリチュアルなものに夢を通じて触れたいと願っていらっしゃるのでしょう。亡くなった方からの赦しや癒しや慈しみに触れたいのだと思います。

 

どのようなはたらきがあっても、そのことでどのように慰められても、間違っているという権利のある人はいないと思います。

しかし、思いの深さや亡くなった方の愛情の深さから、お会いできたり、できなかったりするものではないということだけは言わせてください。

 

思いや悲しみは誰も責めません。亡くなった方はどのような無念な亡くなり方をしても、残された人を労わることはあっても、恨んだり責めたりはしないのだと思います。

 

ご自身がご自分を責めるのです。十全たる人生を、人とのかかわりを持てる人はいないでしょう。常に、ああすればよかった、これでよかったのだろうかという迷いの中で生きているからこそ人間なのだと思います。

いい夢が見られたら、あるいは夢の中で赦されたなら、それはそれで大切にしましょう。機が熟したのだと思います。

 

いつまでたっても、夢で亡くなられたことや、悲しみや苦しみを感じる夢を見られたら、それはイメージに代わる前の生々しい痛みがまだ残っているということ。十分にご自分を労わりましょう。

 

夢で悲しい顔をした人に会ったなら、私ならこう伝えたいと思います。「心配してくれてありがとう。あなたがいてくれたから、私はこうして生きています」と。

 

大丈夫です。あなたは一人ではありません。共に歩むものとして、私たちがいます。

私たちはひろの会です。いつもの場所で、いつもの時間に心の扉を開けてお待ちしております。何年目であろうと、うんとしばらくぶりであろうと、初めての方であろうと、いつも同じ心で、飽かず弛まずここにいます。

6月の集い

テーマ:
日時 6月17日(土)午後2時~4時
会場 広島市東区総合福祉センター4階 小会議室

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1266468580892/index.html
参加費 200円
予約は不要です。
問い合わせ 谷川 082-221-5285

 

「ひろの会だより」5月号
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hironokai.pdf

悲しむということ(74)

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春を通り越してあっという間に夏になりました。若葉が生い茂る様子で、桜があっという間に葉桜になっていました。

ゴールデンウイークと言われる連休やお正月は、浮足立つ人々やテレビ番組にしんどい思いをしやすい時です。しんどい思いをされるのは一人ではないことだけ知っておいてください。

私たちが数年にわたってやらせていただいているグリーフケアというかグリーフワークのお手伝いは、自助グループの形をとっています。

当事者同士が運営し、助け合うことが基本原則ですが、大切な人の死や喪失によって起こった、未来も見えない、今も定かではない状況(悲嘆)のさなかにいらっしゃる方々が、同じ立場の方々を探し出して、場所を決めてグループを作ることをされるのは難しいことなので、皆様方の先輩とか心理の仕事をしている者とか、志を持った者たちが集まって、お手伝いをしているのがひろの会です。

お顔を見ればうれしく思い、そしてやはりそのしんどさに思いを馳せると、早く回復されることを願い、お顔を見ない日が続くと心配をして、それでもよい状態であればと祈り、スタッフはそんな思いをもって参加しているのです。

自分に効果があったことを人にお勧めしたい思いを持つ方がよくいらっしゃいます。できればやめていただきたいのです。

悲嘆の中にいる方のすがる思いは本当に切実で、これがいいと言われれば何とかそうしたいと思われるのです。うまくいけばいいのですが、うまくいかなかったとき、勧めて下さった人を責める方はほんのわずかで、多くの方はご自身を責められます。

人には向き不向きがあり、正しいことやよいことがみんなに当てはまるわけではないのです。マスコミの方々は正しいことなら大きな声で言うべきだという論調をされます。

でも、正しいことでも言いたくない人、人の視線にさらされたくない人、プライベートの大切な部分を人に見せたくない人はいらっしゃるのだと思います。

私も臨床をさせていだだいていると、治療するという立場で判定というか、査定というかをしてしまいがちになり、少しでも実証というか、効果のあったものを早く実施して、少しでも楽になっていただきたいという焦りのような気持ちを最初のころは持っていました。

傲慢です。わかった気、できる気でいることが傲慢なのです。私たちは寄り添い、ともに歩むことしかできないのだということを自覚しなければならないのです。判定や査定は暴力なのだと思うのです。

皆様方のこころを受け止める場としてひろの会が機能するためにも、自分に効果があったことを話されることはしかたないですが、お勧めはぜひしないでいただきたいと思います。

ひろの会は自助グループです。心を開いて、いつもの場所、いつもの時間にお待ちしています。

5月の集い

テーマ:
日時 5月20日(土)午後2時~4時
会場 広島市東区総合福祉センター4階 小会議室

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1266468580892/index.html
参加費 200円
予約は不要です。
問い合わせ 谷川 082-221-5285

 

「ひろの会だより」4月号
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hironokai.pdf

4月の集い

テーマ:
日時 4月15日(土)午後2時~4時
会場 広島市東区総合福祉センター6階 研修室1B

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1266468580892/index.html
参加費 200円
予約は不要です。
問い合わせ 谷川 082-221-5285

 

「ひろの会だより」3月号
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hironokai.pdf

悲しむということ(72)

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自分ではどうにもならない悲しみの渦の中にいて、その時間の見通しの立たなさや傷つきの大きさから、意識はされていないのですが人を信じられなくなってくることが多くあるように思います。人を信頼できる、安心できる存在として認識できなくなるのだと思います。

 

人の悲しみを自分と同じように体験することは難しく、わかってもらえるという感覚はないのです。親しい人であればあるほど、もどかしさがつのります。そして何気ない一言に傷つくことも多いです。

 

長い間、話を聞いてくれていた人(家族も含まれます)が「もうそろそろいいでしょう」という態度をされること、いつも聞いてくれていた人が問題解決を積極的にしようとすることなどで大きく傷つきます。

つまり、「その症状に対してはこれ」というような治療をすすめるとか、宗教をすすめるとかがこれにあたります。

私たち支援者はそこを間違えることが多いです。しんどそうだから何とかして差し上げたいから、もどかしいからと間違えてしまうのです。

 

どうしてこんなことが起きるのかというと、結局、私たちは判定というか、支援になっているか、なっていないかにこだわって、ともに歩むだけでいいと思えなくなることから起こるのだと思います。

 

いつも来られる方が急に来られなくなる、あるいは参加人数が減ってしまうと、自分に間違いがあるのではないかと思い、今いらっしゃる方を減らしたくないと思ったり、何とか支援をと考えてしまうのだと思います。人は、自分で気づき、自分で歩まなければ、何も進まないのだと思います。

 

私の失敗をお話しさせてください。

 

娘さんが留守中に、二人の幼いお孫さんを突然死で失った方がいます。娘さんは子どもたちだけで留守番させて遊びにいっていたのです。

娘さんは児童相談所と裁判所によって、妹の死を目撃したもう一人のお孫さんを育てることに不適格と烙印を押されました。

 

おばあさんはそのお孫さんを、施設にあずけることが忍びなく、育てることにしました。

そのお孫さんが多動で、相談に来られました。私は相談場所が学校であったために、お孫さんの多動についての問題解決を優先して、聞く姿勢、寄り添う姿勢を忘れて、おばあさんを傷つけてしまったのです。

 

腫れもの扱いをしなければというのではなく、お孫さんの相談を名目にご自身の傷つきを話しに来られたということ、お嬢さんの幼さと、幼いお孫さんを育てなければならなくなったしんどさ、二人のお孫さんを失ったことへの後悔と悲しみの大きさに圧倒され、できること(多動への対応)に飛びつくということをしてしまったのです。

 

最低のセラピストです。「ただ寄り添い聞くこと、ともに歩むことが重要です」といつも言っていて、できていなかった。恥ずかしい限りです。

 

この失敗をもとに、支援をするということを丁寧に考えていきたいと、気持ちを新たにしている私です。長年お付き合いいただいて、本当につたない、申し訳ないと思います。

 

それでも、いつもの時間、いつもの場所で、心の扉を開いてお待ちしております。

3月の集い

テーマ:
日時 3月18日(土)午後2時~4時
会場 東区総合福祉センター4階 ボランティア研修室

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1266468580892/index.html
参加費 200円
予約は不要です。
問い合わせ 谷川 082-221-5285

 

「ひろの会だより」2月号
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hironokai.pdf