あいうえお

思ったり感じたり考えたりしたことをかいてるよ


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「だいがく」が先週からはじまりました。
必修以外は残す所3単位だけなので、ヒトコマの授業で補える。
から、大学は週1通いで問題ない。はず。

わたしの一週間はこんなかんじ

月:バイト
火:学校
水:聴講
木:聴講
金:聴講
土:バイト
日:バイト


週4通い。まさかの。

ゼミはずたぼろで先生に散々「もう一年やる?」と言われる。
ほんと辛いです(;o;)自業自得部分がものすごく多いんだけどね…

聴講に週3でいっているのは自分でも馬鹿だなって思う。
そのうちいっこは他の大学(無許可)だし。

だけど自分の知らない知識を得る事がほんとうにおもしろい。

いまよんでいる本にこんな言葉があった。

学問は人生を楽しくする。
「本物の勉強=学問」は「いわゆる勉強=学習」と違って楽しい。
学問とは、不思議、疑問、問題点を見つけ出し、調べ、何が正しいか自ら考えて行くこと。決められた答えを、決められた通りに覚え、試験で思い出す、などというものではない。まさに創造的な、心理を求めた、未知の世界への知的探検。
(目からウロコの文化人類学入門 / 斗鬼 正一 )



はやく大学を卒業したい。
先が見えないのに何言ってるんだ!と怒られるかもしれないけれど、やりたいことが見えてきた。

はじめはどこかの企業で働くことも考えた。
でもそこで働いている姿はまったく想像できなかった。


生きてくことに素直になろうと思えた。
ずいぶんと気持ちが軽くなった。
人生の目標が出来た。そのためにはこれをする、というのも出てきた。

何より大学を卒業する事が大切だから、ここではまだ何も言えないんだ。

まだひみつ。そのうち、きっと。

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ゲド戦記、みたけれど記憶にない。
ので自分の中でははじめての吾郎作品!笑

今までのジブリって、一回だけではわからない要素が散りばめられている。
ポニョでいうあの世この世とか。

すっきり一回で見る事もできるけれど、深読みできる要素がたくさんあった。
アートに近いよね。
しっかりとしたコンセプトがあって、そこにいくつも要素がある。
鑑賞者によってはいくらでも意味合いが変わってゆく。

コクリコ坂から、はすごい純粋な映画だった。
映画について真面目に考えた事がないから、違うよ!と言われるかもしれないけれど。
アートではない。
ディズニーとか、ピクサーとかのあのエンターテイメント映画。
ひとつのコンセプトを伝え切る事に重点を置いていた。

見た人が、耳をすませばを思い出したと言っていて。
きっとそれはコンセプトが恋だったからだろう。

ただ、コクリコ坂はもっとシンプルだった。
シンプルすぎて焦るくらいに。

ストーリーは単純。
風間くんが写真みた反応で簡単に想像がついてしまったくらい。笑

キャストでいえば、長澤まさみがとてつもなく長澤まさみでびっくりした。
バス停のくだりには背筋がぞっとしたけれど、それ以外はなんとも^^;
他のキャストは違和感なくてよかったと思う。
なんで??苦笑

あのシンプルすぎる話を、
あれだけのボリュームにして、
あれだけのクオリティにしたのは確かにすごい。
建築会社からいきなりアニメ会社に
転身した事を考えると本当にすごい。

ゲド戦記が不評だったのは当たり前だろうなあ。

なにも考えず、にやにやしながら見れた。

ジブリだけれど、宮崎駿とは大きく異なる。
だから比べちゃいけない。

宮崎駿よりもっと純粋なんじゃないかな。
宮崎駿は自分の感情だったりを編み込む作風が強いから。
それは宮崎吾郎にはない。あるがまま。

久しぶりに映画できゅんきゅんしました!笑


コクリコ坂から

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いままで一度も北野武映画みたことないんだよね。
友人のベスト映画が「キッズリターン」と話していて、それならと思って見てみた。

想像以上に静かな映画でびっくり。
光を全て吸収してしまうくらい真っ黒で、粘着質なものを想像していたから…
真っ青な映画。

青春と呼ぶにはあまりにも青すぎるし痛すぎるなと。

氷の上を歩いていて、口をあけた穴に落ちる。
冷たいとか痛いとか、感覚は最初あったけれど冷たさで麻痺して行く。
ずいぶん落ちてから上を見てみたら、穴から光が漏れていて、その光をまた浴びたいと思う。

ある意味救いようのない映画だと思う。

「俺たちもう終わっちゃったのかな」
「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねえよ」
というやりとり。

これ以外のラストシーンが思いつかない。
完結させられない映画なんだなあと。
その後の彼らを想像できない。
(見ている自分と重ね合わせて、この延長線上に自分達がいるとかそういう話はなし)
ふつうに年とっておっさんになってるかもしれないし、
翌日に車にはねられて死んだかもしれない。

「始まっちゃいねえよ」
たしかに何も始まってない。終わろうともしていないから。
青春の続きをまだ走って行こうとしている気もする。

私は女だからなのか、こういう青春は憧れであって、懐かしいと感じる事はできない。
音楽もカメラワークや脚本なんかも良い。
なのに、もんやりとしたものが残るのはそのせいなのかな。

タイトルで青春映画なんだろうなとは思ったけれど、
ここまで感傷的な作品だとは思わなかった。

事故からの復帰作だったそうだ。
「まだ始まっちゃいねえよ」
本人が一番言いたい言葉はこれだったんだろう。


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Arcade Fire - The Suburbs



グラミーをとったアーケイドファイアのPV
「終わりなき日常が続く郊外の終わり」を予見させる完成度の高いもので、映画のPVのようでもあったのだけど、なんとオリジナルムービーが裏で創られていた。
監督はスパイクジョーンズ。DVDで発売されるらしいbit.ly/9Kvndx

と@yanabo さんがつぶやいておりました。


めもーめもー!

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おもいついたので書いてみる。
ほんとはもっともっとあるんだけど、いまみたいきぶんはこんなかんじのCM。


▼AsahiKASEI 「昨日まで世界になかったものを。」シリーズ


▼月桂冠


▼コトバダイブしよう






こっちは今の気分とかではなく、野田凪が一時期だいすきでした。
パクリじゃんとか思ったりもしたけど、やっぱり好きだった。
亡くなったのがほんとうに残念。

▼おぎやはぎ I love your face


▼1234



▼Scissor Sisters - She's My Man


▼Tiga - Far From Home

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この間いったんだよー!

これは完全に楽しむためにしか行ってないのでテーマ:ブログにします笑

やっぱり恐竜かっこいい!
イギリスのロンドン自然史博物館
シカゴのフィールド自然史博物館

絶対いつかいくんだー!!
恐竜じゃないけどフランスパリにあるの国立自然史博物館も!



$あいうえお

日本の展示スペースはちいさい。
外国は座り込んでスケッチできるんだよね。

それでも少年少女がスケッチしたりメモを必死でとっている姿があった。
あと写真とる姿も。

おじいちゃんに「撮りすぎ!」と怒られて泣き出しそうな子もいたけど…苦笑

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資生堂ギャラリー月休 11:00~19:00
→榮榮&映里 写真展 2011年7月2日(土)~2011年8月14日(日)

資生堂ギャラリーでやっていた、榮榮&映里展。

榮榮(ロンロン)は1968年中国の福建省出身
映里(インリ)は1973年日本の神奈川県出身

榮榮は美大を目指していた20歳で写真をスタート。その後、写真を北京で学ぶ。
卒業後は中国若手アーティストが集まる北京郊外の「北京東村」に移り住み作家活動を行う。
東村シリーズで榮榮は有名に。北京東村が解体されたあとも写真は撮り続けた。
1999年に日本で行った《ウェディングドレス》展で映里と出会う。

映里は写真専門学校を卒業後、新聞社の報道写真部に所属。
その後フリーの写真家となり作品制作を行っていた。
そして1999年、榮榮と出会う。


北京東村とは
1993年に設立された後、政治的に弾圧され短命に終わった前衛アーティストグループ。
実生活と演劇との境界をゆりうごかすような撹乱的パフォーマンスで、中国文化が遂げてきた急激な変化を問い、抵抗する活動を展開。肉体的苦痛と精神的不快を耐え抜く事が作品となる。その活動には写真が必要だった。(現代写真論 より)
※張洹・馬六明など。艾未未が形成に関して手助けをした。


出会った当時、榮榮と映里には共通の言語はなかった。
でもどうしても相手の作品に対する思いを伝えたかったから、つたない漢字を書いて会話した。
お互いに興味のあるテーマが似ていたそうだ(ここらへんの情報が自分にはないのでよくわからない)
映里が2000年に北京へ定住する。
そして東京で結婚し3人の男児を授かり、2007年に三影堂撮影芸術中心を設立。

中国内外の写真界に影響を与えるものをつくったふたり。

ジョンレノンとオノヨーコを思い出した。
「ふたりいっしょ」になった事による影響力のせいだろう。

ジョンレノンとオノヨーコと違う点は彼らは彼らの欲で動いている所ではないかな。
世界平和とか戦争反対っていうものではない。

「ひとり」という孤独感が打ち消された偶然の出会いが生み出したもの。
写真をやっていなければ、出会わなかった素敵なもの。
それをまとめて、管理したい、そしていろんな人に伝えたい、そんな欲。
三影堂だってもとは図書館を作ろうっていうアイディアから派生したようだし。

「道生一、一生二、二生三、三生万物(道は一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む)」という老子の言葉。
1が2に、2が3に、3は全てに。


もともと演出風な写真が得意でない自分。
どうなのかなーと思いつつ。

毎年1枚づつ撮っているポートレートがとても印象的。《Caochangdi(草場地)》かな?
手彩色もイイ。

《In Fujisan (富士山)》の現物みたかったー!

作品というより彼らの生き方や、愛の深さが印象に残る展示でした。


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reiko imamura 愛がすべてを成し遂げる


テーマ:
「意外に真面目でびっくりした」と言われた。
どうゆう事だろうか笑
話し聞きたかったけど、それどころじゃなさそうだったので聞けず終い( ; ; )
周りに真面目だってよく言われるけど、知識ももってないうんちなので理解不能なんだよね。
でも、よーするに、考えすぎな学生ってことじゃないかと思う。


自分は誘われたらひょいひょい行くことが多い。
中には好きな、というか気になっている作家さんもいるから喜んでいく。
でも、どうなんだろか。
わからないことが多すぎて知らないふりしてる。
自分の感覚だけの物差しでみてはいけないんだろうなー。
まだまだ知識が足りなくて、泣きそうになる。でもあの空間にいれることをありがたいとはひしひし感じている。
いつもああいう場に行くと自分のキャラがよくわかる。

スッピンでビールごくごくしてる23歳とか、どうかんがえても女ではない笑
だけど女扱いされるより数万倍楽だからそれで良い。女扱いするのは彼氏だけで良い。

ひっついて来ているだけで、立場的には1番下っ端。
だからグラスが空いたらお酌するし、とったりもする。
話はあんまり参加せずに聞いていることが多いけど。


どういった方向に進むかはさっぱりわからないけど。
この経験は総てプラスになるって知ってる。

ありがたい。
ほんとうにありがたいことだ。

テーマ:
東京都写真美術館
世界報道写真展2011 2011年6月11日 ( 土 ) ~ 8月7日 ( 日 )

世界報道写真展2011公式
World Press Photo

2010年はどんな年だったんだろう。
ぼんやりとしか思い出せない自分が悲しくなる。
旅行しまくってたなあ。
国外国内とも。
全然まわりのことは見えてなくて、自分のことで手一杯だったけど。

写真展は毎年見ている。

事件ではなく、写真家のプロジェクトとして気になったのがいくつか。
あと普通にこの写真がかっこいいっていうやつ。

あいうえお
Wolfram Hahn / INTO THE LIGHT
→Myspace用のセルフポートレイトを撮る様子

あいうえお
Andrew McConnell / THE LAST COLONY
→アルジェリアの難民キャンプに暮らす西サハラ住民「サハラウィ」

あいうえお
Amit Madheshiya / AT A TENT THEATER NEAR YOU
→インド西部マハラシュトラ州で移動映画館の夜間上映を楽しむ人たち

あいうえお
Michael Wolf / A SERIES OF UNFORTUNATE EVENTS
→グーグルのストリートビューから

あいうえお
Malte Jäger / COUCHSURFIN’ AROUND THE WORLD
→カウチサーフィンによってNYのアパートメントに宿泊する若者

SNSをとりあげている人が前年に比べて多い気がした。

写真はたしかに強い。
だけどそれと同時に嘘っぱちでしかないんだと思う。
Googleのストリートビューなんかがとくに。
取捨選択して再構築しているだけだ。

写真ていうのは真実を写すものではなくて。
むしろただの視点なんだよね。

撮影者は何を感じ取ったのか。
そして鑑賞者はどれだけ自分をフィルターにして感じ取れるか。
撮影者と鑑賞者。
それぞれ感じることは違うはずだから、正解なんてないけど。
そしてその感じたことは真実ではあるけれど。

この世界報道写真展を毎年みる度に、自分の情報量の少なさに吐き気を覚える。

今回の会場には東日本大震災スライドショースペースがあった。
自分のテリトリーに近い部分で起こった事だから、吐き気よりも涙がこみ上げてくる感じだった。
ハイチ地震の写真を見て「ああこんなことがあったね」という距離と感情とは違ってまだ膿んでいる部分。

やっぱり被災地に行こう。
ああいう誰かのフィルターを通したものじゃなくて自分だけのフィルターで見てみたい。


スライドショーで気になった人たち(リストがないとの事で、見ながらメモした)
時津剛
→被災地の被災した「写真」をカメラで撮っていた。写真洗浄に参加したりしていたので、余計考えてしまった。
PIETER TEN HOOPEN

岡原ナントカ、伊藤えりな?、中尾由里子、中畑徹、ナントカDolge?
メモはしたけど漢字やら綴りが違うせいかよくわからない(;;)

スライドショーリスト、配らなくてもいいから知っておいてほしかったなあ。
去年かな?報道写真展でyoutubeに掲載された映像の事(とパネルに記載があったので)聴いたら「わからない」と言われた記憶があるよ。悲しい…

テーマ:
東京国立近代美術間
パウル・クレー終わらないアトリエ2011年5月31日(火)~7月31日(日)

パウル・クレー(1879~1940)


クレーの絵は《忘れっぽい天使》を一番最初に知ったので、できればそれを見たかった。
あと《パルナッソスへ》も見たかった。でも残念ながら両方とも展示されていなかったしょぼん

入ってすぐには思わなかったけれど、不思議な展示空間に驚いた。
クレーの絵をただ楽しむのではなく、作品世界に入って行くようだった。

1:現在/進行形-アトリエの中の作品たち
2:プロセス1 写して/塗って/写して-油彩転写の作品
3:プロセス2 切って/回して/貼って 切断・再構成の作品
4:プロセス3 切って/分けて/貼って 切断・分離の作品
5:プロセス4 おもて/うら/おもて 両面の作品
6:過去・進行形“特別クラス”の作品たち


あいうえお

プロセスが個々に独立して展示されていて、俯瞰で展示空間を見たらクレーの作品そのものになるように感じられた。
作品というかクレーの頭の中を見ているような気分かも。
あっちにもこっちにも興味があって、でも目の前には壁があって更にそれぞれが魅力的。
線ではなくて平面でなくて立体的。
あっちも、こっちも、とんでも、はねても目につくのは新しい風景。

クレーの絵を子供の落書きのようだと言う人もいる。
数学者や哲学者や科学者がレポートを書いているようだと言う人もいる。
妄想家にみえたり、策士にみえたりもする。

色彩は私を永遠に捉えた、私にはそれがわかる。
この至福の時が意味するのは、私と色彩はひとつだということ。私は、画家だということ。
(1914年4月16日 クレーの日記)

この有名な文章も、彼が後から付け足したという説がある。
版画、線画、点描画、油絵、転写、切断、再構築、再編成…
やっていることはばらばらでも、クレーは最終的な着地点さえ見えていれば突き進める人物だったんだろう。

今回の展示で気になった絵はこれ↓
あいうえお-無題(鉢植えの花)あいうえお-無題(座っている少女、正面から見た)
左《無題(鉢植えの花)》右《無題(座っている少女、正面から見た)》
もともとは表裏一体の絵だったけれど、クレーの死後に引きはがされたらしい。
誰が何のために引きはがしたんだろうか?謎だ…。
こんどゆっくり図書館に篭ってしらべることにします(^^)


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弐代目・青い日記帳

パウル・クレー展をより楽しむためのスペシャルサイト
PAUL KLEE TIMES
展示について

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