私たちは、裸一貫で生まれ、




なにも持たずに死んでゆきます。




生まれた時も、去る時も、親兄弟や友達が、迎えて送ってくれるのです。




なんにも持っていなくても、一人ではなく、




なんにも持っていなくても、励まされ惜しまれ感謝され。。




ただそれだけに、ありがたく思うのです。



http://www.youtube.com/watch?v=_9kXWY-dEkA
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http://www.youtube.com/watch?v=1bbdep0J_XM


長い長い夏休み、


団地の窓を網戸にして、


月明かりが差し込む四畳半で、


朝までラジオのチューニングを回していました。


キャットアイチューナーが絞られるたびに、


韓国やロシアの放送が入ってきて、


そんな中に、


ゼンマイ仕掛けの一日が過ぎ、夜の帳が..


と、深夜放送が始まったのです。

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ひとのこころは、ころころころ。


笑って、泣いて、怒って、しょ気て。


ころころ、ころころ、こころはうつろう。


どれが自分かわからぬくらい、大きく振れては、変化する。


お天気、景気、移り気、気まぐれ。


整合性とか、一貫性とか、無粋なことは言わないで。


幅広い自然な自分を楽しもう。


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もう分かって生きているのです。


遠い先の話ではなく物語が終わることを。


だからこそ生きるのです。



出会う人も、喜びも、試練さえも、みんな愛しく思います。


惜しむように味わって、よく噛んで下します。


やがて、別れが訪れます。


人も、喜びも、試練の時も、いつかは流れ去って、小さくなって見えなくなります。



年相応に分別くさく生きようが、


青くさい夢を置き去れずにいようが、


好きにすればいいのです。


それも、いつまで..



そのとき、思い出すのは、遠足で食べたおにぎりのことかもしれない。


そのとき、よぎるのは、涼しくなった秋風の中で聴いた虫の音かもしれない。


そのとき、浸るのは、あなたとつないだ手の愛おしさ、


そのとき、そっと置いてくるのは、きっと些細だけれど素敵なことたちだと思います。



ぜんぶ味わって、堪能して、満足して、また次の旅へ。


惜しむように味わって、よく噛んで生きていくのです。



新しいバリューを世の中に問う仕事、


「新しさ」をリリースすることで小さな「HAPPY」を提供すること。


そんな仕事がしたくて毎日を過ごしています。


そろそろかな、という予感もあります。


ようやく な感じもしています。


やっと僕の番が来るのかもしれません。


「新しさ」を放ち、世の中をちょっとだけ「HAPPY」に。


夢のようなことだけれど、その緒につけるかもしれません。



Sly、僕も君のほうへ。

アルプスの少女ハイジ、



宮崎監督の世界観が最初に花開いた名作アニメです。



あの物語と同じ名前のスイス人歌手が歌うBack Togetherという曲が気に入っています。






大人になると



小さなことにはこだわらなくなって



だいたいよければそれでよい、というような



いい意味での大雑把さが身につきます。



若い頃のような神経質な正確さへのこだわりは



大勢に影響もなく馬鹿馬鹿しいと感じてしまいます。



ともすれば幼い連中にうっとうしさも感じます。




けれど、



自分のなかで 本当は「?」な事柄を



意見することが面倒だからと



「まぁ、それでもいいけど。。」と



小利口に呑み込んでしまうことをしていると



せっかくの種が自分の中で発芽せずに



知らぬ間に朽ちてしまうこともあるのです。




説得するのが面倒だとか



人と違う意見を言うことを億劫だとか



そんな小さなことで自分を丸めていては



自分の本当の力と出遭えないかもしれません。



人と違うから お互いに魅力を感じるし



人と同じようなあなたなら



あなたである必要もなくなってしまいます。




ちょっと変わっている、



「違い」という魅力。



差異そのものは違っていても



みんなだれしも持っているのが



異形の部分なのです。



その部分にこそ



光を当てて 磨きを掛けていくのが



本来的だと思います。





宮崎監督も 歌姫ハイジも



きっと ちょっと変わった



独特な個性が熟して



花開いたのだと思います。







思えば、僕らのカルチャーは


ラジオとマガジン(雑誌)と街角の小さな店から始まった。


そのどれもが とれも身近で 手の届く 手に負えるメディアだった。


皮肉にも、手のひら媒体をはじめとするインターネットに


ラジオも雑誌も食われてしまった。


身近なメディアからケータイ小説が生まれるように


リアルなインサイトをヒリヒリと感じている等身大のメディアからカルチャーは発信される。



多くのスポンサーが降りてしまった今、


昔よりも長尺のスポットを流しやすくなってきている。


アベレイジとまでいかなくとも


そこそこ長尺でドラマ仕立ての広告も可能だ。


アドバテーメントといわれる時代だから


ラジオドラマに織り込むようにして広告宣伝していくのも効果的だ。



ぼくは今でもラジオの可能性を強く信じているし


何十通りものラジオの使い方を思いついている。


クライアントに応じた効果的なラジオの活用の仕方なんて


その道の専門家ならもっと気付いているだろう。


あとは勇気だけなんだろうけどな。


昔は出来ていたんだ。


今だってきっとできるさ。



AIRを越えて AIRを伝って


つながっていくのがラジオなのだから。

子守唄を聞きながら 安らかな気持ちで眠りに落ちた頃、


寝苦しい熱帯夜の夕べに 高低のパートを合わせ歌った事、


唄は時間を連れてきます。


負けそうになったら、あの頃の唄を唇に点して。


もう唄えなくなってrしまった歌もあります。


心と体の調子が外れれば唄は もう歌えない。


年齢的にも もう二度と歌えない唄すら あるのです。


残された時間、吼えるように また交感するように歌いたい。


だから、ときどき唇に唄が上り


知らぬ間に口ずさんでいるのだと思います。


唄も 歌うことも ありがたいことに 好きなんです。

今の若い人たちにとって


80’sは古い時代なのかもしれないけど、


独特のカルチャーが花開いた独特の時代だったように思う。



レノンが撃たれて始まった1980年代を


象徴する出来事やヒト・モノを挙げてみる。




・山口百恵引退


・王貞治引退


・なるほどTHEワールド


・ET


・無印良品


・スターウォーズ


・NHK「シルクロード」放送開始


・東京ディズニーランド開園


・おれたちひょうきん族


・ファミコン発売


・ふぞろいの林檎たち


・風の谷のナウシカ


・カフェバー


・なんとなくクリスタル


・Dr.スランプアラレちゃん


・マイケルジャクソン


・ロス疑惑事件


・ロッキー


・ナメねこブーム


・アイドル全盛期


・「北の国から」放送開始


・金妻


・おニャン子クラブ


・イカ天


・フォーカス創刊


・となりのトトロ封切


・カールルイス


・グリコ森永事件


・日航ジャンボ墜落


・朝シャン


・写ルンです


・スーパードライ


・ベルリンの壁崩壊


・3年B組金八先生


・ドラゴンボール


・消費税スタート


・ワンレン、ボディコン


・ねるとん紅鯨団


・光GENJI


・東京ラブストーリー

・千代の富士




一言で言うと、


どんな時代だったんだろう?

僕にとっての80”sは


やっぱりユーミンかなぁ。。


素敵なサイトもご紹介しておきますね。


http://www1.plala.or.jp/P-P-Hyala/index.html