競争社会、自己責任、自律、自己実現、お一人様、孤食、孤立、無縁社会..


お茶の間でみんなでテレビを観たり団欒したりしていた時代は移ろい、


各自がスマートデバイスを俯きながら覗き込み、それぞれパーソナルな情報世界に浸っている。


世の中は、孤立した個人の集まりへと形態を変え、集団としての全体機能性は希薄になっていると思われる。



しかし、たしかなことは


人はひとりでは生きていけない、ということ。


二足歩行と引き換えに、骨盤が変形して生まれてくること、出産すら、協力がなければできないのだ。


裏を返すと、人だけが「協力」できる種ともいえる。



このことを意識していれば、本来備わっている能力で危機を回避できるのかもしれない。


人、という種の特性について、もっと合理的に評価する必要がありそうです。

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あなたは誰かに「ありがとう」「助かるよ」「よかった」と言われていますか?

この1週間、いや1ヵ月間、だれからか感謝の言葉や笑顔をもらえましたか?


組織人は意外と少ないのかも。

自由人は案外多いのかも。

いずれも個人なのだけれど。。


なにが大切か決めたとき、その人の人生の方向が決まります。

無理をせず、あなたのままにゆけばいいと思います。

ひいてはそれが、だれかを勇気づけたり慰めたり元気にしたり癒したりします。



今日が人生最後の日だとしたら、と考えて一日を過ごせ。と言われます。

だれかの役に立つことが難しい時代だから、できることを楽しんで過ごそう。

岡本太郎みたいな無邪気さが、人に力を与えるのです。

ゴキゲンでいこう♪ 感謝して楽しもう♪

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豊後高田市

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大分県国東半島の人口2万4千人程の町・豊後高田市。
 
近年は、昭和レトロの町として観光客に人気の町です。
 
懐かしい風景や品物が残っていることを利用したまちづくりができたのも
 
町があまり大きな変化をしてこなかったことがよかったのだと思われます。
 
ところが、この町はレトロと対極の魅了的な取り組みも行っています。
 
それが、「学びの21世紀塾」です。
 
地域の大人が自分の得意分野を、地域の子どもたちに教える寺子屋のような制度です。
 
かつては「戴星堂」や「涵養舎」をはじめ多くの寺子屋が存在したという豊後高田市ならではの取り組みです。
 
こうしたことを実現化している町にたいへん感銘を受けました。
 
陰ながら応援したいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
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先行投資とは

テーマ:

パイの限られた市場のシェア争いが激化してくると、皆こぞって実や花を探します。


企業は、すぐに成果を上げたいのです。


ところが、多少無理してでも、中長期的な戦略がある会社は違います。


蕾を探す部隊を持っています。


彼らは、まだ果実に成っていない、蕾を探すことが課せられます。


彼らの成果は、実の数ではなく、蕾の数です。



長篠の戦での「鉄砲三段撃ち」のように、


第1隊の背後では、次の部隊が撃つ準備をしています。



単年度での業績に引っ張られ過ぎると、


企業は毎年毎年振り出しに戻っては、また1から花や実を探さねばなりません。



御破算に願いましては~..


ここでスパイラルできずに、また同じ所へ戻ってしまっては進化できません。


実を収穫する部隊と、蕾を探す部隊と、苗を育てる部隊と、種を撒く部隊と..


それぞれの役割と目的を明確にして、戦略的に経営していくことビジョンが必要です。






藤原和博さん

テーマ:

かの藤原和博さんが書いていたことを、書き留めておこうと思いました。



・成長社会の特徴は、必ず一つの正解があると信じられることでした。


・「走れメロス」を読まされて、帰り道のメロスの気持ちに一番近いものを次の四つから選びなさいと設問がある。


・つまり一つの正解がこの中に必ずあると断定されているのですが、本来、正解なんてあるわけがないのです。


・みんなにとって正しいことが一つあると同じ方向に努力してきた時代。




藤原さんは、東大出身で当時のリクルートを作ってきた成績も地頭もよい人。


その藤原さんが「僕はこの<正解主義>を変えたいと思っている」と言っています。




3.11の「釜石の奇跡」について触れ、逃げる時は<津波てんでんこ> つまり、


ひとりひとり自分で考えて自分の命を守ることで、釜石の小中学校の児童のほとんどが


災害を逃れ生存した話を上げています。



腑に落ちるお話です。 覚えておきたかったので記しておきます。

相対と、絶対と、

テーマ:

時代とともに、いろんなことが変わってくる。



かつては、目抜き通りに店舗を構えて大盛況だった店も、


バイパスができるや通行量は激減。 閑散としたその場所に拘っていたら売上も激減。


多くの企業がこぞって出店し始めたバイパス沿いに小さな支店を出したら


わずか数年で本店の売上を抜いてしまいました。



今、お話したことは


たとえば、目抜き通り=ラジオや雑誌、 バイパス=インターネット と読み替えることもできます。


かつては、ラジオや雑誌で宣伝していれば大きな反響があり話題にもなったのに、


今はインターネットやモバイルという接点に広告したほうが届く、というような。



でもね、時代から距離を置いても人の匂いや生活の息遣いが感じられる街区には、


またぽつぽつと人が還ってきます。


かつての大名や紺屋町みたいに。 金沢ならば新竪町みたいに。 面白い小さなエリアはあるし、


それが好きな人たちもいます。 



バイパスを通るクルマに向けて、道路標示を出せばいいだけなんです。


その限られた道標看板スペースに、何を謳うか、それが重要なんです。


道標を見てウインカーをあげ、旧道にやってくるクルマは、いずれまた少しずつ増えると思います。


旧道=かつての目抜き通り は、昔の街道筋のように、味わい深い佇まいで居心地がいいかも。



時代は、プラットフォーム戦略が主流ですが、


私は、その先の毛細血管のような部分に興味があるのです。

唇からよだれ

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先日、平戸に行ったらば、なんだか懐かしい雰囲気のお店を発見!


当時の芸術酒場のごたる。


エコールドフクオカの桜井しぇんしぇい とは関係なかろうけど、


そんなこともふとよぎりました。


博多ホメホメ新聞 博多ホメホメ新聞 博多ホメホメ新聞

母のオルガン

テーマ:

母が弾いていたオルガンがリストアされて妹の家に居りました。


弾いてもらった讃美歌が室内に響きます。


小さなオルガンが、荘厳に力強く鳴ります。


懐かしいオルガンには、気が付かなかったけれど


ちょんまげ姿の人がオルガンを弾いている装飾絵が描かれていました。


修理をしてくれたオルガン職人の方のお話ですと、


オルガンを開けた中に書かれた製造番号から、明治時代に作られたものだったことがわかりました。


曾祖母から代々伝わるオルガンを、妹やその娘が弾き鳴らしていくのですね。


私は、ずっとこの音を聞いて育ちましたから、オルガンの音色が大好きです。



博多ホメホメ新聞

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昇華

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企業内外のコミュニケーションにおいて形骸化が散見されます。 
 
 
キャッチボールと同様に、取れるボールを取り損なったらエラーです。
 
よく確認せずに早合点をして誤解釈すれば、それは受け手のミスです。
 
 
一方、暴投は投げる側のミス。相手が手を伸ばしても動いても取りにくい球を投げては意味がありません。
 
細かい字の数ページに及ぶ書類を、不案内な相手に投げ込んで、相手が理解できなかったとしても、それは情報の送り手のミスです。
 
 
コミュニケーションもキャッチボールも、まず相手に届けたいという思い遣る気持ちが無くては、何の意味もありません。
 
かつては“見て見ぬふり”も、ひとつのコミュニケーション技術でした。
 
今は、もっと積極的に関わって、コミュニケーションによる相互協力で、新たな局面を切り開いていく時代です。
 
本来、コミュニケーションはもっと自由に膨らんでいくものなんです。

選択

テーマ:
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実家に新年の挨拶に伺って

鰤雑煮や刺身や酒などで

いつものように、わいわい賑やかに。


言ってしまえば、

ただみんなで飲食しながら会話しているだけ

なのですが、

家族は人数が多いほど

なんだか楽しいんです。


先の三家族での家族旅行も

ザ・御一行様 なスペシャル感があったのは、

やはり大人数だったからだろうと思います。


時代は少子高齢化、多くは単身世帯、

無縁社会とも言われています。

絆に対する飢餓感はシェアハウスなどの住まい方にも見て取れます。


新聞やテレビで目にする市井の声には、震災後明らかに変化を感じます。

経済至上主義、成長至上主義ではなくなった実感があります。

振り子が方向を変えた瞬間、手元で僅かな角度を帯びた方向が

長い懸垂糸の先では大きな違いとなって現実化します。

今このときの小さな兆しをとらえて、しっかりと地に足をつけて歩いていきたいと思います。


一刻一刻の選択の先に、私たちの頼もしい未来が広がっています。