前回、柳川藩初代藩主立花宗茂の夫人誾千代の話をしました。


病気になった誾千代夫人を夫の宗茂が大切にしたのは、戦国の時代には必ずしも当然とは言えなかったかも知れません。


さらに、200年以上も経った頃に、第九代藩主が、初代藩主宗茂とその父道雪と共に


誾千代を祀る三柱神社を創建したのは、それ以上に異例の感じがします。


ところが歴史読本2010年3月号で、山名美和子「動乱を駆け抜けた女城主・女武者たち」の中の


「家名と夫を守るため命をかけた立花誾千代」を読んで、


立花家では遠い子孫も誾千代を大切にしたのはもっともだと思いました。


関ヶ原の戦いで敗れた西軍に組していたため疲れきっていた宗茂とその部下たちを、


誾千代はただちに救出に向かい、柳川城に連れ帰った。


さらに、すぐさま甲冑を着けて出撃、宗茂に開城を求める加藤清正の2万の兵の前に立ちはだかった、というのです。


誾千代は、「わたしの命にかえて、夫をもう一度世に送り出したまえ」と渾身の願をかけ、34歳で生涯を終えた、と山名氏は書いています。


さらに、秀吉の朝鮮侵略に宗茂も出兵させられた時、秀吉は美貌の誾千代をわがものにしようと名護屋城に呼び出した。


誾千代は、侍女に鉄砲で護衛させ、自身は長刀を構え鉢巻・襷(たすき)がけで進み出て、


秀吉にあきらめさせた、とのエピソードも伝えています。


藩祖宗茂のためこれだけの献身をした誾千代夫人なら、宗茂とともに神社に祀ったのも頷(うなづ)けると思います。

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サイズ

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決してデカいことだけが

いいわけではないと

実感しています。

馴染めるかどうか

心地よいかどうか、

それが重要ですね。


大きな組織を

内側から こっそり覗かせてもらうと

つくづく思います。
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超越

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痛い目にあったとき、

例えば体重の乗ったストレートを受けたら、

無意識に体を交わして

急所を外すだろ?

あれも受け身だ。

ある事実を突きつけられたら

リフレーミングするんだ。

物事や出来事は、

必ず長短をあわせもつ。

それ自体に良し悪しは無い。

マイナス面を指摘されたら

プラスの面を指し示してみせる、

これがリフレーミングという

受け身の高等テクニックだ。

押し切られる必要はない。

新しい視座を披露して

うっちゃるくらいの勢いで

逆転していく機転と

気持ちのゆとりが必要だ。

現実は選び取っていけるもの。

陽気に構えて

軽やかに転換していこう。

受け身を覚えたら

どんな事実も怖くない。

全く別の角度から

照射することで

足元に落ちる影は、

円くも 角にも 変わる。

相手が思いも寄らない視座を見つけて

鮮やかに反転させてみせるのだ。

たとえ相手が運命だろうと、

そこから現実を変えていく視点が必ずある。

居着いてはいけない。

アングルを変えて

一番美しいきれいなポイントを探せ。

それには、場数だ。

人は本来、日に日に進化していくものだ。

来るもの拒まず 去るもの追わず、

悠然と超越していこう。
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魚神

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その昔、まだこの辺りが海だった頃に、

巨大な魚がおったそうな。

幾たびかの天変地異を経て

いつしか此処は陸地になったと。

魚神と畏れられた巨大な魚は

その後も地中を泳いどったそうな。

いつかまた大海原を跳ね飛びながら

大きな水しぶきをあげて

泳ぎ回りたいと願いながら。

陽の差すことのない地中で

泥を押し 土砂をわけ

光の差す水面を目指して

力の限り 泳いだそうな。

幾年も時間が経って

やがて村人は、

此処が海だったことも

巨大魚がいたことも

忘れ去ってしまった。


やがて、時代は移ろい

大きな地震が何度か訪れた。

数百年の月日を隔てた或る晴れた月夜に

大地を揺るがす地響きとともに

大きな岩が隆起した。

巨大魚の頭の部分が遂に地表に現れたのだ。

村人たちは、いにしえの言い伝えを目の当たりにしておののいた。

いつか満月の晩に

巨大魚が大地を裂いて現れる、という伝説が

今、起こったのだ。


それからというもの、

兜岩と崇められた巨石に願をかけにくる人が

引きも切らずに続いている。

諦めずにあがくことで、明日が開けると信じる人たちが

巨大魚の執念にあやかりに参拝に訪れた。


やがて時代は移ろい

しゃにむに頑張ることが

馬鹿らしく思えたり、

気恥ずかしくなったり、

愚かしいと感じてしまう風潮が

社会に広がった。

地上げした土地を転がすだけで

一夜にして大金を掴むものが大勢いた。

この辺りは、古くから

大陸との交流があった由緒ある土地だが

今や こんな田舎町さえ

ビジネスの標的にされる時代になった。


いろんな時代が去来するなか

今も兜岩は時代を見つめている。

バテあい?

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今日は早めに帰宅した。


玄関を開ける前から上の子のピアノの音、


下の子は明日の準備、


手を洗い うがいをして 夕食をとる。


子どもたちは、寝る支度をしながら居間をうろちょろ。



ふと見ると、下の子の襟元にかなりの血が固まっていた。


聞くと戦いごっこをしていて、いいパンチを鼻にもらったらしい。


息子に言わせると、こちらは遊びで むこうは本気だったとか。


そして、「上には上がいることがわかった」と笑っていた。



屈託のない子なので心配ないが、どうやら先にじゃれついたのは息子のようだ。


大柄で腕力も強い友達の強さを試してみたかったらしい。


よほど自分に自信があったのだろうが、妄想が醒めてよかった。





博多のケンカは、激しく衝突する。互いの意見を臆することなくぶつけ合う。


されど、時が過ぎればケロっとしたもの。あっけらかんと乾いていて気持ちがいい。


まさに、長い歴史の中で培われた国際交渉術なのだ。


ちまちましたことは大嫌いだし、時間の無駄とさえ思う。



細かい世界でこじんまりと悦に入り、やれどうだこうだと したり顔で解説している輩がいると


やけんなん?と、つい馬鹿にしたくなる。 「つまらんね、おまえ」となる。


小さな世界に、つまらないルールをこしらえて、保身しているような連中を見ると


「あ~ぁ、なんかイライラするね」となる。 信頼できなくなってしまう。



九州は、おおらかで だから安心してケンカができる。 


それは信頼関係があるからだ。


信頼関係がなければ良くも悪しくも、そもそも関わりあえないのだ。





※バテ合い とは、博多で殴りあいのことをいいます。



憧れ

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あの頃、憧れた仕事で

なんとか食べています。

好きな人との間に

愛しい子供が生まれて

ドタバタと仲良く暮らしています。

毎日、いいことも わるいことも。



なりたかった私に

かなり近い場所で

感謝して暮らしています。


いつか、それまでの話をしましょう。

祈り

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日々の生活だって確かなものはなく

自分のことすら覚束ない僕だけど、

あなたや あなたとの子供たちや

お父さんやお母さんのことは

ふとした時に 祈るような気持ちになるものです。

だれかの無事や幸せを祈れることは

しあわせな状態だと思います。

覚束ない日々にも

心を安めて 祈りたい相手がいることが

とてもありがたいことだと感じます。



あなたは、だれのことを祈りますか。