アイヲメシマセ

テーマ:

よく冷えたグラスと缶ビール。

とろろ芋の摩り下ろしたものが小鉢に、

じゃことかつおぶしであえてある。

あと、じゃがいもと牛肉のコロッケが2つ。


よく仕事をした晩に、

風呂に浸かって、いつもの晩酌だ。


ビールを小さめのグラスに満たしてゴクリッと呑る。

コロッケを箸の先でつまみ口に放り込む。

歯の先でサクサクッと音がたつ。

うまか~!(しあわせ色の花が咲きますぅ~!)

僕は、こんなとき至福の気持ちに満たされる。

コロッケの美味さはもとより、この何とも心地よい歯ざわりだ。

揚げ物の命は、この歯ざわりで、これを出すには

絶妙の油温度とタイミングが必要なのだ。


簡単そうな料理ほど奥が深くて難しい。

こんなコロッケは技術や経験だけでは揚げられない。

サクサクッと食べながら、ゴクリッとビールを。

こんなときに心の底から参っちゃうんだな~、

この人と遭えてよかったなぁ..って。





昔の日記に、我ながらゴチソウサマな気分になりました!

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この国は、


誇(ほこ)りと 畏(おそ)れを


失ってしまった..のでは、あるまいか。


今回のJRの事故で、100人以上が命を落とした。



誇りとは、自らの内側にある価値基準に照らす心の姿勢。


決して、外から押し付けられた価値観や基準や評価を意識することではない。



畏れとは、目に見えない場の力や気の流れや、自然のうちに宿る意思を


感じ取る心の姿勢。


人間の考え出した科学や哲学の域を超えた、


まだ解明されていないところの力を予感する澄んだ感性が必要だ。



誇りと畏れを、もう少し取り戻せたなら、ぼくたちの住む世の中は、


ちょっと、良くなるかも、知れない、と思った。

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貧乏暇無し

テーマ:

忙しい。


忙しいと帰宅が遅くなる。


だから、


自然と、外食が増える。


..外食すると、金が掛かる。



毎日、忙しく仕事をすれば、


毎日、外食する。


ただでさえ、割高な外食を、


夕飯代わりに食べるとすれば、


やはり酒は付き物だ。



こうして、暇無し且つ貧乏に陥る。


俺は暇無し貧乏だ。



暇無し暇無し忙し忙し


ひまなし ひまなし いそがし いそがし


そして、どんどん、貧乏に..


びんぼう びんぼう


ひまなし ひまなし 


びんぼう ひまなし びんぼう ひまなし..

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兜蟹

テーマ:
あるや? カブトガニ、見たこと。

違うて、野生のたい! 

...なかろ?

俺、あるじぇ。

ほんとて。

(なら、どこでや? ゆってんやい)

ばーか、香椎浜で たい。

ほんとて。

...なら、お前、あれ どっちが前か、知っとおや?

..やけん、尻尾みたいのがあろうが、あれが前か後ろか、たい。


(.....)


わからんめいもん。

お前、あれ尻尾と思うや? 角と思うや?


よかったぁー、香椎浜で兜蟹 見てから。





僕の子供時代には、香椎川でウナギが獲れたし、

青果市場から海へと続く道は、まだ舗装もしていない

砂利道だったんだ。

海を埋めるために、大きなトラックが砂煙を上げながら、

何台も何台も通っていく、そんな砂利道だったんだ。

秋にはコスモスが咲き、また夏が来ればセイタカアワダチソウが、

おそろしく生い茂る。虎縞のジョロウグモがたくさん居た。


中学2年から、大人に隠れて煙草をふかしていたのも、

あの埋立地さ。

友達と75円ずつ出し合って、150円のセブンスターを吸った。

埋め立てが進んでも、香椎浜には遊べる海があったなぁ。。。




やけん、ほんとて!

やけん、香椎浜でたい!!

昔たい、昔!

まだ、貸しボートとかあった頃..
子供って、ものすごく活発に運動して、

ぱたりって、寝ちゃうよね。

この前も、そうだった。

クルマの中で寝ちゃってさ、ふたりとも。

仕方ないからスーパーで家内が買い物してる間、

俺が一緒に付いてたんだよクルマに、エアコン掛けて。


こっちも、いい加減、眠くなってきてさ、

寝ちまった訳よ、シート倒して、子供たちと。


そこそこ寝てたと思うぜ。

何かのはずみに目を覚まして、

首の後ろで組んでた腕をはずしたらさ、

ドサリッという感じで、俺の脇腹かすめて落ちたのよ、腕が。

やべっ!全然腕に力が入らない! っつーか、俺の手、組んだ指の

型が付いてるじゃん、しかも鬱血して紫色になって!


何十分か知らないが、

重い頭を預けていた、首の後ろに組んでた手は、

まるで言うこと、きかなくなってた。

それどころか、血の気が引いて、痺れも感じないくらいだ。


あ゜-! やべ、やべっ!

そうこうしているうちに、痛痒いような感覚が手のひらに戻ってきて、

寝呆け&焦り の心境で繰り返す、グッパッ、グッパッ、グッパッ..

やがて自分の意思で動かせるくらい回復したんだ、腕がよぉ。


些細で小さなことだけど、焦ったわけよ。

最近、焦ったこと、ある?





「劇団あとむ」の公演を観た。

 

素晴らしかった。

 

 

柔軟でよくトレーニングをしてある切れのある身体、

 

発声はもちろん、音楽はすべて生声のアカペラで、

 

それだけでもプロとしての魅力を感じる完成度の高いものだ。

 

ジャグリングといい、セリフとともに繰り出される手話といい、

 

素晴らしい舞台だ。

 

 

彼らには、ぜひ英語を覚えてもらって、海外で活躍して欲しい。

 

きっとブロードウェイに近いところに居ると、僕は心から信じている。

 

 

つかこうへい、野田秀樹、いのうえひでのり、松尾スズキ、東憲司..

 

九州は、多くの演劇人を輩出している。

 

長崎出身の若手俳優や音楽のクニ河内(福岡出身)らが活躍しているのも

 

僕には好ましい。 



あとむ は、きっとスゴイ劇団になるぞ。


どなたか、もっと、あとむ を!


あんなに素晴らしいんだ。NHKの教育でレギュラーになれば、いいのに。


..だけど、劇団の人って、心意気が大事だから、そんなふうに運ばれても


いやなんでしょうね、きっと。

すかんぽ

テーマ:
いたどり(虎杖)という春の季語になっている植物、
 
紅褐色で、空洞の茎のせいか、ポンッと折れる。
 
出血したときに患部にすり込むと血が止まり痛みも取れるとのことから、
 
「痛取り」の名が付いたとも。
 
 
こどもたちと近所の人と、近所の広場に集まって森に入る。
 
我家の3歳児が同行できるくらいだから、ほんとにすぐ近くなのだが、
 
この季節、山鳥がおのおの美しい声で楽しげに鳴いて、
 
緑はもりもりと生命力豊かに湧いてくるように繁って、
 
青空のもと、すぐに汗ばむほどだが、身体が森全体を呼吸して、
 
生命力を増すような癒しを感じながら、僕らは歩く。
 
 
今日は、近所の人達と、山菜を摘んで食べよう!という
 
ささやかな催しがあるのだ。
 
日頃、畑をやっている人達の集まりで、子供たちも喜んでいる。
 
 
土筆、ぜんまい、藤の花、筍、そして、すかんぽ..
 
すかんぽの皮を向いてかじってみる。
 
すっぱい!水分が豊富で、喉が乾いたときに
 
ちょいと齧るにはいいかも。僕は、初めてもぎたてを齧った。
 
 
僕らの住んでいるところは、この手付かずの山野が
 
すぐ近くに残っているところが、ありがたい。
 
例えば、せり。これは普通に自生しているのだが、
 
わさび程ではないにせよ、水がきれいでなくては
 
自生しないらしいのだ。今回は、バケツ1杯ほどだが
 
短時間で子供たちとたくさん採った。
 
 
筍だって、普通の筍より少し遅れて取れる破竹の
 
細めの筍は、掘らなくてもポキンッと折ってきて、
 
茹でて食べるときめ細かくて最高においしいのだ!
 
今回は、ちゃんと道具を使って、地下茎から掘り起こした。
 
剥いた皮は畑に撒く。これとて自然肥料になるからだ。
 
自然のものは、自然に還る。
 
 
公民館に持ち寄って、女の人達が料理してくれる。
 
ふきのとう、藤の花などのてんぷら
 
せり、三つ葉、すかんぽ、きんぴら
 
寒干大根、、竹の子、こごみの白さえ
 
切干大根、山菜おこわ..
 
おこわは、去年収穫したもち米で。
 
 
ビールも冷えているし、
 
焼酎や日本酒も用意してある。
 
料理を担当する奥さんたち、
 
切り出した竹に空気孔を開けて
 
かっぽ酒を火にくべる男連中、
 
楽しそうに集まって食べるこどもたち..
 
 
これぞ、地域の醍醐味だし、
 
食育(スローフード)ではなかろうか。
 
駐在さんも来てくれた。
 
腰にピストル、制服姿なんで、
 
さすがに酒は呑んでなかったけど。
 
 
酸っぱいすかんぽのこと、
 
道すがらタンポポの茎で草笛を鳴らしたこと、
 
お父さんたちが掘り起こした筍、
 
お母さんたちが作った和え物の味、
 
笹を切り出すときに摘んだ野いちごの甘酸っぱさ、
 
鳥の鳴声、青空、谷を渡る風..
 
 
ぼくは、こどもたちと過ごした
 
このたった一日が、とても愛おしい。
 
 
種もみ蒔きを終え、
 
土作りをしたら、
 
今度は、田植えもあるよ。
 
楽しく土に触れ、うまいもん喰らおうぞ!

続・長寿十訓

先に、江戸時代の横井也有という人の

長寿十訓について書きましたが、外国でも

こんなことを言っている人がいます。

 Fear less, Hope more;

  Eat less, Chew more;

  Whine less, breathe more;

  Talk less, Say more;

  Hate less, Love more; and

  All good things are yours.

                     John Fisher

  恐れは少なく、望みは多く; 
 
  食べるのは少なく、噛(か)むのは多く; 

  泣き言(ごと)は少なく、息を吸い込むのは多く; 

  おしゃべりは少なく、語るのは多く; 

  憎しみは少なく、愛するのは多く; 

  さすれば良きことは皆あなたのもの(翁の仮訳)

 ジョーン・フィッシャーは、横井也有より1世紀あまり

後の、英国が七つの海にユニオン・ジャック(英国旗)を

翻していた時代の、英国海軍の提督です。やはり

お医者ではありませんが、横井也有の長寿十訓と

似ていますね。

 恐れは少なく、望みを多く、楽天的に暮らし;

 食べ過ぎを避けて、少しのものをよく噛んで食べ;

 泣き言を言いたい時には、深呼吸して気を落ち着け;

 無意味なおしゃべりはなるべくしないで、

 意味のあることを語るようにし;

 憎むことは少なくして、愛することを多くしたら;
 
 心にも身体にもいいだろうと思います。

 横井も、フィッシャーも、人物ですね。そして、

幸せな人だと思います。 わかっていても、なかなか

そうはゆかないのが、人生ですから。 でも、こういう

言葉を時々思い出してみるのも、無駄ではないと

思います。

長寿十訓

翁(おきな)が福岡市東区千早に住んでいた頃、近くの

千早病院の待合室で、長寿十訓と書いた紙を見ました。

その後転居したので、その病院には行かなくなりましたが、

今でもあるかも知れません。 次のようなものでした。

 一 少肉多菜  二 少糖多果  三 少煩多眠

 四 少言多行  五 少衣多浴  六 少塩多酢
 
 七 少食多齟  八 少怒多笑  九 少欲多施
 
 十 少車多歩               横井也有

 横井也有は、江戸時代尾張藩の重臣で、俳人でも

あった人です。 お医者ではありませんが、

「肉は少なくして野菜を多く食べ、

 砂糖は少なくして果物を多く摂り、

 煩い(わずらい)は少なくして良く眠り、 

 言うことは少なくして行なうことを多くし、

 厚着をしないでまめに風呂にはいり、

 塩はなるべく控えて酢を多く摂り、

 食べる量は少なくしてよく齟(か)み、

 怒ることは少なくしてたくさん笑い、

 欲を控えて施しを多くし、

 車にはなるべく乗らずにたくさん歩けば」、

確かに健康にいいだろうと思います。

 
岩波書店のシンボルマークは、種蒔く人、だ。

 

書物は、種。いずれ花が咲くということか。

 

このことに、長いこと、気づかなかったなぁ..

 

 

..実は、さっき風呂に入っているときにぼんやりと

 

ビートルズのHappiness Is A Warm Gunを口ずさんでいたんだ。

 

この曲、僕が高校生の頃によく聴いていた曲で、今さらなのだが、

 

 

変拍子の利いた名曲なんだ。

 

 


これまでは、ただ何となく口ずさんでいたのだけれど、

 


たまたま今日は、どこかで譜面を意識しながら唄っていたみたいで、

 


変拍子の面白さに気付いてからは、思わず浴槽のヘリを叩きながら

 


拍子を確かめながら頭の中で拍数を数えたりしていた。

 

 

 

そもそも何十年も前から知っている曲を、こんな風に確かめてみたのも、

 


最近、ピアノを少しだけ、触っているせいなのかも。

 


ここ数年、毎年秋には娘の発表会に連弾で参加する。

 


子供の曲だから、小学校の音楽くらいのレベルだし、難しいことは

 


ない。(僕には毎年大苦労なのだが..)

 

 

 

では、なぜこの歳でピアノに素直に向かえたかと言うと、

 


幼少の頃に、ほんの数ヶ月ほど、教わった時期があったり、

 


クラシック音楽が好きな母が、いつもピアノ協奏曲をステレオで

 


聴いていたりしていたことが、今頃になって利いてきたのだと思う。

 


ちょうど、昔蒔いた種が、今頃発芽するみたいに、ね。

 

 

 

つまり、音楽でも運動でも工作でも料理でも、

 


算数でも理科でも歴史でも古典でも地理でも何でも..

 


できるだけ様々な種を、自らのうちに蒔いておくことで、

 


こんなに後になって芽が出ることもあれば、ひょっとして

 


花を咲かすことだって、あるかもしれないのだ。

 


小さな花でも咲けば小さな実を結ぶ。

 

 

 

気付かなかったなぁ~。

 


勉強する意味が分かんなかった、当時は。

 


若さゆえ観念的に成り過ぎていたせいもある。

 


結局、勉強する意味を見つけられずに、

 


結果、勉強はしなかった。

 


さりとて、同じ理由で、なにもしなかった。

 


したいことをする、という動機よりも、意味を探すことが

 


重要に思えたし、まぁ何とも贅沢で甘ったるい最も恥ずかしい

 


時期でもあるのだ、思い返すだけでも。

 

 

 

幸い、少しばかりの種を、それとなく周りの人が蒔いてくれていたようで、

 


父や母や兄弟や友達のお蔭で、わずかばかりだが、少しくらいは

 


芽が出てきたし、そのうちの僅かは小さいけれど花を咲かせてくれた。

 

 

何でも経験するときには、そこで完結するかのような、せっかちな

 


考え方はやめにして、何十年か先にやっと芽を出すかもしれない

 


という、おおらかでロマンティックなイメージがなくてはだめなのだろうなぁ。

 


勉強と思うと、得てして難しくて面白くないという貧素な感覚を覚えるが、

 


私という畑に種を蒔いていると思えば、収穫も楽しみだし、

 


種だって選びたくなる、というものだ。

 

 

 

僕の畑は、なかば物覚えも悪く、アルツハイマーがかってきた古びた

 


脳みそだけれども、まぁ気に入った種を見つけたら、一応蒔いてみようと

 


思っているところです。