鳴門から池谷までの電車は、ほんとに本数が少ない。

池谷で乗り換える連絡も21分待ちだ。

やってきた電車のドアを手で開けて乗り込む。

長い時間を掛けて目的地まで。どの駅も、小さく素朴だ。


昔仕事で、毎週のように通った町も通る。

合併のため、その町は市になっていた。

とても懐かしい思いがして、その駅から乗り込んできた

学生と話がしたいような、そんな暢気な心持ちになる。


それから、知り合いのデザイナーの故郷の駅を通り過ぎる。

ここでも、彼女の実家である喫茶店で、お茶でもしてみようかしら?

と、とても人懐こい気分が起こる。


1時間半ほどの鈍行の旅を満喫し下車。

少し歩くと源平合戦で有名な屋島寺のふもとへ。

骨付き鳥で有名な店で「親」とビールを頼む。

この店では、柔らかい「雛」と、歯ごたえのある「親鳥」を選べるのだ。

久し振りの其れは、ジューシーで独特のスパイシーな味付けだ。

時間がないので、コラーゲンの豊富な鶏スープも注文することなく

昼食を終え、呼んでもらったタクシーに乗り込み、いざ目的地へ。


果たして着いたのは、イサム・ノグチ庭園美術館だ。

美術館や博物館などの最大の魅力は、本物を間近で見られることだ。

それが、不味かろうが巧かろうが、本物に触れるのは、やはり良い。

アフリカ産の石と地元の庵治石との調和を見せるタワーや、

18個のパーツから成る、太陽をイメージしたリング状の作品など、

どれも石の持つ個性的な表情を活かした見事なカタチたちだった。

スタッフに見つからないように、こっそり掌を当てると、

屋内の作品や日陰の石は、ひんやりと冷たく、

案外に、日の当たっている石は温もりを抱いていた。


イサム・ノグチは、徹底して「帰属」にこだわった作家だ。

英文学者で詩人の野口米次郎と、作家レオニー・ギルモアとの間に

生まれ、割り切れない「帰属」を内包しながら自我が育ったせいかも

知れない。少年期は日本で育つ。渡米した後、医学部に進学するも

途中で彫刻家を志し、彫刻家ブランクーシの助手をつとめたのち、

ニューヨークを拠点に、肖像彫刻、舞台美術をへて環境彫刻や

ランドスケープ・デザインにまで幅広い活動を開始する。

戦後は日本でも陶器作品や、和紙を使った「あかり」のデザインなどを行い

(この「あかり」は、まさに石でやったことを和紙で再現したようなフォルム

だ! 内照する形を積み上げたような行灯が自立したり天吊りされたり..)

丹下健三、猪熊弦一郎、勅使原蒼風、北大路魯山人、岡本太郎など、

当時の前衛芸術家たちと交流して刺激を与えあう。

山口淑子(李香蘭)と結婚もしたが、その後離婚してしまう。


春と秋の年に2回、数ヶ月間ずつ来日(帰国)しては、

僕が見上げるあの石切り場を、この場所から見ていたのだろう。

そして、さっき見たあの蔵で、孤独に石と向き合いながら玄能を振るった

のだろう。錆びた鑿(ノミ)が何十本と置かれていたし、

石に線を引いたチョークが箱ごと残されていた。

彼が暮らした古い日本家屋は、とてもモダンでなんとも粋な空間構成だが、

床下暖房など随分と手を入れて住み易い工夫をしていたとのことだ。


美術館は火・木・土曜日午前10時・午後1時・午後3時の一日3回(約1時間)

しか公開しておらず、申し込みは往復葉書での申し込みが必要だ。

それでも、その日は年配のご夫婦や、乳児を連れた若くてお洒落な夫妻、

女性同士の見学者など十四五人は来ていた。


懐かしい町をあとにして、高速バスで淡路島を抜ける帰り道、

なんとも心地の良い一人旅を振り返る。

のんびりした雰囲気、親切なタクシーの運転手さんや食堂のお姉さん..


そんなにお洒落過ぎもせず、そんなに澄まし過ぎもせず、

特別カッコイイ訳でもなく、効率的で利便性が高いとはおよそ言い難い

その町は、とても心地よかった。


カッコイイとか便利とか、それもいいけど、

少々不便でも洗練されていなくても、居心地がいいことが、

一番じゃないかな?

スローフードとかスローライフとか言い出すと浮ついてしまうけれど、

他人の価値観なんかじゃなくて、そこに暮らす自分たちの心地よさを

大事にしている町に居ると、自然と優しい気持ちになってくる。

九州という島は大好きだけれど、四国という島も好ましい。


好きな場所が在るというのは、ほんとうに嬉しいことだ。

イサムには、そんな場所があったろうか?

これからも、僕は、僕が好きだと思える場所や人やモノとの出会いを、

楽しみにしている。

「好き」という感情は、僕にとって、とても大事なことだから..


みぃ~つけ、た!
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近所に、ささやかなくぬぎ林がある。

紅葉の頃には、駅前のパン屋の帰りに必ずここでつかまる。

駅前とて、店は4、5軒しかなく、

どこも7時くらいには閉店してしまうのだが。


マロングラッセか何か、上等の洋菓子みたいなデザインの

くぬぎの実は丸くて大きい。

チュッパチャップスのキャンデーくらいかな?

絶妙のカラーリングで実本体より、やや薄み掛かった

毛糸のようなデザインの、もじゃもじゃの帽子を被ってる。


マテバシイの実は、きれいな女性の爪の様なカタチ。

コナラは、もっと小さくて..

ウバメガシやシラカシは、いわゆる、童謡の「どんぐりころころ」を

連想するような、典型的なドングリ状(?)のフォルム、だ。

同じカシでも、アカガシの実はぷくんと丸い。


実も好きなのだが、ぼくがたまらなく好きなのは、

どんぐり拾いをしているときの

あの落ち葉を踏み分けて歩く音と、くぬぎの葉が敷き詰められた地面だ。

軽く水分を含んでいるためか、落ち葉といってもきれいな発色だ。

それでいて、踏み歩くと、バサッ ガサッ と心地よい音が聴覚にとどく。

手に取ると、しっとりして、なにより、とても美しいウォームブラウンの

グラデーションを見せるのだ。どれ一枚も同じ色がない美しさ。

僕は、革靴を買うときも、革の財布を選ぶときも、

いつもこの色を探してしまう。

明るめだけれど、使うほどに深みがまして、いい味が出るのだ、

こんな色の革は。


この間、大きな仕事を片付けたときに、

くぬぎ色のウォレットを自分の為に買った。

一生使って、いい色に仕上げていくつもりだ。
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お元気ですか?


アレッシーの檸檬搾り器で、

レモンを絞って、トロリと糸を引くように凍った

タンカレーのジンで、ジントニックを作って2杯空ける頃には、

とても手紙を書きたくなる程、独りぼっちでした。


博多は、元気にしてますか?

とても心配です。




もう、アルド・ロッシは逝ってしまい、

彼の設計したホテルにあったクラマタのバーも閉鎖したようですね。

僕は、出来たての其処を訪れて、スイートルームまで取材させてもらった

ことを想い出しました。もちろん、ステイも経験しましたし..


スタジオ80の内田繁氏のデザインした家具や照明は、

どれも素晴らしかった。

北海道で名を馳せたジャスマックであろうと、博多を面白くしてくれるのなら、

大歓迎でした。


なんといっても、マイケル・グレイヴスのドローイング集が

欲しかった、当時。

アレッサンドロ・メンディーニなど、メンフィスのメンバーには、

とても注目していましたから..


あの頃の僕は、空間をデザインする仕事をしていました。

遠からず、されど当たらず。

そんな時代を経て、今に至るワタシなのでした。
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或る書斎のおもひで

テーマ:
高校生だった私は、その日も其処へ居た。

先生がいらっしゃるまで、書斎の中の大判の本の背表紙を、

ただ何気なく眺めたり、低い机に置かれた灰皿の四角い焼物を、

みつめたりしていた、ように思う。


まもなく先生は、その低い照度の、なんとも落ち着いた書斎に現れて、

ゆっくりとお茶を淹れてくださるのだった。

ゆっくりと丁寧な作法で、おそらくは何十年もそうしてきたであろう

手順と手つきで、私のような高校生に、おいしいお茶を。


青くさい質問やら、未熟な態度に、本来なら辟易してしまうはずなのに、

先生は怒るどころか、大事そうに全く真正面から私の相手をしてくださった。

なぜ、あんなに大切にして頂けたのか、今でももったいなく有難く思う。

先生は、その人の歩んできた道程さえ写すような

ポートレートを撮ることで知られている。


片山先生、お元気でいらっしゃいますか?

私は、今でも、あの照度の低い、とても静かな書斎のことを、

想い出します。

上品で高価な器に頂いた一服のお茶。話を聞いていらっしゃる時の、

とても優しいまなざし。時折見せる眼鏡の奥のとても厳しい眼光...

摂三先生の生きる姿勢を、あれから何十年も経った今頃、想い出すことが

あります。


私も、私の間合いで、人と関わっていこうと思います。
国の内外を問わず、よく聞かれる諺に、

「胃袋を制するものは、男を制す」的なものがある。

男は、心地よく癒され美味しい食事のできる場所へ帰ってくる。

つまり、恋愛の大きな勝因は料理だ!てな諺。

かく言う私も、まさに家内の手弁当に仕留められた(?)くちで、

お弁当の美味しさにすっかり浮かれてプロポーズしてしまうのでした!

(あとで聞くと母、祖母と三代合作だったらしい)


そのお母さんが、

今日はギョーザをこしらえてくれた。

ハクリキコとキョーリキコを水で捏ねて、

3時間ほど寝かしてギョーザの皮をこさえて

それで、キャベツ・白菜・葱・韮・豚肉などを包んで..

しょうが・鶏がらのスープに入れて、シオコショーを少々。

ブロッコリーの新芽をテキトーに入れて、出来上がり~!

これが、もっちりしていて、しっかりとした歯ごたえで、

まさにご飯になるんですぅ。。。

この時節には、さらに美味しく感じられるのだ-!


ところで、小麦粉って、何が強力粉で何が薄力粉なのか、ご存知ですか?

小麦粉に含まれる蛋白質は、主としてグルテニンとグリアジンです。

水を加えてこねると、2つの蛋白質は互いにくっつき、グルテンになります。

このグルテンがよく伸び粘りがあるのが強力粉ということらしいです。


学生時代、台湾料理屋の出前のバイトをしていた時期がある。

冬でも肌着に、ブルースリーみたいな組紐ボタンの服一枚で、

岡持ち提げて市役所まで自転車を漕いだ。

寒かったなぁ~、ちょうど今頃..

蓬莱閣は、まだ健在だろうか?

貧乏学生の俺が性に合わないバイトをしてたのも、

あそこの賄い飯が、俺のイブクロ、掴んでたから?
よく自嘲気味にそう言ってた割には、いつのまにか巨大化して

なんとも傲慢に堕してしまったのでは?

僕の世話になった報道部の記者やアナには、いい人もたくさん居たのに..


1994年10月4日、22:23頃、

釧路沖でマグニチュード7.9の地震発生!

まず、リアルタイムでNステが余震の中、東京での揺れを震度3と伝える。

民放各社では、アルバイトや嘱託社員のヒステリックな怒鳴り声をバックに

報道が発信される。


一方、協会は、

それまでの番組を一斉に切り替えて、

釧路・札幌・帯広・函館という随所より生の声と映像情報が、

的確に迅速に届けられている。

災害を防ぐための火の元の注意、現状を把握するための気象庁のデータ、

街の様子、行政や警察の対応を伝えている。


好奇の目で、他人事のように、「ケガ人は?、事故は?」と

現地の局に質問を浴びせる民放とは、やはり質も格も違う。

仕事をするなら、こんな仲間がいい、とつくづく思った。


画面を通して、

金儲けのためでなく、本当の「仕事」をしている

市役所や警察署や消防署や気象台や放送局の人たちの姿が、

伝わってきて、北海道の人たちの安全を祈りながら、

当時の僕は、こんなふうな日記を書いていた。

僕の生まれ育った福岡は、

フグのことをフク=福と呼んで親しみ、

美味いフグが、(ここが大事なのだが)安く!たらふく

食せる町なのだ!


..と、ここまでは

いつもの調子で地元を礼賛しているのだが、

今日はね、ちょっと、ためになる話。


フグって、漢字で河豚と書くでしょ。

では、海豚と書いて、なんと読むでしょう?

これ、イルカって読むんです。

早合点しないでね、ためになるのは、これからだから。



熊本は、北天草に野生のイルカが住みついているんです。

さほど大きくない漁船みたいな船で、イルカウォッチングもできます。


ザヴァー、ザヴァー、ヴァザー..

うっかりしていると、体が跳ね上がって海に放り出されそうな、

船独特のうねりのある加速を受けて、腰掛けにニーグリップを利かす。

船着場を離れてどれくらいかな、急速に船の速度が落ちていく。

船を操舵する父ちゃん、浜で切符をもぎる母ちゃんの、

同じような家族経営観光船が数隻、波間に上下している。


次の瞬間、グレートーンのイルカの群れが視界に飛び込んでくる。

なんとも言えない、可愛らしい鳴声、その流線型の生き物は自在に海面を

進んでいく。30頭くらいの大きな群れだ。ちなみに、全体では

実に約300頭ものイルカが生息すると言われている。


イルカたちは、船に寄り添うようにして併走してくる。

時には、先導するように数頭が互い違いに波を切りながら、

時には、纏わり付くように船側をホップしていく。

彼らは、遊んでいるらしい。 遊ぶんだね、バンドウイルカは。

動物界-脊索動物門-脊椎動物亜門-哺乳綱-獣亜目-真獣下綱

-クジラ目

だけど、ホモ・ルーデンス同様に、遊ぶのですよ彼らは!


それでね、ひとしきりイルカと遊べる北天草は、僕の大好きな場所

なんだけれど、機会があったら至近距離でよくイルカを観てほしいのです。

グレートーンのバンドウイルカ(ボトルノーズ・ドルフィンという)の鼻、

まるで擦り剥いているみたいに、ピンク色なんだよ。

つまり、豚の鼻そっくり! ホントにあれを観たら、なるほど海豚だぁ~!

と思います。


古代日本の書物でも、イザサノワケの大神が

「浜に来い、名前を交換した儀式の贈り物をあげよう」と言って

次の日、浜に行くと鼻に傷のあるイルカがいっぱいいたという話があるが、

大昔から海豚は、鼻を擦り剥いたように見えてたってワケだね。


あっ! それから念のために言っておくけど、

ここでいうイルカの鼻は、くちばしの先っちょのこと、ね。

頭の上部にある呼吸孔=ほんとの鼻、のことではありませんよ。

見た目の鼻です、見た目の。


さぁ、では復習してみましょう!

「海豚と書いて、イルカと読む」

さぁ、みなさんご一緒に~!



仁輪加

テーマ:

博多ホメホメ新聞
やっぱ仁輪加といえば、九大農学部出身の日本を代表するロッカー、

鮎川誠やね~。(ご存知ですか、「仁輪加」というアルバム?)


鮎川誠、柴山俊之、SONHOUSE、アレキサンダーラグタイムバンド、

石橋凌、ロッカーズ、大江慎也、花田裕之、ルースターズ、博多パラダイス、

めんたいビート、80'sファクトリー、Lモーションラグ.. ..


なんていうと? 博多はくさ、

やっぱロックやない?

ロケンロールシティっちゅうか、

なんか、分かろ?

そこで、生まれ育ってしまった訳たいね、俺たちは!くさ。

まぁ、そげなこったい!




..ほんとの仁輪加やったら、ここで

「いやぁ、今はくさ、西区が城南区と早良区に分かれて、

ロック(六区)は飛び越えて七区げなたい」


「あぁそうな、この時代にまだ人口の増えよる勢いのある街ちゃ、

やっぱ博多じゃな。ばて、人が増え過ぎるとも考えもんばい」


「そりゃそうたい、人が多過ぎても何かと不便が起きて四苦八苦たい」


「やぁ、四苦八苦(四区八区)じゃ少な過ぎ。

やっぱロケンロールシティだけに、ジューク(十区)ボックスまで

栄ゆるのが博多らしゅうて、よか!」



..てなことを言いながら赤い顔して嬉しそうに酒ば呑む先輩と、

こちらも赤い顔して酒ば酌み交わすような、県人会や同窓会に、

たまに行きよります。

クラゲ、宇宙へ

テーマ:
無数の海月が一斉に、

引力から解き放たれて夜空に浮上していく。

夜の海の、其処此処から一斉に、

スピードに乗って、海月が夜空へ放たれていく。

零れ落ちる水の筋を垂直に引きながら、

仄明るい鼠色や薄青色の海月が、

大きいのやら小振りなのやら無数の海月が、

かすかな月明かりに照らされて、真上に飛翔していく。


かすかな月明かりの下、仄明るい海月の乱舞を観ながら、

ああやって、いのちは、還っていくのだな、と思った。
1995年1月22日、

母の血圧が30にまで下がったとの連絡を、

昨夜21:30の父からの電話で受けた。


まだ暗いうちに起きて、一番機で板付へ。

タクシーを飛ばして病院へ。


駆けつけた病室は、きれいに片付いていた。

名札も外され畳んだ毛布が置かれたベッドが見えた。

間に合わなかった。


博多駅行きのバスを待ちながら、バス停で、泣いた。

雨はあがりはじめ、昇って間もない太陽が

冬の穏やかな日を見守っている。


自宅に帰ると、母の寝ていた部屋に

白い布をかぶせた母が眠っていた。

まだ温かいような、そんな母の体。


1月22日、5:50だったそうだ。


それから前夜式と葬儀の準備に、みんなフル回転だ。

葬儀屋の仕事は荒く、みんなの心を余計傷つけていたようだ。

関係各位への弔電の宛先連絡や葬儀の日時連絡、花の手配、

教会との連絡、仕出し弁当の数のチェック、スピーカーの設置場所の確認、

受付の帳面、オルガニスト決め、プログラム印刷、玄関の靴置きの用意..

仕事は山ほどあり、悲しみに浸る間などない。


それでも、前夜式に訪れた黒装束の人々が故人を偲んで

僕らに一礼していくと、こちらも堪えきれず目頭が熱くなる。

葬儀にしても、賛美歌を歌うときには心が澄んでしまって、涙がポロポロ

落ちた。

葬儀ではスピーカーのチェックなど、かなりバタバタした。

録音を忘れたことを父は悔やんでいた。


火葬場に行き、最後の別れを告げ、一時間半火葬して..

太い角箸で、だいじに だいじに 母の骨を拾う。

白くてきれいな骨だった。


愛するものを取り上げられるのは、愛されないより辛い。

母の死後、父は随分肩の力が抜け、饒舌にもなった。

昔のこと、家族のことを、次々と夜遅くまで話して聞かせてくれた。

あれは、俺に聞かせていたのか。

自分に聞かせていたのか。母になのか..


1月26日の関西空港着の最終便で戻り、

こんな日記を書いていた、あの頃。