もぞらしか~ 。

大好きだった祖母は、そう言って、久し振りに会う

孫の僕等を抱き締めてくれた。

あの強引で苦しいくらいのハグと、「可愛らしい」という意味の熊本弁は、

強烈な祖母の印象だ。


明治生まれの彼女は、英語と音楽が好きだった。

僕の叔父さんは、祖母の背中に負ぶわれて、

子守唄代わりに祖母が唄うシューベルトを聴いて育ったと、真顔で言う。


当時の人としては珍しく、独りで世界各国に出掛けていたようだ。

留学していた頃か、肌着などを洗濯しては、部屋のシャンデリアに掛けて

干していた話などは、何度聞いても強烈なインパクトがあった。

旅先から、その土地土地の絵葉書を書いてよこしてくれた。

好奇心のかたまり のような人で、人からどう思われようが

興味のある対象に遠慮なく進んでいく探究心には、

ちょっと真似ができない強さがあった。


僕の番が来て、今は僕が走っています。

あなたのDNAも、僕をうまいことドライブしてくれて..

次のビークルに無事バトンを渡すまでは、僕が走者。


今日まで脈々と受け継がれ流れてきた遺伝子の系譜を、ふと感じる時、

ちんまい日常なんて些末なことのように思えてくる。

ちょうど、今まで使っていたモノサシが瞬間的に役に立たなくなって、

もっとスケールの大きな価値観をもった長い長い巻尺が必要なのだ! と、

気づくみたいに。


数千年の時間を旅して、今われに託された塩基配列。

神秘と意味を感じずにはいられない。
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サラリーマンの常套句にはいろいろあるが、

『「時間が無かったから」というのは言い訳にならない』と言って

部下を叱咤する上司というのが居る。


いろいろな条件や境遇が違えど、

時間ほど平等なものはあるまい。

その時間が無いのであれば、それも立派な理由であろう。

時間が無い状況を作り出したことには、

反省が必要かも知れないが、

時間が無いことには、できる仕事の嵩もしれているだろう。



時間がたっぷりあったからといって、

手伝ってくれる人が大勢いるからといって、

必ずしも出来上がるものではない仕事を、

私はしている。

むしろ、独りで集中して調子が出てくれば、

案外いいものが短時間に仕上がったりする、ような..



なんと今年は昨日(29日)まで仕事をしていた。

こんな仕事、いったいいくつまでできるんだろう?

体力ではないけど、持ち合わせているエナジーの量は、

おおいに関係するからなぁ...

おっと、それはどんな仕事でも一緒か。


楽して、という訳にはいかないが、まぁ楽しくやっている。

好きなことして、食べさせてもらって、

感謝して、働くことにします。
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失敗をたくさんしてきた。

だから、失敗の「本質」みたいなことも、自分なりに解ってきた。


失敗は、いつ発生するか? ということ。

つまり、どの時点から「失敗」は「失敗」になるのか? ということ。

意外に認識不足だったのは、このこと、だった。


たとえば、道を歩いていたとしよう。

そして、なにかに躓いて転んだとしよう。

ここでは、実はまだ、失敗は生まれていない。

「あれ、こんなところに穴凹が。さては、こいつに足を取られたな」

「よく見ると、他にも草陰に、穴凹が。これは少し気をつけよう」

転んだ私は、「学習」して、「勉強になったわい」と思ったとします。

こうなると、ついに、失敗は生まれずじまい。


ところが、転んだ後で、通ってきた道を責め、

その道を教えてくれた人を罵り、

転んでしまった自分を大いに嘆き悲しみ悔いたとしましょう。

不幸な時間がだらだらと流れ、悪態をついているワタシに関わらないように、

周りの人は遠巻きに追い越していきます。

どれだけ嘆き悲しんでも、一向に救われないし、

通る誰ひとり、私のことを助けたい気持ちになりません。

あとは、不幸とワタシの根競べ、不幸せ競争が続くだけです。

いかにワタシが不幸なのか...

これこそ、「失敗」が生まれ、さらに大きく育っていく姿です。


転んだときには、まだ「失敗」じゃない。


「失敗」が生まれるかどうかは、その後のアクションに因るのです。



転ばないことばかり考えると仕舞に歩けなくなる。

それよりも、上手な転び方を身につけよう。

受身を覚えることで怪我も減り大きな技を試す自信も生まれるのだ。
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野犬、吠える

テーマ:
最近、吼えとおや?

吼えないかんばい、たまには。

嬉しいときも、哀しいときも、楽しいときも、怒りに震えるときも..

そんなときの感情は、言葉にならんめぇが..


やけん、吼えるったい。


おなかンなかの、もあもあした気持ちや、

じゅくじゅくした気分を、時にはぜーんぶ絞り出して。

泣くとやなかぜ、喚くとでもなか。

それは、魂の響く音のように.. 命のいびきのように..


やけん、吼えるったい。


そうして、ようやく、消化されて自分の血肉になるとたい、

喜びも、哀しみも、楽しさも、怒りも。



最近、吼えとおや?

眠りは、最高の薬

テーマ:
スランプのとき、ありますよね?だれでも..

みんな、どうしてる?

僕は、けっこう、達人みたいなところがあって、スランプの。

その達人がこっそり伝授します、心身ともに健康な状態で、いざ2005年へ。


まず、眠ります。

なんでも、楽しいことを考えたりして。

それで、なるべく早く寝て、早く起きるのです。


夜から朝に変わりゆく時間には、不思議な密度の時間が流れているようで、

ここで一度、生まれ変わる=一回死んで、もいちど生まれる、

ような気がするのです。


これを一晩二晩と体験すると、いつのまにやら、あら不思議!

あの、どうしようもない悪循環のサイクルから

解き放たれていますよん~♪
「責任」という言葉、案外苦手じゃありませんか~?

でも、この言葉、そんなに怖がったり警戒しなくてもいいのかも...



responsibility(責任)

この言葉の語源は、respondereというラテン語で、

「応答する」ということのようだ。

さらに、response+ability というように、応答能力とも言える。

責任=応えること、なのだ。


こうしてみると、「責任」と対極にあるのは、「無視」だろう。

...無視は、さびしい。



現代の特徴的な現象なのかもしれないが、

「無視」という、ひとつの「反応の方法」を安易に選ぶのではなく、

もう少し関わりあって過ごす方が、健全ではあるまいか?


そこに対話が生まれることから、世界は広がりを見せる。

自らの世界が大きく開いていくことは、そのこと自体が、

生命力をもりもりと作りだし、のびやかに生い茂る頼もしい

一本の樹木の誕生となる。


互いが対話することで、生命の交流が生まれ、はたして

そこには、みずみずしい生命力を湛えた木々が森となって、

多くの命を宿す世界を創り出す。


「無視」ではなく「対話」を。

ひとりひとりの小さなresponsibilityの上に、楽園は創られる。

むずかしいことじゃない、それは手をつなぐように。
さのやら~、さのやら~。

別れ際に手を振る君。

どうもありがとうごまいだす! と言って、

深々とお辞儀をしてみせる戯けた君。

戦いごっこが大好きで、会う人毎に、「悪そうだけど、かわいいね」と、

褒めてもらっているのかどうだか解らないコメントをもらう君。

運動神経に任せて、無謀な崖登りをしたりして擦り傷を絶やさない、

だけど転んだりして泣いたことなんか、ほとんど見たことも無い。

お姉ちゃんを真似てピアノの鍵盤を叩き、

相撲なんかも大好きで、好奇心も旺盛。

その小さな体に収まりきらないエナジーがほとばしっているのが時として、

まるでオレンジ色に千切れる光線を纏っているかのように見える君。


僕は、君が大人になるまで、傍で世話を焼けるほどには若くない。

君は、僕なしでも、立派に君の人生を歩いていかなくちゃならない。

もし、なにか不都合や不利益、不幸が起きたとしても、

それもまた、君の人生なんだ。僕には、なんともできないから。

君が片付けなくちゃならない。



だからこそ、君たちに望むのは、

独りでもなんとか生きていってほしい、というただそれだけだ。

自分の個性を最大限に活かした「生きる力」をもってほしい。

処世に徹するのもよかろう。意地を張りたきゃ張ってみればいい。

世渡りに力を注ごうが、自我と葛藤しようが、

君のスタイルとフォームを模索して極めていけばそれでいい。


いちばん大事なのは...喜ぶ力と感謝、かなぁ..

喜ぶことには、それなりのエネルギーが要るからね。

エネルギーは、今生きているこの一瞬に、

感謝することで生まれてくるものなんだよ。


小難しいこと言わなくたって、いちいち心配しなくたって、

こどもには困難を乗り切っていく力が、はじめから備わっているもんだ。




どうもありがとうごまいだす!

さのやら~!
言葉の力は、案外すごい。

そこには、思いもよらない情報が乗っかって、

一緒に体内からスルスルと抜け出してしまうからだ。

体調とか、気分とか、そのとき持ち合わせているエネルギーとかも..


第三舞台の鴻上尚史さんは、本も書いている、

身体を上手に使って声を出す技術本。 

野田秀樹さんも、

想いを放って届かせる技術をTVで教えていたように思う。


僕も、言葉に気持ちを乗せて、

うまいこと相手の中心に投げ込むような仕事をしているのだけれど、

時々、届け!と念じる気持ちが、

知らんまに萎えているときが、あるんだよね~。

そんなんで、伝わるわけ、無かろうが-! 

と、自分にツッコミ入れたくなるくらい。

まぁ、仕事では博多弁を使わないから、

きっとそれがいけないんだなぁ。


なぁに、今に標準語だろうが、関西弁だろうが、

韓国語だろうが、英語だろうが...(言い過ぎた!)

想いを届ける達人になってやる!
それぞれに授かったタラントに気付くのは、

案外むずかしい。


さらに、むずかしいのはタラントを活かすこと。

タラントを大事に土に埋めとくよりも、

大いに使って増やしたほうが良しとされるのかも。


昔のお金(の単位)、タラント。

この語源から、タレント=才能、という言葉が生まれた。


金儲けや、時の権力・名声 だけでは、

なんだか満たされない気持ちに、人間はなるのだという。


生きている時間を逆算して、

神様の似姿に創られた私たち一人一人の役割を探して、

自らの内に耳を澄ましてみる。


食わなきゃ、食わせなきゃならんから働いているけれど、

ほんとは、奇跡的な確率で生まれてきたからには、

なにかしら私に託され委ねられた仕事があるはず。

機能快とでも言うべきか..

それに出遭えるか、それを選び取れるか、

そのことによって人生の満足度は変わるのではないか..


僕には、ちょっと見えてきた気もするし、

そう簡単には読み切れないシナリオが用意されている気もする。


でも、考えるだけで、ちょっと嬉しくなるだろ?

「人は、人の役に立ちたがっている」 のだから。

おそらく将来的に、僕も誰かの役に立つのだろうし、

そうなるように出来ているんだよ、きっと。


安心しろよ、安心しろよ。

くもこ

テーマ:
鱈の子を、くもこ、と言う、らしい。

相変わらず、年始までしばらく忙しいせいで、

当たり前のように今日も手当てのつかない残業をした。

何気なく、ふらり、と通った小路の小料理屋から出てきた店員と、

鉢合わせしてしまい、誘われるままに、なんとなく店へ。


魚が自慢というだけあって、ちょっと値の張る旨い店だった。

私の独り酒は、晩酌と晩飯の中間をいく。

瓶ビールをもらい、刺身を食べて、小振りのアラカブの煮つけを食べた。

途中から日本酒に換え、そのアテに注文したのが、くもこ、だった。

茹でてあるのか、かすかに湯気が上がり、ポン酢で。

この手のものは、河豚の白子でもカラスミでも、嫌いではない。

ちなみに、カラスミなどはシャッキリとした大根に挟んで、

紅白の色味を楽しみながら日本酒と食すのがたまらない。


この時期の電車は、やはりいつもより飲んだ帰りの人が多い。

不景気とはいえ、ささやかな忘年会は続いているようだ。

こちらは夕食とは言え、なるべく出費を抑えていたのに、

こんなところで元に戻ってしまった。


そんなことを考えながら帰宅して、

ジーンズを脱ぎジャケットを掛け風呂へ。

蓋を取ると黄色いボールのようなものがプカプカ..

そう言えば、外食を確かめる電話で、

「今日は香り湯にしたから..」と家人が言っていた。

このところ、忙しくて苛立っていたのを見透かされたように、

三つの柚子が湯面に転がる。久し振りに古風なアロマバスに癒される。


..冬至だなぁ、ならば、これからは日増しに昼のほうが長くなるのだな..

そんなことを、ぼんやりと考えながら、忙しい日中を洗い流した。