2012年03月31日(土) 11時02分30秒
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中澤竜生牧師の復興講話@埼玉県明るい社会づくり運動
「南三陸町の現状と被災者支援」
中澤竜生牧師講話要旨(キリスト聖教団西仙台教会)
25日 中沢牧師講話(埼玉県明社理事会 於浦和コムナ-レ第7集会室)
■「埼玉いやしのツアー」に感謝!
①この理事会が始まる前に志津川に電話したところ、「埼玉の皆さんにくれぐれもお礼を申し上げて下さい」との伝言を預かった。
②特に、昨年夏に南三陸町志津川高校避難所の子ども20人と保護者13名を2泊3日で招いて下さった「埼玉いやしのツア-」は、子どもも大人も本当に癒され、good timingな催しであった。
③それまでは、卑屈で、ボランティアへの対応などで緊張と顔のこわばりで親子共々へとへとに疲れ果てていた。子どもたちだけで北海道に招かれたこともあったが、「こわばり」はとれなかった。
津波の後、親子が離れて違う場所に行くことは不安で不安でたまらなかった。親子一緒の「埼玉いやしのツア-」から帰った親子からは「こわばり」が消え、子どもは大人の話を素直に受け入れるようになっていた。
④「埼玉にはディズニ-ランドより凄い所がある。動物園と遊園地が一緒になっているんだぞ! 行くなら埼玉だよ!!」と宣伝する子も出てきた。
⑤埼玉に行った親子33人は勿論癒された。そればかりか避難所に残った大人50人も癒された。それは
週の初めで気を遣うボランティアが来ず、騒がしい子どもたちがおらず(笑)、大人たちまで避難所暮ら
しが始まって以来初めてのんびりと過ごせたから。
■震災1周年を境にボランティアが激減
①3・11以降ボランティア団体・個人の数が激減している。他のボランティアから私に情報は殆どない。
②一応の区切りの震災から一年で、各ボランティア団体は任務完了との認識で引上げている。海岸沿いの
ガレキ集積場は山のようだが、町なかのガレキはなくなり整理さている。
③被災者が仮設住宅に移り、被災者との接点が少なくなり活動がしづらい。
④一部の外部ボランティアは「現地で自分はこんな活動をしています!」と報告することで、その出身母体や地元から支援を受けていたが、支援を受けられなくなり、どうして良いか分からなくなっている。
⑤今やボランティアのガンバリで復興が手伝える段階ではなく、国や県が動く段階になっている。
■困惑させられるボランティアも…
①震災当初のボランティアは真に被災者のために活動したが、だんだん自分たちボランティア団体の売名
行為(PR、宣伝)が上手な上質でないボランティアが多くなった。(テレビなどで報道されている大きな団体に顕著)
②昨年9月~10月頃からはボランティアが急増
被災者はボランティア疲れし、朝から晩まで毎日、次々とボランティアに仮設住宅を訪問され、対応に追われた。中には「支援の無理強い」をするボランティアもいる。住人はこれに一生懸命こらえた。
被災者は「対応に疲れているのに断れない。支援がなければ生きていけないから」。
あるボランティアは運んできた大量のシ-ツを仮設住宅に持ち込み、持ち込まれた被災者は狭い仮設住宅で寝るスペ-スもなくなり、非常に困惑していた例もある。
③「あ~支援してあげた、これでサポ-タに報告できる」。自己満足のボランティアが多くなってきている。
④最近は仮設住宅の入口に「関係者以外の立ち入り禁止」の立て札を立てている所が多い。
ボランティア同士で言い争いになったりする例も多い。ボランティアが被災者たちを苦しめていることも多く、ボランティアの質が問われている。
■本来あるべきボランティア
①志津川高校避難所の世話役達が、仮設住宅に移った後、それぞれの仮設で自治会を立ち上げたり、リ-
ダー的な役に就いていて、深い付き合いの中澤牧師、宮城県明社、進藤牧師の皆さんは仮設住宅への立ち
入りを歓迎されている。
仮設住宅は志津川地区に58箇所あるが、中澤牧師以下どこでも立ち入りは歓迎されており、支援活動に大いに役立っている。
②必要なときに必要なものを届ける。「物資でも心でも」。今、毎週3~4回は南三陸町を訪問しており、
訪問前には必ず一報を入れ、その時に必要なものを届けるようにしている。
現地に余計な気遣いをさせないよう細心の注意を払っている。
■地震直後、その時……
①地震から津波襲来の30分間、人々は津波が来るか半信半疑だった。チリ地震津波の生半可な記憶があ
り「まさかここまで押し寄せてこないだろう。大丈夫だ!」。貴重品を取りに戻った多くの人が犠牲にな
った。また、車で逃げようとした多くの人が逃げたくても逃げられない状態に陥った。
渋滞で路上に鍵を掛け放置された車で更に大きな渋滞を招き、道路は閉鎖状態になり、車ごと流された。 埼玉の皆さんもこの点に留意を!!
②志津川高校の真下、「慈恵苑」入所者60人ほどの内 高校生たちで14人を救助し、46人の高齢者が津波の犠牲になった。救助された高齢者14人のうち8人がその夜の降雪の寒さで、その高校生の目の前
で8人が凍死した。異常気象で2~3日雪が降り続いた。多賀城では津波に流された車上の生存者の多くがこの寒さで凍死した。
③震災直後、死体から指輪、財布を抜き取る光景が頻繁に見られた。必ずしも報道されているような「秩
序が守られていた」状況ばかりではなかった。
■震災1周年を境に……
①1周年の3・11後から年齢を問わず自殺者、心筋梗塞、過労死、孤独死が急増。
1周年の3・11の式典、「14:46のサイレンの音」を防災庁舎の前で聞き涙が出た。
お互いに助け合いながらも何とか無我夢中でやってきたが「焦燥感で糸がプツンと切れた状態」。
先行きが見えない現状に不安で「鬱」☛ 自殺者、心筋梗塞、過労死、孤独死が急増
■国・県の南三陸町復興事業は最低5年先
①国・県の南三陸町の復興事業の優先度は低い。平地の山の手側は緑地化、一方 海側は地盤沈下が激しく盛り土などで地盤の嵩上げが必要。しかし多額のお金がかかるが住宅地としては不向き。山を削って宅地にする計画も、充分なスペ-スがない。
とてもとても一戸建て住宅建設の土地はない。こんな構想の着手も最低5年先で後回し状態。
②復興が全く進まぬ「志津川の夜は真っ暗」
一方、仙台、石巻、気仙沼等の大きな市の優先度は高い。都市部の復興の加速度は増している。
「復興バブル」さえ起こる勢い。復興キャバレ-の繁華街は「明るくネオン」で大盛況。
③復興までの5年間、狭い仮設住宅2世帯暮らしで何も出来ない暮らし。「気が変になりそう。仕事をさせてください」と切実に訴えられる。
④南三陸は漁業の町。現状は、その水産業の復興が全く進んでいない。町の7割が壊滅し、肝心の産業の復興は全く進まず、働き場所がないのが最大の課題。
⑤収入源はおじいちゃん、おばあちゃんの年金のみに頼って暮らしているいる家族も多い。
■「無い無いづくし」と「仮り仮りづくし」の生活
①地元の地主が5町(15,000坪)ほどの土地提供を申し出たが、この規模は町では扱えず、県扱いとなり、
県は建設を認めず話が頓挫した。復興が全く進まず、こんなあんなで住民たちは焦燥感を深めている。
②仮りの避難所、仮りの仮設住宅、仮りのコミュニティー、仮りの職場。全てが「仮り仮りづくし」。
狭い仮設生活から抜け出せない。将来設計が立てられない。生活基盤を立てられない。
③希望が持てない。収入源がない。将来を語れる夢もない。全てが「無い無いづくし」の生活。
④狭い仮設の2世帯暮らしで震災「離婚」する人も出てきている。
■働き手の流出☛人口17,000人が11,000人に激減
①仮設住宅は狭くて一人暮らしの孤独な高齢者が多い。働き盛りの息子・娘は町外に流出。知合いはバ
ラバラに散らばっていて高齢者の面倒を見られない。
②石巻、仙台、気仙沼市や隣町の登米市への流出が多い。これらの市は復興が加速している。
③子どもの将来を考える親御さんの流出も多い。親御さんは、自分の親を地元に残して教育環境が整わない志津川を捨て、整っている各市へ引越し。志津川にはもう帰らない、帰れないとする人も多い。5年立てば移転先の生活環境に馴染んでしまうから。
④子ども達は一歩外に出れば、隣の気仙沼市や登米市の華やかな「イオン」「ジャスコ」などや「ゲ-ム
センタ-」など魅力が一杯。夜遊びをする者も。ボランティアは子どもを甘やかす。子どもの教育など出来なくなってきている。親とは違う意味で、子どもの志津川離れが始まっている。逆に、震災の傷が癒えず外出できずに精神障害を持つ子もいる。
■復興なくして自立なし!
①このままでは、「志津川の町は消えてしまう」。この
アンケ-ト結果にビックリした町の行政。
国も県も頼りにならず、焦っている町の行政は、今まで、タブ-視していた大手ゼネコンなど民間を
呼込んでの復興計画が真剣に検討され出した。大手ゼネコンは地元にお金を落とさない。
②そのゼネコンが建設するのは、狭い間取りの都会型
マンション。2世代、3世代の大家族居住、「家族
講」が伝統の志津川にはソグワナイ代物。販売価格も2000万円。誰が購入できるのか?
③復興の5年先には、年金暮らしの人も多くなる。
年金暮らしの人が、仮設住宅を出て自宅を建てる資
金が準備できるとは思えない。
④「家族講」が守れない、「一人暮らし」が増える。☛高齢者向けの民間の「老人ホ-ム・デイケァ施設」が必ず必要になる。
⑤評論家が、「自立、自立!」とコメントしているが、
「復興」があって初めて「自立」できるのであって、
「復興」もない所に「自立」の強要は出来ない。
今の私(中沢牧師)の思い
■被災者に自立を叫ぶ前に各自が、「私は被災者のために何ができるか」を考えて欲しい!
南三陸町は今の段階では自立は無理。「自立」を言う前に「復興」の手助けをお願いしたい。
「自分の親戚が被災していたら……」、どう対応しますか? 「今、何がいる。どうして欲しい?」と声を掛けるでしょう? 特に年配者には。今は一人一人の声を大事にしての支援が必要。
■「命を守る」から「困っている事を探す」支援に!
「一律にどっさり食料・衣類など物資を届ける」「皆がこれに困っているだろう」ではなく、被災者一人
一人が悩み、困っていることが多用化してきている。
毎週3~4回、南三陸町を訪れているが、支援などと言う大それたものでなく、主体は、皆さん一人一
人の安否確認に行くだけです。
今は被災者一人、一人に向き合って、その声を引き出して支援をする段階に入ったと思います。
■被災者を「癒す」なんて思い上がり!
よく被災者に「寄り添う」とか「癒す」と言うが、一度に「肉親や親戚を亡くし、家・財産を失った」
人たちを前にして、私はそんなことはとても言えません。おこがましいですよ。
我々は被災者の「心を元気にするものは何か?」「喜んで貰えるのは何か?」「楽しませることは何か」「明るくしてあげられるものは何か?」を考えて提供 するだけです。「癒せる」のは被災者自身なんです。
被災者にはその時だけの喜びかも知れませんが、それが「生きる力を与え、心を元気にする」。
被災者は様々に支援されることによって「自分自身で心を癒し」、その積み重ねによって自ずと「自立」
して行きそれが町の「復興」に繋がって行くのです。
■最後まで私は南三陸町と共にいます!
決して被災者の皆さんから離れません。最後まで応援します! どうか埼玉の皆さんも、是非これから
も引き続き支援をお願い致します!
■首都直下型地震が起これば、その被害たるや南三陸町の比ではありません。是非、埼玉の皆さんも自分
の地元を、家族を家をどう守るかを考えてください。
■皆さんの協力を得て、今、南三陸町でできそうなことは、外部から被災地視察観光客を呼込むこと。
⑴金と賑わいを取り戻す
現地の就業の場を確保 ☛ 宿泊場、飲食店、みやげ物店の賑わいで雇用、町登録の「被災者語り部」の雇用
⑵外部から視察観光客を呼込むには、特定の市町村と姉妹都市協定を結ぶ等
■南三陸町の具体的な計画、要望
⑴南三陸町被災者支援センタ-(代表:中澤牧師)
①第一センター:南三陸町志津川地区設立
建設費400万円で、4月末に完成
⇒ 畳24畳ほどの広さ、自炊の設備あり
明るさを取り戻し、情報を集める拠点にしたい。
宿泊、カウンセリングセンタ-、子どもの集会など多目的に利用。明社ほかボランティア団体の利用も可。
この施設を大々的に宣伝し、特に外国からの資金集めに役立てたい。
②第二センター☛南三陸町歌津地区にも6月末~7月末建設予定
⑵南三陸町短足おじさん……子ども支援計画
①「東北ヘルプ」や「足長育英会」が南三陸町でも活動し始めた。
これらの公的支援でも足りない子どもを対象に南三陸町短足おじさん計画を検討中。
*東北ヘルプ:宗教界の壁を超えて宗教者たちが支援に乗り出した団体
⑶高齢者対象「傾聴ボランティア」☛ 仮説住宅を回り毎月1回…全国明社が取り組み計画中
■国、政治は基本的な枠組みをキッチリと迅速に断行して欲しい! 被災者へのきめ細かな対応は行政には困難です。そのためにも皆さんのサポートが必要なのです。
(さきたま明社塾1期生:酒井 清)
明社埼玉県協議会は3月25日の理事会に中澤牧師を招いて本講話をお聞きし、「南三陸町被災者支援基金」を設け、定期総会を待たずに基金新設に着手することと致しました。
①支援基金の勧募・運用の具体案につきプロジェクトチームを設けて煮詰める。
②プロジェクトチームの構成:県明社役員・被災地支援に熱意ある地区明社役員・さきたま明社塾生等
③今年度の基金目標額 ⇒ 12月末までに300万円
④期間 ⇒ 被災者が仮設住宅から再建住宅へ移る迄の期間(3~5年)を想定
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25日 中沢牧師講話(埼玉県明社理事会 於浦和コムナ-レ第7集会室)
■「埼玉いやしのツアー」に感謝!
①この理事会が始まる前に志津川に電話したところ、「埼玉の皆さんにくれぐれもお礼を申し上げて下さい」との伝言を預かった。
②特に、昨年夏に南三陸町志津川高校避難所の子ども20人と保護者13名を2泊3日で招いて下さった「埼玉いやしのツア-」は、子どもも大人も本当に癒され、good timingな催しであった。
③それまでは、卑屈で、ボランティアへの対応などで緊張と顔のこわばりで親子共々へとへとに疲れ果てていた。子どもたちだけで北海道に招かれたこともあったが、「こわばり」はとれなかった。
津波の後、親子が離れて違う場所に行くことは不安で不安でたまらなかった。親子一緒の「埼玉いやしのツア-」から帰った親子からは「こわばり」が消え、子どもは大人の話を素直に受け入れるようになっていた。
④「埼玉にはディズニ-ランドより凄い所がある。動物園と遊園地が一緒になっているんだぞ! 行くなら埼玉だよ!!」と宣伝する子も出てきた。
⑤埼玉に行った親子33人は勿論癒された。そればかりか避難所に残った大人50人も癒された。それは
週の初めで気を遣うボランティアが来ず、騒がしい子どもたちがおらず(笑)、大人たちまで避難所暮ら
しが始まって以来初めてのんびりと過ごせたから。
■震災1周年を境にボランティアが激減
①3・11以降ボランティア団体・個人の数が激減している。他のボランティアから私に情報は殆どない。
②一応の区切りの震災から一年で、各ボランティア団体は任務完了との認識で引上げている。海岸沿いの
ガレキ集積場は山のようだが、町なかのガレキはなくなり整理さている。
③被災者が仮設住宅に移り、被災者との接点が少なくなり活動がしづらい。
④一部の外部ボランティアは「現地で自分はこんな活動をしています!」と報告することで、その出身母体や地元から支援を受けていたが、支援を受けられなくなり、どうして良いか分からなくなっている。
⑤今やボランティアのガンバリで復興が手伝える段階ではなく、国や県が動く段階になっている。
■困惑させられるボランティアも…
①震災当初のボランティアは真に被災者のために活動したが、だんだん自分たちボランティア団体の売名
行為(PR、宣伝)が上手な上質でないボランティアが多くなった。(テレビなどで報道されている大きな団体に顕著)
②昨年9月~10月頃からはボランティアが急増
被災者はボランティア疲れし、朝から晩まで毎日、次々とボランティアに仮設住宅を訪問され、対応に追われた。中には「支援の無理強い」をするボランティアもいる。住人はこれに一生懸命こらえた。
被災者は「対応に疲れているのに断れない。支援がなければ生きていけないから」。
あるボランティアは運んできた大量のシ-ツを仮設住宅に持ち込み、持ち込まれた被災者は狭い仮設住宅で寝るスペ-スもなくなり、非常に困惑していた例もある。
③「あ~支援してあげた、これでサポ-タに報告できる」。自己満足のボランティアが多くなってきている。
④最近は仮設住宅の入口に「関係者以外の立ち入り禁止」の立て札を立てている所が多い。
ボランティア同士で言い争いになったりする例も多い。ボランティアが被災者たちを苦しめていることも多く、ボランティアの質が問われている。
■本来あるべきボランティア
①志津川高校避難所の世話役達が、仮設住宅に移った後、それぞれの仮設で自治会を立ち上げたり、リ-
ダー的な役に就いていて、深い付き合いの中澤牧師、宮城県明社、進藤牧師の皆さんは仮設住宅への立ち
入りを歓迎されている。
仮設住宅は志津川地区に58箇所あるが、中澤牧師以下どこでも立ち入りは歓迎されており、支援活動に大いに役立っている。
②必要なときに必要なものを届ける。「物資でも心でも」。今、毎週3~4回は南三陸町を訪問しており、
訪問前には必ず一報を入れ、その時に必要なものを届けるようにしている。
現地に余計な気遣いをさせないよう細心の注意を払っている。
■地震直後、その時……
①地震から津波襲来の30分間、人々は津波が来るか半信半疑だった。チリ地震津波の生半可な記憶があ
り「まさかここまで押し寄せてこないだろう。大丈夫だ!」。貴重品を取りに戻った多くの人が犠牲にな
った。また、車で逃げようとした多くの人が逃げたくても逃げられない状態に陥った。
渋滞で路上に鍵を掛け放置された車で更に大きな渋滞を招き、道路は閉鎖状態になり、車ごと流された。 埼玉の皆さんもこの点に留意を!!
②志津川高校の真下、「慈恵苑」入所者60人ほどの内 高校生たちで14人を救助し、46人の高齢者が津波の犠牲になった。救助された高齢者14人のうち8人がその夜の降雪の寒さで、その高校生の目の前
で8人が凍死した。異常気象で2~3日雪が降り続いた。多賀城では津波に流された車上の生存者の多くがこの寒さで凍死した。
③震災直後、死体から指輪、財布を抜き取る光景が頻繁に見られた。必ずしも報道されているような「秩
序が守られていた」状況ばかりではなかった。
■震災1周年を境に……
①1周年の3・11後から年齢を問わず自殺者、心筋梗塞、過労死、孤独死が急増。
1周年の3・11の式典、「14:46のサイレンの音」を防災庁舎の前で聞き涙が出た。
お互いに助け合いながらも何とか無我夢中でやってきたが「焦燥感で糸がプツンと切れた状態」。
先行きが見えない現状に不安で「鬱」☛ 自殺者、心筋梗塞、過労死、孤独死が急増
■国・県の南三陸町復興事業は最低5年先
①国・県の南三陸町の復興事業の優先度は低い。平地の山の手側は緑地化、一方 海側は地盤沈下が激しく盛り土などで地盤の嵩上げが必要。しかし多額のお金がかかるが住宅地としては不向き。山を削って宅地にする計画も、充分なスペ-スがない。
とてもとても一戸建て住宅建設の土地はない。こんな構想の着手も最低5年先で後回し状態。
②復興が全く進まぬ「志津川の夜は真っ暗」
一方、仙台、石巻、気仙沼等の大きな市の優先度は高い。都市部の復興の加速度は増している。
「復興バブル」さえ起こる勢い。復興キャバレ-の繁華街は「明るくネオン」で大盛況。
③復興までの5年間、狭い仮設住宅2世帯暮らしで何も出来ない暮らし。「気が変になりそう。仕事をさせてください」と切実に訴えられる。
④南三陸は漁業の町。現状は、その水産業の復興が全く進んでいない。町の7割が壊滅し、肝心の産業の復興は全く進まず、働き場所がないのが最大の課題。
⑤収入源はおじいちゃん、おばあちゃんの年金のみに頼って暮らしているいる家族も多い。
■「無い無いづくし」と「仮り仮りづくし」の生活
①地元の地主が5町(15,000坪)ほどの土地提供を申し出たが、この規模は町では扱えず、県扱いとなり、
県は建設を認めず話が頓挫した。復興が全く進まず、こんなあんなで住民たちは焦燥感を深めている。
②仮りの避難所、仮りの仮設住宅、仮りのコミュニティー、仮りの職場。全てが「仮り仮りづくし」。
狭い仮設生活から抜け出せない。将来設計が立てられない。生活基盤を立てられない。
③希望が持てない。収入源がない。将来を語れる夢もない。全てが「無い無いづくし」の生活。
④狭い仮設の2世帯暮らしで震災「離婚」する人も出てきている。
■働き手の流出☛人口17,000人が11,000人に激減
①仮設住宅は狭くて一人暮らしの孤独な高齢者が多い。働き盛りの息子・娘は町外に流出。知合いはバ
ラバラに散らばっていて高齢者の面倒を見られない。
②石巻、仙台、気仙沼市や隣町の登米市への流出が多い。これらの市は復興が加速している。
③子どもの将来を考える親御さんの流出も多い。親御さんは、自分の親を地元に残して教育環境が整わない志津川を捨て、整っている各市へ引越し。志津川にはもう帰らない、帰れないとする人も多い。5年立てば移転先の生活環境に馴染んでしまうから。
④子ども達は一歩外に出れば、隣の気仙沼市や登米市の華やかな「イオン」「ジャスコ」などや「ゲ-ム
センタ-」など魅力が一杯。夜遊びをする者も。ボランティアは子どもを甘やかす。子どもの教育など出来なくなってきている。親とは違う意味で、子どもの志津川離れが始まっている。逆に、震災の傷が癒えず外出できずに精神障害を持つ子もいる。
■復興なくして自立なし!
①このままでは、「志津川の町は消えてしまう」。この
アンケ-ト結果にビックリした町の行政。
国も県も頼りにならず、焦っている町の行政は、今まで、タブ-視していた大手ゼネコンなど民間を
呼込んでの復興計画が真剣に検討され出した。大手ゼネコンは地元にお金を落とさない。
②そのゼネコンが建設するのは、狭い間取りの都会型
マンション。2世代、3世代の大家族居住、「家族
講」が伝統の志津川にはソグワナイ代物。販売価格も2000万円。誰が購入できるのか?
③復興の5年先には、年金暮らしの人も多くなる。
年金暮らしの人が、仮設住宅を出て自宅を建てる資
金が準備できるとは思えない。
④「家族講」が守れない、「一人暮らし」が増える。☛高齢者向けの民間の「老人ホ-ム・デイケァ施設」が必ず必要になる。
⑤評論家が、「自立、自立!」とコメントしているが、
「復興」があって初めて「自立」できるのであって、
「復興」もない所に「自立」の強要は出来ない。
今の私(中沢牧師)の思い
■被災者に自立を叫ぶ前に各自が、「私は被災者のために何ができるか」を考えて欲しい!
南三陸町は今の段階では自立は無理。「自立」を言う前に「復興」の手助けをお願いしたい。
「自分の親戚が被災していたら……」、どう対応しますか? 「今、何がいる。どうして欲しい?」と声を掛けるでしょう? 特に年配者には。今は一人一人の声を大事にしての支援が必要。
■「命を守る」から「困っている事を探す」支援に!
「一律にどっさり食料・衣類など物資を届ける」「皆がこれに困っているだろう」ではなく、被災者一人
一人が悩み、困っていることが多用化してきている。
毎週3~4回、南三陸町を訪れているが、支援などと言う大それたものでなく、主体は、皆さん一人一
人の安否確認に行くだけです。
今は被災者一人、一人に向き合って、その声を引き出して支援をする段階に入ったと思います。
■被災者を「癒す」なんて思い上がり!
よく被災者に「寄り添う」とか「癒す」と言うが、一度に「肉親や親戚を亡くし、家・財産を失った」
人たちを前にして、私はそんなことはとても言えません。おこがましいですよ。
我々は被災者の「心を元気にするものは何か?」「喜んで貰えるのは何か?」「楽しませることは何か」「明るくしてあげられるものは何か?」を考えて提供 するだけです。「癒せる」のは被災者自身なんです。
被災者にはその時だけの喜びかも知れませんが、それが「生きる力を与え、心を元気にする」。
被災者は様々に支援されることによって「自分自身で心を癒し」、その積み重ねによって自ずと「自立」
して行きそれが町の「復興」に繋がって行くのです。
■最後まで私は南三陸町と共にいます!
決して被災者の皆さんから離れません。最後まで応援します! どうか埼玉の皆さんも、是非これから
も引き続き支援をお願い致します!
■首都直下型地震が起これば、その被害たるや南三陸町の比ではありません。是非、埼玉の皆さんも自分
の地元を、家族を家をどう守るかを考えてください。
■皆さんの協力を得て、今、南三陸町でできそうなことは、外部から被災地視察観光客を呼込むこと。
⑴金と賑わいを取り戻す
現地の就業の場を確保 ☛ 宿泊場、飲食店、みやげ物店の賑わいで雇用、町登録の「被災者語り部」の雇用
⑵外部から視察観光客を呼込むには、特定の市町村と姉妹都市協定を結ぶ等
■南三陸町の具体的な計画、要望
⑴南三陸町被災者支援センタ-(代表:中澤牧師)
①第一センター:南三陸町志津川地区設立
建設費400万円で、4月末に完成
⇒ 畳24畳ほどの広さ、自炊の設備あり
明るさを取り戻し、情報を集める拠点にしたい。
宿泊、カウンセリングセンタ-、子どもの集会など多目的に利用。明社ほかボランティア団体の利用も可。
この施設を大々的に宣伝し、特に外国からの資金集めに役立てたい。
②第二センター☛南三陸町歌津地区にも6月末~7月末建設予定
⑵南三陸町短足おじさん……子ども支援計画
①「東北ヘルプ」や「足長育英会」が南三陸町でも活動し始めた。
これらの公的支援でも足りない子どもを対象に南三陸町短足おじさん計画を検討中。
*東北ヘルプ:宗教界の壁を超えて宗教者たちが支援に乗り出した団体
⑶高齢者対象「傾聴ボランティア」☛ 仮説住宅を回り毎月1回…全国明社が取り組み計画中
■国、政治は基本的な枠組みをキッチリと迅速に断行して欲しい! 被災者へのきめ細かな対応は行政には困難です。そのためにも皆さんのサポートが必要なのです。
(さきたま明社塾1期生:酒井 清)
明社埼玉県協議会は3月25日の理事会に中澤牧師を招いて本講話をお聞きし、「南三陸町被災者支援基金」を設け、定期総会を待たずに基金新設に着手することと致しました。
①支援基金の勧募・運用の具体案につきプロジェクトチームを設けて煮詰める。
②プロジェクトチームの構成:県明社役員・被災地支援に熱意ある地区明社役員・さきたま明社塾生等
③今年度の基金目標額 ⇒ 12月末までに300万円
④期間 ⇒ 被災者が仮設住宅から再建住宅へ移る迄の期間(3~5年)を想定
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