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2011-12-24 21:13:34 1mystudioの投稿

エルヴィス・プレスリー / 明日に架ける橋

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メリークリスマス。

8か月ぶり位のご無沙汰です。

身を粉にして働いていて、ふと気がつけばもう年末。

今年は日本の歴史に残る年で、地震を機に
様々なものが見えてくるようになった年でした。

パニック時に沈着冷静だった日本人。

原発に関しての賛否。

政治家の無能ぶり。

風評をもてあそぶ文化人。

世界に目を向ければ、金融危機がヨーロッパに向かい、
カダフィもビン・ラディンも金正日もいなくなり、
ジャスミン革命が今後世界中に広がるだろうきっかけになった今年。

地震の後は台風の被害も大きかった日本は、
自然という「絶対神」に支配された神道の国
であると実感した一年。

その神道の風土の中でクリスマスを
世界最高レベルで楽しめる日本人はある意味凄くて、
レディ・ガガでさえ夢中になるのでした。

しかし、まさかレディ・ガガが日本人にとって、
紅白歌合戦に出るほどの存在になろうとは、
去年の今頃に想像できた人間は誰一人存在せず。

地震の話に戻ると、
死者ばかり取り上げられるが
この災害で障害を負った人も多いでしょう。

メディアでは取り上げないけれど、
腕をなくしたり、顔にけがを負ったり、
その他想像を絶するハンディを背負った
人たち。

日本での震災が起こるちょっと前、
ニュージーランドでの地震で足を失った日本の留学生がいた。

彼は今、元気でいるだろうか。


また震災後、多くの孤児を生んだという現実もある。

親がいないことで彼らは今後、社会の冷たさを実感するだろう。

彼らが大人になったころ、仕事を探す頃
もう世の中は今の悲劇の事など
きっと忘れてしまっていることだろう。

平均から外れた人間に恐ろしく冷たい
日本の企業社会が、復興後こういった人たちにどう付き合うのか。

今は同情一辺倒だけれど、この熱が冷めた後
本当の日本人の質が問われると思う。


震災後、一時食料がなくなった時の笑った話。


綾小路きみまろ「買い占めはお止め頂きたい。

あなたのお腹を見て下さい。充分貯めているではありませんか。

いざというとき、自分の身体が重くて逃げられなくなります。

『一番の 荷物は自分の 出たお腹』そうなってからでは遅いのです」


多分来年の今日も、笑ったり泣いたりの一年を振り返るんだろうね。


メリークリスマス。

良いお年を。



2011-04-24 23:20:36 1mystudioの投稿

キャンディーズ / アン・ドゥ・トロワ

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おひさです。

スーちゃん死んじゃいましたね。

私自身は10代~20代のときにアイドル歌手に心を奪われたことは
ほとんどなく、どちらかといえば夢中になっている追っかけを
馬鹿にしてきたタイプでした。

キャンディーズに関しては
アイドルという消費システムの中、ほとんど素人のような
3人の女の子が芸能界の激流を軽々と乗り越えていく姿が
爽快でもありました。

解散コンサートが1978年で、私が高校を卒業して
上京する春と同じタイミングだったためか、
わたしのようなアイドル嫌いでさえ、
心の中に残り続けた存在でもあった。

彼女たちのファンのほとんどは
ドリフとの絡みなんかで見せる、
アイドルらしくない表情に心を奪われたわけで、
私もその部分では自分にとって、唯一のアイドルでしたね。

キャンディーズが引退したのが、80年代の狂乱の時代を迎える前。

「普通の女の子」に戻りたいというのは、
誰かを消費し、誰かに消費される日々から
グッドバイをしたいということ。

その後の人生はスーちゃんは女優で成功し、
ミキちゃんは結婚して普通の人生を手に入れ、
ランちゃんもマイペースでの芸能活動を行っている。

で、かなりのヒット曲を持っているのが、
いつまでもこの三人が心の中に残り続ける
理由の一つでもあります。

多分芸能史的にもヒット曲は多い方でしょう。

今の時代では音楽とアイドル性がマッチする
タレントは出にくいので、ひょとしたら
最後のビッグアイドルなのかもしれません。

1曲選べと言われたら『アン・ドゥ・トロワ 』
ですね、わたし的には。

前向きな曲調ではありながら、
彼女たちとの別れが近づいている
現実が見え隠れする作品。

いつかは青春との別れがやってくることを
30年前のこの頃からメッセージとして伝えていたのかもしれない。

無邪気でいられる時間というのは去っていくのも
あっという間で、青春時代も時間の流れの中では
ほんの一瞬の輝き。

彼女たち3人が一緒に青春時代に戻ることは
もうないんだよなあ。


(吉田拓郎の曲って、どんな時に聴いても
グッとくるよね。)

2011-03-02 22:35:25 1mystudioの投稿

リトル・リヴァー・バンド / リミニッシング(追憶の甘い日々)

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あけましておめでと....

あれっ?

もう正月は過ぎてしまいましたっけ。

最後に書いた日記が昨年のクリスマスでしたっけ。

いやあ、1月に入って急に忙しくなって、
日曜以外は遅くまで仕事が続いてしまい、
ここ2カ月ほどはブログどころではありませんでした。

いろいろ書きたいことはあるんですが、
久しぶりに早く家に帰ってのんびりした短い時間を使っているので、
今日は短めに。

忙しい日々の中、ふと空いた時間に聴くと
やたら新鮮に感じてしまうのが60~70年代音楽の特徴で、
ギルバート・オサリバンとかキャロル・キングとかの
白人ポップのブルージーなトーンがそれの代表格。

時間に追われながらもホッと息がつける時間には、
同じく、リトル・リヴァー・バンドのような
音楽が心地よく感じたりします。

あまりしょっちゅう聞いてると飽きてしまうけれど、
たまに聴き続けたい想いに取りつかれるサウンド。

ちょっと泥臭くて、けっしてクールなアーティストではありませんが
この手の田舎臭さと温かサウンドは、いつの時代も
疲れを癒してくれるものです。

この曲を聴きながら今日はゆっくりと眠りますか。

それでは今年もヨロシク。



2010-12-24 23:17:34 1mystudioの投稿

ジョン・レノン / ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)

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クリスマス。

一年に一度はかならずやってくる
日本型資本主義による疑似宗教セレモニー。

本物のキリスト教徒にとっては家族と静かに過ごす特別な日だけれど、
日本人にとっては年末商戦のマーケティングが重点的になっていて、
12月にはキリスト教徒になり、数日後には神道に目覚める
日本の恒例行事。

高度経済成長期の働くお父さんたちが、キャバレーで
大騒ぎするクリスマス像が日本人にとっての原風景の様な気がします。

それが頂点に達したのがバブル期のクリスマスで
私も当時20代の若者でしたが、シティホテルで過ごす恋人たちの
能天気振りが今だに脳裏から離れない。

『なんとなくクリスタル』の田中康夫がすべて悪いんですが。

当時に比べれば最近は落ち着いたクリスマスを過ごす人が増えているようで、
ある意味では一年の中で孤独が最も身にしみる季節でもあります。

バブル期は誰もがバブリーなクリスマスを送ったような印象がありますが、
当時の若者も9割以上はさびしい時間を過ごすのがXマスの定番で、
何かを期待しながらも何もないまま、コンビニに行って
エロ本を買って帰るのが、健康的な20代男の
この季節の行動パターンでした。


「メリークリスマス」というのは便利な言葉で、
一年色々あったけれど「ま、いいか」と全てを
肯定してくれる魔法の呪文。

忘年会なんかの「忘れる」文化がある日本にはぴったりなのかも。

というわけでメリークリスマス。

もういっちょイスラム教徒にもメリークリスマス。

ブードウー教徒にもメリークリスマス。

失業者にもメリークリスマス。

去年の今日、来年こそは恋人とのディナーをと期待したものの、
結局今年も『王将』のディナーで終わったあなたにもメリークリスマス。

大桃美代子にもメリークリスマス。

ジョン・レノンが苦手な貴方にもメリークリスマス。

そして、一人で過ごすあなたにもメリークリスマス。



2010-12-08 21:14:12 1mystudioの投稿

想望 (龍馬伝) / Yucca 

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一週間以上前になりますが『龍馬伝』が最終回を迎え
ついに約一年間の熱い日々が終了しました。

NHKの大河ドラマにはあまり興味はなかったのに、
このドラマの、映像の質の高さにひかれて見続けたというファンが
これまでよりも大量に存在したのでは?、と
TWITTERの熱いつぶやきを一年間
眺めながら感じた次第です。

わたしもその「大河ドラマにはさっぱり興味がなくて
龍馬伝にハマった」クチで、大河特有の大仰な表現と
ウソくさい映像に全く興味をそそられず、
これまでほとんど見たことがなかったのですが、
この物語は一話から最終回まで見ましたね。

高知出身だとみんな龍馬ファンだという
印象があるかもしれませんが、実際は
自分の周りにもそれほど龍馬ファンはいなくて、
武田鉄也みたいなフリークたちを
結構覚めた目で見ていたのが実際のところ。

ただ、歴史というのは自分のバックグラウンド、ルーツなわけで、
その歴史に目を向けてこなかったということは結構情けないことで、
充分反省をしております。

史実マニアからは甚く評判が悪かったけれど、
そのファンたちが信じる史実がどこまで本当かも判ったものでもなく、
ドラマというファンタジーに足をどっぷり突っ込むことのできない
価値観を基準にして、ドラマを作らなかったこと自体は
大正解だったと思うのですが。


このドラマの唯一の失敗は「大河ドラマ」枠で
放送をしてしまったことで、
この時間帯、日曜日の夜8時のNHKは、
時代劇のホームドラマを期待する人たちの集会所で、
言ってみれば時代物のサザエさんを見る人々が、
休みの最後の夜に息抜きをするために集まる場所。


今回の『龍馬伝』を簡単に説明すると、紅白歌合戦のトリに
セックス・ピストルズが出てくるような作品で(なんのこっちゃ)、
固定ファンが怒れば怒るほど「ピストルズ」が発散する
パンキッシュなエネルギーが新興ファンを引きつけてしまう。


思い入れの強いファンが多い幕末モノは、
それぞれのマニアが妄想を抱えていて
その全てに付き合うのは限りなく難しく、
ゆえにさまざまな不満も見え隠れする。


例えば最終回に限って言えば、もっと今まで出てきた人物を
出してほしいという不満もあった。


でも、だからこそ、この最終回は大傑作。

これまでの登場人物やエピソードをできる限り削いだ上で、
時代の変わり目の歪みを、市川亀次郎という天才的な役者を中心とした
三人に表現させることで、一年を通して伝えたかったテーマを凝縮させた。

通常だとこれまでの登場人物を絡めて、大団円の
グランド フィナーレに持っていくのが
テレビドラマのお決まりの手法で、基本的に
何も考えなくても気分良く感動できる内容を流しておけば、
とりあえずの合格点は貰えるもの。

しかし、この作品のクリエイターたちは
タイムカードを押して帰るだけの仕事を
選択しなかった。


あえて、不合格の烙印を押されるような戦いに挑んで行った。


最終回はとことん不親切で、例えば中岡慎太郎の妻と
名乗った女の正体や一階にいた近江屋の人々は
一体どうなったのか、など判らないことだらけ。

龍馬の亡き後、残された幕末の志士達の人生も、
これまで登場した弥太郎の家族も、長崎の仲間ともいえる
商人たちの姿もなく、無駄なものを一切そぎ落とし
「暗殺」というクライマックスめがけて
ただひたすらその時に突き進む。

結局、あとの事は見ている者それぞれの想像力に
委ねられていて、思考回路が停止することを強いられる
テレビの洗脳を、無条件に受け入れた人々にとっては
苦痛の最終回だったことだろうね。


非常に不親切な作り方が映画的。


テレビというメディアに消費されるだけの人々は、
「視聴率の歯車の一つ」としてだけテレビ番組に参加し、
製作者たちの無謀な戦いを受け入れたものだけが、
その心の中に龍馬が現れ、何かを残して去っていく。


これは「大河ドラマ」ではなく「青春映画」。

そしてニューシネマ。

アメリカン・ニューシネマが敗北者たちを好んで選んだように、
登場人物の彼らのほとんどが志半ばで時代から去って行った。


ほとんどの人間が敗れ去っていく
ニューシネマであった『龍馬伝』。


これはガンマン達の終焉を描いた『ワイルド・バンチ』であり、
行き場をなくした人間が消滅していく『「バニシング・ポイント』でもあり、
敗北を知りながら戦いの中に飛び込んで行った
『明日に向かって撃て』でもあったのです。
(中岡慎太郎が「ワシは泳げんがじゃ」と龍馬につぶやいたシーンは
まるでブッチとサンダンス・キッドの掛け合いそのもの)

徳川時代は外部からの圧力がなく、
日本人はお客さん状態でいられた。

今も同じで、お客さん状態のまま日本社会に文句さえいっていれば
反権力とか反権威でいられて、安全地帯を確保して
正義ごっこ文化人ごっこができる。

坂本龍馬が子供の頃、新大陸アメリカでは
チェロキー族に対する狭い土地への強制移住が行われる。

今、中国でチベットやウイグルが蹂躙されていても
なにも報道しないTVメディアにおいて、
このドラマが放映されることに大きな意味がある。

龍馬物にはほとんど興味がなかった私とすれば、
龍馬伝好きと、龍馬伝嫌いの軋轢を
傍で眺めているのが楽しかったのかもしれません。

龍馬は人気があっても敵が多いものだね。

アンチ龍馬というよりも、自己陶酔型の龍馬ファンに対して、
因縁をつけたいおせっかい焼きと、
彼らの主張がどこまで正しいかわからない”史実マニア”と、
「俺様はブームに乗るようなレベルの低い人間ではない」と
少しでも高みから他人を見下ろしたい、ひねくれものと、
海軍の元祖である龍馬の事が、イデオロギー的に気にくわない
死滅寸前の左翼の残党どもが、
あーだこうだと因縁を吹っ掛けてきた『龍馬伝』。

様々な暗殺犯の説がある坂本龍馬からすれば
狙われるのは望むところで「今度はこんな小物どもの相手かよ」
と、あの世で嘆いていることでしょう。

寺山修司がかつて語った「過去はすべて物語である」
という言葉くらいを知っておけば、人生は結構楽しめるものなのです。

視聴率に関して言えば、まあこんなもんでしょう。

『坂の上の雲』の第2部初回の視聴率は14.7%。

視聴率なんてこれだけ取れれば十分だと思うのだけれど、
視聴率が全てというのなら、亀田兄弟が最も文化的な存在に
なってしまい、それはそれで日本という
腑抜けた社会の象徴としては悪くないのかも
しれません。

週刊新潮は視聴率の悪かった理由として
『竜馬がゆく』では暗殺シーンをもっと時間かけた
と難癖をつける。


『竜馬がゆく』の方がたしか視聴率は悪かったはずで、
まあ、ボケが始まったようなジジイ連中を集めて
記事を書かせている雑誌などに、そこまでの想像力も
ないだろうけれど。

『龍馬伝』はテレビドラマ史上最高レベルの「映画」だった、
と断言できる。

この「映画」の視聴率なんかは本当はどうでもよくて、
このドラマを見たあなたの内部に何かが起こったかどうか、
それが試された一年間だったのです。


今の時代の坂本龍馬ストーリーは万人に受け入れられるよりも
反発を招きながらも、何かに駆り立てられる匂いを
発散してくれたほうが、付き合う我々にとっても
刺激的で興奮度合いも高くなる。

坂本龍馬が刺客にねらわれたあの時代のように。

ファンの誰もが泣いたのは、龍馬との別れと言うよりも、
このドラマのスピリッツに、どこの誰だか判らない人たちと
共感できた日々への別れに対する涙。

こんな感覚って、もうやって来ることも
そうそうないだろうな、と久々に思わせてくれる毎日でした。

ラスト近く、お龍が乙女姉やんに呼びかけられるシーンが
頭に残る。


彼ら家族とは反対方向に歩いていくお龍の姿が、
その後の彼女の人生の孤独、哀しさを滲ませていて
胸に迫る。


それはまるで、私たちに対して「お前らもこれから、どう生きるんだ?」と
あの世からの龍馬の問いかけを表わしていたような気がしたのは
私だけでしょうか。

2010-11-30 20:34:36 1mystudioの投稿

ロス・インディオス&シルヴィア / 別れても好きな人

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「ロス・インディオス&シルヴィア」元ヴォーカルの
シルヴィアさん(本名・松田理恵子)が28日午後1時
肺がんのため都内の病院で死去。

享年52歳でした。

合掌。


2010-11-07 23:22:57 1mystudioの投稿

マイルス・デイヴィス / シャウト

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フュージョンという電化されたジャズミュージックを語る上で
どうしても避けて通れないのが、70年代後半に引退状態だった
マイルス・デイヴィスが80年代に入って突如復活し、
我々の前に姿を見せたことでしょう。

1975年発表の東京、大阪でのライブ『アガルタ』『パンゲア 』を最後に
世間から存在を消したマイルスが、再び地上に舞い降りたのが
1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン 』。

この後東京でもライブを行い、その音は
『ウィ・ウォント・マイルス』で収録されている。

70年代後半の沈黙期というのは、麻薬からの脱出期間とか、
けがをした足を治していたなど、はっきりした理由は分かりませんが、
やはり疲れてしまったんでしょうね、音楽活動に。

特に70年代に発表した音源を聞いてみると、
ハードな演奏ばかりで、日々セッションの中から
テオ・マセロの編集作業にマッチする音を生み出す必要があり、
アーチストとしては、やりつくした感というのはあったと思います。

その後、再生へのモチベーションが高まった理由として
考えられるのが、マイルスの「常にトップを走っていたい想い」が
再び目覚めたから、というのが私の持論です。


マイルスというのは、ムーブメントがある時に
必ず目立った活動を行う人で、
例えば映画『真夏の夜のジャズ』で
ジャズミュージックにスポットライトが当たると、
その後にモード奏法を発表して、
音楽界では”俺様”がはるか先を行っていることを
世間に見せつけた。

例えばビートルズの出現でロックという
ライバルが出現した後にはそれ以上のロックを
”俺様”が生み出せることを証明するために、
電化ジャズの世界に足を踏み入れる。

そして、80年代の復活劇のエネルギー源になったのは、
セックス・ピストルズをはじめとした
パンク・ムーブメントの存在が大きかったと、
私は解釈しています。

こんなガキどもにトップの座を渡すわけにはいかない、
という王者のプライド。

好きなアルバムの『ウイ・ウオント・マイルス』は
『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』
で復活した後の初ライブ版。

「ジャン・ピエール」のカッコよさと緊張感は
マイルスがこのアルバムの為だけに、ずっと活動を止めて
エネルギーを貯めこんでいたのではと,想像してしまう
ほどの充実感。


この曲の収録は西新宿のコンサート会場でした。


今の東京都庁のあたりは、当時は原っぱで何にもなくて、
その広大な土地をコンサート会場に使用して録られたのが
この曲。


実はこの日私は、出来たばかりのセンチュリー・ハイアットで
仕事があったため、コンサート会場の前を通りかかっているのです。


当時はジャズは好きだけれど、なぜか意識をしてマイルスを
聴かないようにしていて,まだ彼の事をそれほど知らない頃でした。


自意識過剰なのか、無知なのか、ジャズ初心者に近かった私にとって
マイルスに洗脳されることの不安があったのかもしれません。

今思えば,仕事を休んででも行くべきだったと後悔をしているのですが。


あの日新宿のあの辺りを歩いていると,マイルスバンドの
演奏が聞こえてきた。


「おっ。マイルスやってるな」と思い、
振りかえりながら仕事に向かったことでした。

ただ、実際に会場でライブを見た人たちの感想は違っていて,
当日風が強かったせいもあってか,マイルスの出す音が
全く聞こえてこなくて「やっぱしマイルスは死んだ」と
絶望感にとらわれたようです。


ところがどっこい、レコードになってみるとファンク魂炸裂の
復活祭状態。


ミノ・シネルが、自分のツバをつけながら叩く
パーカス音がやたらカッコよく、あの音は
どうやって出しているのかが不思議で仕方なかったものでした。

この演奏を聞いていると、向こう側でしびれまくっている観衆や
マイルス復活祭の神輿の上で踊り狂って、神主に怒られている
マイルス教信者たちの姿が見えてしまうのは私だけでしょうか?

復活後は、重金属音が全体を支配しつつも、
70年代のファンクロック路線をシンプルに整理したマイルス。

「マイルスは難解」という、受身でしか音楽を聴こうとしない
バカな評論家連中にも、丁寧に音楽を教えてあげるようになったマイルス。

その後最後まで、スターとしてのカッコよさの追及と,
他の才能に追い越されたくないというスタンスが変わらなかった
マイルス。

ケイ赤城氏が数年前マイルスの特集番組で語っていた
「マイルスが来ると緊張が走った」というのは納得できます。

我々部外者でさえ,彼の映像を眼にする時はなぜか緊張してしまう。

考えるだけで誰かに緊迫感を与えてしまう怪物。

だからこそ、もう絶対に出てこない真のスター,
真のアーチスト,真のカリスマだったと言えるのでしょう。
2010-10-23 21:01:09 1mystudioの投稿

吉田美奈子 / ラヴィング・ユー

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アメリカでのフュージョン・ブームは、はるか遠く、極東の日本にも
当然のように押し寄せてきます。

時代的に考えると、70年代後半はもうすでに政治的な熱さは
醒めていて、経済に向ける視線を日本人の多くが持ち始める時代に移っていました。

これを掘り下げて考えると、本質的なことに目を向けない時代の始まりとも
考えることができ、この辺りが文化面にも飛び火したとも考えられます。

経済的に豊かになる、というのは人間の幸福を考えた場合、
本質的テーマにはなるのでしょうけれど、人間味を削ってまで金を稼ぐことが
果して幸福か、という疑問には目もくれずに突っ走ってしまいがちで、
「幸福」という人間の本質的な目標からはずれてしまう。

フュージョンブームも似たようなもので、テクニックを磨くことだけが
果たして本質的な成功なのだろうか、という問いかけには
目もくれない時代に足を踏みだしたわけです。

実際は、テクニック志向のフュージョンブームに関しては
それほど長くは続かなかったのですが、
この頃のミュージシャンは熱に浮かされたように
指使いの早さ、なんてものに身も心を捧げてしまう。

自分の演奏が聴衆のエモーションをどれだけ揺さぶるか、
といった根源的な目的よりも、
「難しいことができる自分ってかっこいいよなあ」などという
テクニック重視の自己満足志向に多くのジャズミュージシャンが
目を向ける時代に、ついに日本ジャズ界も突入したのでした。

私は50~60年代のジャズのスピリッツは
ニューミュージック方面のミュージシャンに
引き継がれたのではないかと考えています。

高度な演奏テクニックよりも何を伝えるか、何を伝えたいか
に真剣に向き合う姿勢なんかは、ジャズに熱中していた
あの時代とダブって見えたりするのです。

吉田美奈子なんかもジャズミュージシャンなんかとのセッションでの、
実験的なアプローチの中から、ポップだけれど前衛性を孕んだ
曲を発表し続けた、「ジャズ・スピリット」を持ち続けた一人。

ニューミュージックの前はフォークソングという姿でしたが、
フォークこそが、今の日本人にとってはルーツミュージックなのかも、
なんてことも考えたりします。

ただニューミュージックも80年代が進むにつれて
自己愛の様相を深めていくのですけどね。

2010-10-05 22:14:25 1mystudioの投稿

チャック・マンジョーネ / ユー・アー・ザ・ベスト

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80年代に入りフュージョンブームがやってきます。

このころは猫も杓子もフュージョンで、高度経済成長時に
日本に電化製品が大量に入ってきたように80年代に入り、
ジャズの世界が電化音楽による浸食が始まるのです。

日本が本格的に豊かになり始めた時代で、
それに比例するように文化も変化していく。

豊かになれば腹もいっぱいになり、腑抜けた日々を送りがちなのが
人間というもので、80年代という緊張感のない時代は緊張感の
とことん無い文化が支配するのでした。

フュージョンという音楽には、私としては、
時流に乗って儲けに走るための商材でしかなかった、
という罪深さを感じるのです。

もちろんグッと来るアーティストや作品も振り返ってみれば
結構あって、クルセイダーズ、アール・クルー、スタッフ、
ボブ・ジェームス、ラリー・カールトンなんかは無罪放免でもいいのでは
無いかとも考えたりします。

グッとくるアーティストの一人として、チャック・マンジョーネ
が思い浮かんでしまいますね。

この人『フィール・ソー・グッド』の大ヒットで”商売人”
”売れ線ねらい””魂を売った男”みたいな印象を、
心の狭いフォービートファンからは持たれていますが、
はっきり言って天才でした。

元々はお兄さんとハード・バップのバンドからスタートした人で
アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズにも在籍したことがある
というから、かなりの腕前であることは間違いないでしょう。

あまりトガった印象のないチャック・マンジョーネだけれど、
『シャーリー・マクレーン』という曲ではタイトルどおり、
シャーリー・マクレーンをボーカルに据え、ダンスビート
にラップ調の語りを被せた、クラブサウンドのハシリの様な
クールな作品も生んでいます。

今日の曲『ユー・アー・ザ・ベスト』はコード進行を
聞いているだけで気持ち良くなってしまう作品で、
フュージョン嫌いの私にとっても「ザ・ベスト」なサウンド。

ラテンテイストには決まり文句でもある、
明るい中にどこか寂しさを感じさせてくれる曲調と、
彼の暖かいいホーンの音色は
秋のひんやりとした空気の中で聴くのが
フィール・ソー・グッドなのかもしれませんね。
2010-09-26 21:45:42 1mystudioの投稿

チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエバー / 第7銀河の讃歌

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70年代の終わりあたりから「クロスオーバー」が変身を初め
「フュージョン」という音楽ジャンルに生まれ変わります。

フュージョンと呼ばれるようになったのはアナログから
デジタル録音への移行という技術的な進歩は大きかったでしょうね。

電気楽器を使っていてもアナログな音源を操った
クロスオーバー時代と違い、機材の使い方が音楽性に命を吹き込む
時代に入ったといってもいいでしょう。

今じゃ当たり前のサンプラーなんかも70年代の終わりに
スティービー・ワンダーがレコーディングで使っていたようで、
80年代に入ってPCM録音をはじめ、デジタル時代に突入していきます。

もちろん演奏は、人間がまだ行っていた頃だけれど、
これまでにはない音色なんかも使用できるようになり、
80年代は音楽の聴かせ方が変化し始めたといえます。

フュージョンというと、私なんかはメカニカルなフレーズと、
変拍子を多用した曲作りの「テクニックを多用した音楽」と、
もう一方では女を口説くための軟弱なBGMのイメージが強いですね。

ジャズが持っているアート性が一切排除され、
金儲けとテクニックを見せびらかすだけの、
ただ消費をするためだけに存在していた音楽、
それがフュージョン。

80年代がそんな時代でしたからね。

私がジャズを始めたのがこの辺りで、練習場所も時間もなく、
また、当時はジャズが演奏できるような友達もなく、
金持ちそうなボンボンがジャズ喫茶でフュージョンの
ミュージシャンの話で盛り上がっているのを横目で見ながら
一人孤独にコーヒーを飲んでいた思い出があるからか、
この手の音楽には何故か恨みに近い感情が湧いてくるのです。

チック・コリアは正直ほとんど思い入れのないミュージシャンで
やたら難しい譜面を書いて、それを演奏できるのが、
さも凄いと勘違いしていたフュージョン野郎が、よくコピーしていた
ミュージシャン、というのが私の評価。

『第7銀河の讃歌 』は、クロスオーバーの空気感が残っている
演奏ではあるものの、すでに「テクニック真理教」に入信してしまった
跡を感じさせる内容です。

もちろんの一人ひとりの腕前は名人級ですけれどね。



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