2012年03月27日(火)

website作った

テーマ:日々
ふ~。もう年度末。3月も終わります。

まぁ、あんまり年度末だからって何がどうなるって仕事をしているわけではないんですけど、少し前までのあの道路工事ラッシュ。けっこう渋滞とかあって大変なんですよね。

さてさて、お気付きも方もいるかもしれませんが、このブログ、名前を「ゲゲゲの芸術」から「ゲゲゲの芸術学」へとマイナーチェンジ。
奥様の友達の言い間違いで、あ、それも良いタイトルだなってことで、とくに意味もなく変更。

で、そのお友達がなんだか最近、僕のブレーン(?)というか、アドバイザーというか、そういうことを買って出てくれていて、「you!サイトつくっちゃいなよ!」ってなことで、webサイトを突貫工事で作ってみました。

$ゲゲゲの藝術学
Tomoaki Ichikawa (1cyome) website

そしたらアーティストのポートフォリオサイトを集めた“Portfolio Database(ポートフォリオデータベース)”っていうのもがオープンしたばかりらしく、websiteを絶賛募集中だったので、応募してみました~!

なんだかグッドタイミングが起こった年度末なのでした。
2012年03月11日(日)

「1_WALL」公開審査会

テーマ:展覧会
終わりました…。疲れました…。応援して下さった方々、有り難うございました。

グランプリは逃しましたが、色々と得るもののあった貴重な機会だったと思います。

審査は時間を大幅に割り込み、白熱した審査だったのではないでしょうか。

今回の「1_WALL」というのは、どちらかと言えば「美術」というより「デザイン」のコンペであったと思います。

もともと、なぜこのコンペに応募したのか…というと、僕の中で「美術」というものに対して、なんだか懐疑的になっていた部分があり、今までの自分のやって来たことが、果たして一体何になるのか?と、より広く世に問うてみたかったということ。

そして「美術」という、ある意味で裾野の狭い業界に対して、「デザイン」という不特定多数の様々な人々を相手に勝負をしている業界のなかで、自分はどのように判断されるのだろうか、ということを思っていました。

この審査会をとおして感じたことは、「あ~やっぱり自分は所詮、美術の人間なんだなぁ」という再確認と、自分が今作っている作品に関する動悸、モチベーションの再発見でした。

$ゲゲゲの藝術

僕は今回の作品で、

美術という「ハイアート」のなかで「ウルトラQ」という大衆文化「ロウアート」を扱うこと。

それを批判的にアプロリエーションするのではなく、自分の「立ち位置」という意味において表明すること。

西洋伝来の古典的な絵画手法を使って、そこに「八百万の神」のような異形のものを描くことで、西洋文化と東洋文化の融合を図ろうとしていたこと。

今ある「現実」「震災による放射能汚染」について作品をとおしてコミュニケートすることで、何か話が出来るようなプラットホームを提供すること。

を目指しました。

上に書いたことを考えれば、僕は全く違う土俵で勝負を賭けていたということは明白なのですが、それは審査会でプレゼンテーションをしている最中、その後の数日間、僕の中で自覚できていませんでした。

今にして思えば…ということなのですが、「美術」のなんだか閉鎖的な感じがイヤで、「デザイン」の開かれた、自己満足の許されない、厳しい世界になんとなく飛び込んでみたはずなのに、結局自分は「美術」の方法論でしか作品を作れていなかったという「一体何やってんだ?」という結果だったのでした。

審査会で問題になった「あのビニールテープで装飾した壁面はいるのか?」という部分。

たしかに「不気味さ」を強調したければあの「ポップ」さは必要がないし、作品をより弱く見せる結果になったわけです。そういう批評も納得が出来ます。

しかし今回の作品の課題として、「震災による放射能汚染」や「今後の日本」について作品をとおして何か話が出来るようなプラットホームを提供するということが僕の中にありました。

あの油絵具で描かれた、暗い色調の重い絵画で壁を埋めた方が「不気味さ」や観客を「不安感」に誘うことは出来たでしょう。でも、そこは僕の狙いじゃなかった。

僕の今回の油絵、木彫にはどこか「コミカル」な部分があったと思います。それは比較的狙ってそうしたことでもありました。

それでも作品に対する閉口感は否めないものがあった。そこであの「ポールスミス」的なきらびやかな「キッチュ感」を挟むことで中和をして作品全体を受け入れられるようなかたちとして見せようとした。まぁそれが成功か、失敗かは判断の分かれるところだったと思います。

だから僕が今回の作品で一番やりたかったことは、この日本の現実に対して、震災に対して、放射能に対して、未だに誰もが口をつぐみ、思うように話の出来ないようなバイアスがかかっている日本の社会において、もっと気軽にそういうことを、自分たちが今感じてることを自由に話せるような「場」を提供すること。というか、そういうことに対して作品をとおして自由に皆と話したい、不安や想いを共有したい、という個人的な欲求の解消だったのだと、今振り返ってみて、思うことができます。

広く浅く、皆とコミュニケーションするのではなく、狭くとも、もっと深くコミュニケーションをしたい。

まぁでも、どちらにしてもグランプリを逃した者の負け犬の遠吠えにほかなりません。

グランプリ獲得の田中くん、おめでとう。また今度飲みましょう。

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