2010-06-29 20:53:08

This Is England -green-

テーマ:音楽&映画
greenです。


久々に興味深い映画だったので。

この映画は:
1983年イギリス。
ネオナチ的思想、超ナショナリズム、スキンヘッズ。


なんて聞くと、えらい過激で暴力的なイメージ。
ドラッグ、ヴァイオレンスがガチャガチャに絡む映画を私は好まない。
単純に、観ていてつらくなるから・・・
(その映画の質の善し悪しとは完全に無関係)

だからといって、
「映画で夢が観たいの~」と、ハリウッド的ロマンティクコメディを好む訳でもない。
(と言いつつラクチンに観られるから頻繁に観る)

リアリスティックな映画が好みである私には、「This Is England」は比較的興味深いものだった。
すごく良かった、とは言わない。
というか言えない(歴史の知識不足で判定出来ないから)。


テーマとは裏腹に、ソフトな仕上がりだと思った。
スキンヘッズ、なんて言葉だけでも過激なイメージだったから。

前半の登場人物たちはいたってマイルド。
友情大事、アツい絆、青春だ!
って感じ。
途中で出て来る昔の仲間、これが過激なナショナリスト。
(でも片思いしている女性に手作りの箱なんてあげちゃって、かわいい感じ)


しかしながら、この映画のファッションというものが、当時のオシャレコンシャスの意識とかが妙にリアルに感じられた。

さて、少し映画について感想をネットで検索していると「なるほど」と思うブロガーのコメントを発見。
CINEMA THE WORLD
彼女曰く、期待はずれだったそうである。
とても参考になるコメントではないかしら。


こちら日本語の予告編(差別用語の台詞が字幕に出てなかった。映画では出てるけれど。)




この予告編だとなんだかちょっと楽しそうな映画に見える。
内容は、結構重たい。

再度言うが、いい映画なのかどうか私には判断が出来ないけれど、こういう映画で知らない側面に興味を持つきっかけが出来ることでも十分な成果では無かろうか、と思う。

77年生まれの私は、主役のショーン君とあまり歳が変わらないことになる。
この当時、イギリスではこんな国内情勢だったのか、という自分の知識の一部にはめ込むとしよう。
(でももっと現実は過激なんだろうなあ)

green
2010-06-21 20:32:53

翻訳者に必要な勉強量とは? -green-

テーマ:green:独り言
greenです。


実際の翻訳者で活躍されている方々は果たしてどれほどの量、そしてどのような質の勉強をしてきたのだろうか。
翻訳学校で先生に触れて、たとえ翻訳者になったとしても勉強する日々は続いて行くことも十分にわかった。

宝石ブルー一人の文芸翻訳の先生は、もともと企業に勤めるという体質では無かったため、自分に合う職業として翻訳、そして文芸を選んだ。
アルバイトをしながら勉強を続けたらしく、ガテン系から様々なアルバイトをしたらしいが、絶対条件で勉強をする時間の取れる仕事をしたそうである。

図書館に行き、本を読む。とにかく読む。
そして先生が薦めていた勉強は、日本の作家の文をそのまま手で丸写しするというもの。
特に、自分が普段読まないような作家がいいと言っていた。
自分の好きな作家では文体も癖も想像がつくし、そもそも好みの文章であるわけだからスラスラと書けてしまう。
それよりも普段自分が読まないような作家を(もちろん文章として優れていることが前提で)写し書きするのがいいよ、ということだった。


何より私は日本語力が全くないのでこれは是非実践しようと思った。
だがしかし、パソコンでブラインドタッチに慣れていると、実際手書きで文章を書くことに大変な労力を要した。
まず時間がかかる。

人のものをそのまま写すのだから簡単だろうと思っていた。
とんでも無い。
分からない漢字も知らなかった表現もいちいち広辞苑のお世話になったりすると、小説の1ページを書き写すのすらえらい時間がかかった。

その延長で、クラスメートの新聞社務めの方のおすすめは「天声人語」等を書き写すこと。
これは最適だ。
新聞を読むことはとても重要だ。
翻訳の先生も、翻訳の本も、どこでも新聞を読むことを薦めている。
新聞の文章というものは色気こそないものの、広い世代、一般人が理解出来るように文章を書くように訓練されている人達が書いている。
それと同時に時事も学べる。


宝石緑本を読むことは当然だ。
しかも生半可な量ではない。
特に、英語の原文理解力を付けるために、ある先生はクラスの生徒に1年間で50冊のペーパーバックを読むように言ったという。

一年に50冊とは、単純に考えて1週間に1冊以上のペース。
日本語ならまだしも、原文である。
その他にもやらねばならない勉強と新聞読みもあり、日本語の本も読まねばならないのだから、これは大変な量である。
しかしながら、それくらい読まないと英語を原文として理解出来る力はつかない、とか。
私が通っていた学校には、あの「ダ・ヴィンチ・コード」の翻訳者の方が講師として教えていて、そのクラスを取っている前クラスメートの人が先日、上記の量以上を読むように言われたという・・・
(ちなみに、ダ・ヴィンチ・コードは原文の英語より、越前先生の日本語訳のほうが優れているらしい)

宝石紫ノンフィクションをやっている先生は、先生がまだ会社員だった頃、営業職に就きながら出社前に4時間、帰宅後3時間、一日計7時間の勉強を一年続けた、とおっしゃっていた。

基本的に勉強は朝のほうが向いていると言われる。
先生も朝の4時間は頭を使う勉強をし、夜は暗記ものなど頭を使わない勉強をした、と言っていた。
一日7時間!しかも仕事を続けながら!

宝石白実務系の翻訳なら、その専門知識を付けるために関連分野の新書を読みまくる、という先生もいた。

宝石赤毎日、新聞の記事をどれか訳してみる、と言う先生もいた。
新聞記事の訳はあまりいいものが無いらしいが、毎日の日課としても実務翻訳に役立つという。


走る人

もちろん自分のペースがあるし、生活のリズムもそれぞれ異なる。
だが総じて、具体的な勉強量はきっと平均している。
プロになるためにはこれほどの努力をされて来ているわけだ。
そして、その努力と見合った報酬があるか、と言われれば必ずしもそうでは無いのも現実である。

この他にも様々勉強法はあるし、努力談も散々聞いたり読んだりした。
しかし一気に書くと、自分で挫折しそうなのでこの辺にしておく。

私は仕事をしながら勉強を両立させることを苦手としている。
(その時点で前途多難)
自分のペースもあるし、勉強の方法を自分なりに確率するまでにももう少し時間がかかりそうである。
しかし、そのために勉強することは翻訳者になれなくとも自分にとって財産になる。

ともかく、あきらめずに継続しようではないか・・・

green
2010-06-17 16:43:51

若者の避妊意識改善CM フランス -green-

テーマ:green:フランスのこと
greenです。





産みの傷みに声を上げる黒人青年の横で、出産に立ち会う兄が産科医に
「子どもの母親は逃げちゃったんです」と説明する。
産科医は頭を振って
「まったくどの母親も同じだな」
と嘆く。



フランスの保健省とL'INPES(国立保健予防教育研究所)が、若者に避妊を徹底させるために作成した広告だ。男の子に避妊の必要性を理解させるために、妊娠の結果がどんなことになるかを、男性が妊娠する話を通して考えさせようというねらい。

このシリーズでは、今までにすでに3話が作成され、出産シーンは4話目。

 第1話はふさぎ込んだ少年がバイク仲間に「生理が遅れているんだ」と告白する。 
 第2話はトイレで妊娠検査をする若者を映し出す無言のフィルム。
 第3話は、女の子に妊娠を告げるシーン。おずおずと切り出す男性生徒に対し、女子生徒は冷たく「ピルは飲んでるんでしょ。飲み忘れたなんていうのは、あんたの責任よ。私は関係ないわ」と言い放つ。
 
スポットの最後にはいずれも
「避妊を自分の問題だと誰もが考えるようになるには、男が妊娠する必要がありますか?」
という字幕。



雑誌「ふらんす」より


意外とすぐにYouTubeで見つかった。
他の種類も観てみようっと。


green
2010-05-29 01:57:42

会社に対する愚痴と愛するということ -green-

テーマ:green:独り言
greenです。

翻訳の勉強をするにあたって、今までの自分の許容範囲を超えた活字を読む必要が出て来た。
日本人作家も訳書も含めて。

翻訳の学校の先生が言うには(実務翻訳者)、まずは新聞。
これは必ず毎日しっかりと読むべし、と言っていた。
週末の夕刊だって、子ども向けの記事ですら、学ぶことが多いという。

いつもは朝、一面~国際面まで軽く目を通すくらいだった。
今でもじっくりと隅から隅まで読むことは出来てはいないものの、気になる記事や私の好きな本の一節など、時間のある時には書き留めようと思う。

5/16(日)の読売新聞から

[教訓] 愛することが先だ
 140字で日々の出来事をつづる話題のミニブログ「ツイッター」のブームに伴い、会社の悪口を書く人を目にするようになった。
 いろいろと事情はおありだと思うが、コントロールできない要因も受け止めて成果を出すのが、ビジネスパーソンの務め。であれば、愚痴を言うのではなく、どう受け止め、対処するかを前向きに考えたいものだ。
 同様の趣旨のことを述べた本がある。心理学者、エーリッヒ・フロムによる名著『愛するということ』(紀伊国屋書店)である。
 フロムは本書のなかで、たいていの人は愛の問題を、「愛されるという問題として捉えている」と指摘している。会社や上司の文句を言う人は、まさにこの罠に陥っているわけだが、フロムに言わせると、それは「幼稚な愛」なのである。
 一方、成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。
 そもそも、ビジネスにおける先輩の配慮を、はたして部下が正しく受け止められるものだろうか。最近読んだ藤尾秀昭著、片岡鶴太郎画『心に響く小さな物語』(致知出版社)に、こんな話が載っていた。
 作家・西村滋さんが6歳の時、愛する母が結核で亡くなったのだが、病床で母は狂い、少年に対してありったけの罵声を浴びせ、物を投げた。その母の真意を、当時の家政婦が「札付き」のワルだった西村氏に告げたシーンである。
 「憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです」。死の間際の言葉を知って、氏は改心したという。
 未熟なわれわれには、目上の人の配慮などわからない。であれば、愛されているかどうか安易に判断するのではなく、まず自分が愛することから始めてみてはいかがだろうか。あなたの仕事ぶりは、その決断の瞬間から変わるはずである。

ー土井 英司 エリエス・ブック・コンサルティング代表取締役ー




私も実際、職場で同僚や上司の悪口を聞く機会は、望まないほど多い。
その多くは自分勝手で理不尽なものも多いが、理にかなってる愚痴もある。
それに、弱気の愚痴はどうしようも無いが、強気の愚痴なら歓迎出来るのかもしれない。
例えば、上司や会社の一方的な都合で迷惑を被るなり邪険に扱われるなりされても、それをバネとして次のステップに自分なりにつなげられるような「愚痴」である。

人の悪いところは容易に目につく。自分の悪い部分は棚に上げてしまう。
自己中心的になっているわけだが、無意識に自分でも行っている行事である。

さて、上記の記事に書かれているような考え方がすんなりと自分でおこなえるか、と言われれば、否、である。
しかしながら、理想である。

会社に対する愚痴と、「愛する、愛される」という問題を連結させることは一見関係ないように思うが、実は神髄はそこである、と考えさせられた。

自分から行動を起こすことは二の次で、会社や上司から何か自分に対してしてもらう、という受身の姿勢で過ごしているがゆえに、愚痴を言う日々が生まれるのでは無いだろうか。


考え方一つで人は変わるのかもしれない。
でもそんなに簡単ではない。
だが、この記事を読んで初心に立ち返った気がする。

人のせいにすること、責任転嫁ということは誰にでも出来る。
なんと言っても簡単なことである。
だが、愛するということ、許すということ、これは相当な力量のある人間のなせる技であるのだ。
(少なくとも現代は)


green
2010-05-24 12:48:13

シャンゼリゼ大通りが緑に -green-

テーマ:green:フランスのこと
日・中・米・仏・英 G6


greenです。
5月23日からパリのシャンゼリゼで大きなイベントが開催された。
関連記事↓

シャンゼリゼ、花と緑の農園に=生産者団体が展示イベント-パリ

【パリ時事】パリ中心部のシャンゼリゼ通りで23日、農林業産品の展示イベントが催された。凱旋(がいせん)門から約1.2キロを車両通行止めにして運び込まれたのは、高木650本、低木1万1000本、草花が約15万株。日ごろ車や観光バスが行き交う大通りも、この日は花と緑があふれる「農園」に姿を変えた。
 このイベントは、価格下落や補助金削減で苦境にある農林業の生産者団体が、フランス産品をアピールしようと約1年前から準備。入場無料で、主催者は2日間で200万人以上の来場を見込む。約8000区画に分けて運び込まれた植物はイベント終了後、区画単位で個人や団体が購入できるという。
(2010/05/24-08:23)
時事ドットコム



しかし、フランスのこういう公共事業というのはだいたいにおいて私は関心せざるを得ない。
日本と比べてしまうからだと思う。
行ったことがあれば想像に易しいが、シャンゼリゼは交通量も多い、大きな通りである。
それをこんな姿に変えてしまうのだから。

夏はおなじみ、セーヌ川沿いの通りをビーチにしてしまう、「パリ・プラージュ」もある。
その通りだって普段は車がビュンビュン走っている。
確か3~4週間ものあいだ砂浜を作ってしまう。夏中は日光浴などで地元民にも観光客にも人気の場所になる。(私も頻繁にピクニックしに行きました)

頑張っても、銀座の歩行者天国くらいか。
東京マラソンの開催も、私には驚きだったくらいだ。

多少は不便になる人だっているだろう。
その個人的事情から反対の声をあげるような人だっているだろう。それに乗じて政治家もNOと言う人が出て来るには違いない。
でもでも、これくらい大胆なイベントを、東京のど真ん中でやってしまってもいいんじゃないだろうか。

東京人が東京を誇れるような、そんなイベントを。


green
2010-04-30 00:17:21

今年頭から始めた翻訳の勉強② -green-

テーマ:green:独り言
greenです。

$日・中・米・仏・英 G6

翻訳関連のソフトがMacに対応しておらず、翻訳の学校が始まってからなんとウィンドウズでラップトップを購入した・・本当はDellが良かった。

$日・中・米・仏・英 G6

そして、必需品の辞書。普通の辞書では全くダメ。いわゆる、大辞典が必要になる。初めてなので、ひとまずはAmazonで見つけた中古、4000円で購入出来た。ランダムハウスなのは、それしかなかったから。普通に新品を買うと2万円弱する。そして、ジーニアスの大辞典でPC用のソフトを購入。紙媒体とソフトでどれほど使い勝手が異なるか今後比較して行く。ちなみに、iPhoneは前から持っているから関係ないが、iPodナノのムービーを撮れるやつを一緒に買ったから写したかっただけ・・・




実は私、今まで翻訳本は意図的に読んでこなかった。
恐らく、すばらしい翻訳本に出会ってなかったからだと、このコースに通い出してから思った。

何冊か読んだ翻訳本は全て、「翻訳」っぽかったのだ。

原文を理解出来ることが一番の理想である。
だが、全ての言語でそれが可能かと言われれば、否、である。

読者に「翻訳本とは気付かなかったぜ!」と思わせることが翻訳者冥利にも尽きるというものだ。
私には、翻訳された本はどうしても読みづらい、という先入観が出来上がってしまっていた。
(それでいてよく翻訳者を目指そうと思いますね)

もちろん翻訳学校の講師はほとんどが現役の翻訳者であるので、生の声も聞けるし、仕事に直接関わる話を前提として授業を進めて行くので実践的な経験も出来る。

そして翻訳に対する態度というものは、先生によって千差万別であることも確か。

実務翻訳というのは比較的理論的で、勉強しやすいと言える。
文芸などでは翻訳者によって訳が微妙に異なったりするが、実務の場合ほとんどブレがない。
とても数学的な要素があるように思う(文芸や映像に比べて)。

文芸だと、例えば、一つの小説を訳すとしよう。

まず、登場人物のキャラクターを自分なりにしっかりと深くまで理解する。
それから例えば、訳し始める時に、英語の一人称、つまり“I”をどうするか決める。

日本語にはあまりにも多い一人称の言い方。
―― 私、あたし、俺、ぼく、うち、わたくし。(まだまだ存在するが)

ちょっと特徴のあるキャラを持たせたかったら、
―― あっし、われ、あたい、わて、

きりがない。
さらには、漢字で表記するか、ひらがなにするかでもイメージが変わって来る。

私が授業でやったアメリカのフィクションでは、主人公が男性だった。
優しくてちょっと情けない男性なので、「俺」も「オレ」も「おれ」も違う。
ひどく嫉妬深い性格もあるので、「僕」というよりは「ぼく」がいいだろう、という感じだった。

このように、翻訳者によって原文の持つ色や強さ、言葉遣いのニュアンスは咀嚼され、別のものに生まれ変わると言っても過言ではない。
しかし、文芸の先生が異口同音に言うのは、
「原文に忠実に」である。
これが難しいのである。

きわめて優れた日本語能力が無ければまず話にならない。
そして原文をしっかりと理解する英語読解力。


そもそも、翻訳を意識したのには理由がある。
中途半端な英語をしっかりと使えるものにしたかった。
外国語を学ぶというのはいつだって、外国人との会話、という要素が大きかった。
翻訳の勉強では、発音など直されもしないし、会話力なんて問われない。
(クラスの多くが見事なカタカナ英語だった。先生も。)
日本から出たことが無い、という人もいた。

私は、これほど英語を勉強しているという気がしているのにも関わらず、英語を勉強している感じがしなかったのは初めてである。
言い換えると、翻訳の勉強とは英語を勉強しているのに、日本語の勉強をしているのである。
そして、英語の原文の意味を理解出来ない、文法的な処理が出来ないと悩むこともあるが、日本語能力の低さに愕然とする日々であった。

必ずや翻訳を生業として生きて行きたいと今は思う。
実際に勉強を始めてそう確信出来た。
たとえ先生に褒められることが無かったとしても(苦)。

目標はフリーランスであり、それに向けて不断の努力を続けて行くしか無い。

翻訳者は、その勉強量と実際に仕事として受けたときの調べものの量と、実際に受け取る給料が見合ってないような気がしないでも無い。
これほどまでに翻訳者になることが大変だとは、正直思っていなかった。

しかしどうして、皆、好きでやっているのである。
それでそこそこのお金が頂けるのなら、面白く無い仕事でまあまあのお金をもらえるよりは遥かにマシだ、と思うのは世の中の理想である。

まずは英語で始めた翻訳の勉強だが、いずれはフランス語でも、と大きな野望を胸にフランス語の学校へも通うのであった。


green

2010-04-29 00:07:20

今年頭から始めた翻訳の勉強 -green-

テーマ:mamacoの独り言
greenです

$日・中・米・仏・英 G6

             ↑画像はブログの内容と無関係。パリのタクシー。


1月から3ヶ月間、翻訳の総合コースに通い出していた。
週に3日、一日4時間。
「課題がてんこもりに出るものの、週に3日なので無理なく予習復習に時間が作れます。」
なんて、そのコースのウリ文句。

確かにクラスの中で私以外は皆、会社を辞めて翻訳者として転職をしようという人ばかり。
週に3日の学校のある日以外、全て仕事が入っていた私の場合、過酷を極めたのだった・・

翻訳には大きく分けると、
1, 映像翻訳(字幕&吹き替え):映画、ドラマ、ドキュメンタリー、テレビショッピング系、ヨガのビデオなどジャンル多数

2, 出版翻訳:いわずと知れた本の翻訳。フィクション、ノンフィクション。

3, 実務翻訳(産業翻訳とも言ったりする):翻訳業界で現実的にもっとも需要(仕事)があるジャンル。

実務翻訳の中でもさらに多くのカテゴリーがあり、そのそれぞれで専門を持っていることが普通。
実務翻訳には、

a、特許翻訳
b、医薬翻訳
c、ビジネス文書(契約書、国際金融、政治、etc)
工業、IT、政治経済、金融、とさらに分かれてくる。

とまあ,私が通った翻訳の総合コースは、ざっとこの映像、出版、実務の3種類をくまなく勉強させられる。
私の場合、映像翻訳のほうの道には進まない、ということだけは始めからはっきりしていたが、「翻訳」というもの自体、その業界自体に関して知識ゼロだったので、総合的に学べるこのコースが最適だと判断した。
それほど学費も高くは無かった。

ところがどっこい。
一番比重を少なくしたかった映像の授業の字幕と吹替のクラスの課題がそれぞれ最も手間がかかり大変なものだったのだ...

仕事してて時間がな~い!みたいな低俗な言い訳のレベルではなく、物理的にはっきりと時間が足り無かった。
そう、それはまるで、
「5分間時間をあげるから、犬の散歩に30分行って来て」
と言われて、
「え?無理です」
という感じか。
(説得力無い)

一日24時間では足りない!と感じたのは生まれて初めてだった・・・




$日・中・米・仏・英 G6


↑総合翻訳のコースも修了し、4月中旬から新たに取った「ノンフィクション」クラスで訳しているアガサ・クリスティの自叙伝の課題取っ組み中。(恥ずかしいけれど、実はアガサ・クリスティの小説、一冊も読んだことな~い!!恥・・)
2010-04-15 01:12:21

男子新体操 -green-

テーマ:green:独り言
greenです。

大学の友人からネタがメールで来たので、ちょっと載せます。
こういう遊び心って、とても大切だと思います。

私も大学生の頃はダンスをやっていましたが、随所に「あそび」を入れる事ばかり考えていたものです。




green
2010-03-30 00:19:54

フランス人先生の驚愕 3/26 -green-

テーマ:green:フランスのこと
greenです。

先週は冬学期で最後の授業だったフランス語。
先生も4月の頭に実家(フランスのマルセイユ)に帰郷するとかで気分も高揚していた。

3月22日の祝日に、日本人の彼女と埼玉のほうの温泉に出かけた先生。
その場に居合わせた男性が、裸体の先生を異様な目つきでなめ回すように見て来たそうである。

その目線の先は先生の目の位置ではなく、体の中心よりやや下あたり。
先生も強烈に不快で、思わず隠すところをしっかりと隠した、とのこと。

先生は、
「絶対にホモセクシャルだった!」と言うも、外国人の裸体を興味本位で見ただけなのでは?とも思う私。
どちらにしたって失礼な行為には違いない。

温泉という話題が出たので、
「先生は裸になることに問題は無いのですか?」
と質問してみた。

欧米にも温泉があるものの、裸で入りはしない。水着を着ていると見聞きした。
(私は実際に外国で温泉には行った経験は無い)
よくよく考えれば、赤の他人がいる中で素っ裸になることに抵抗が無い、という国民も珍しいのかもしれない。

先生は、
「Non」(問題無いよ)
と言っていたものの、在日6年である。
はじめて日本で、日本人の知人に銭湯に連れて行ってもらったときの経験は忘れられない、と言っていた。

銭湯に行き、中へ。
普通に会話しながら日本人の友人は、それこそ今までの会話を途切らせることなく、普通に、何食わぬ顔で、涼しげに洋服を脱ぎ出す(しつこい描写だが、先生の興奮を伝えたい)。
ぱぱっと真っ裸になった日本人の行動を見て、本当に悲鳴が出るほど驚いたという。
風呂場をガラリと開けてみると全員はだか。
それでやっと友人の奇怪な行動を理解した、とのこと。

日本人のことを、とてもpudique(ピュディック:はじらいのある、控えめな、内気な、つつましい、上品な)と思っていた先生には衝撃的な行動だったんだそうだ。

フランスではプールですら、個室が用意してあってその中で着替えを行うと言う。
(フランス人はプールが好きな気がする)

ひらけた空間で、涼しげに服をポンポンと脱ぐ、銭湯や温泉での日本人の行動が、外国人の目にどのように映るのか。
(そんなこと私には分かりはしない。温泉最高。)


慌ただしく今季最後の授業が終了した。
また4月中旬から春学期が始まる。

4月と言えば、日本では色々なことがスタートする時期で、気持ちも克己心に湧く。
フランス語の学校も例外なく生徒が増える。
(寒い冬の学期は比較的少ない)

私も気持ちを入れ替えて、フランス語に英語に取り組むこととしよう。

green
2010-03-22 21:57:21

イヤホン電話と二人の父 -green-

テーマ:green:独り言
greenです。

パリにいた頃は、パリッ子たちがイヤホンで携帯電話を使用している頻度が非常に高かった。

日本ではあまり見かけない光景だったので、最初のうちは慣れないものだから、独り言を堂々と話しながら人が歩いていると思った。

よく見ると、耳にかけるだけのワイヤレスみたいなものがついているので、後で「ああ、携帯で話していたのか」となる。

最近は日本でもちらほら見かける。
もう”激しい独り言の人”、とは思わない。

なぜなら、私も家ではスピーカー付きイヤホンで話すことがしばしばだから。

両手が使えるし、手で携帯を支えて長電話すると意外と疲れたりする。
(滅多に電話なんてしないんですけれど)
iPhoneって結構重たいし。



今しがた、帰宅して父に電話をかけた。
(実の父は近所に住んでいる)

イヤホンで話しながらキッチンのほうへ行き、ワインの栓を開けていると、イヤホンで電話出来るなんて思っていない継父が、ず~っと自分に話しかけられていると思って「うん。うん。え?何それ?」とか言っていた。

継父に向かって、
「今イヤホンで電話しているの。お父さんと話しているんだよ」
と説明すると、今度は実の父のほうが「うん。うん。え?」と言う。

むむう。
ややこしいテレフォンとなった。

もちろん継父にも実の父にもイヤホンについて後で説明しておいたが。
(感心していた)

ああ、課題がたっぷりあってワイン飲んでる場合ではないのに・・・

green

Amebaおすすめキーワード

    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト