仕事がつまらなくなった時、つい「適職ってなに?」と問いたくなることがあります。
農業を適職とする人はどんな人?靴磨きは?本屋は?大工は?なんだか難しくてわかりません。

そんな時、私は「投影」という言葉を思いだします。
投影とは、世の中の事は心の映し鏡という意味の言葉です。

たとえば、爽やかなときに青空を眺めると、爽やかな青だなぁ、
悲しいときに眺めると、悲しい青だなぁと思うように。
愉快なときに森に出かけると、愉快な森だなぁ、
おびえたときに森に出かけると、怖い森だなぁと思うように。

もともと青にも森にも感情的な意図はありません。

人とコミュニケーションをする事が好きな人が農業をすると、どんな農業になるでしょう。
計画的な人がするとどんな農業になるでしょう。

美しいものを創造したいと思う人が靴磨きをすると、どんな靴磨きになるでしょう。
人の支えになりたいと思う人がすると、どんな靴磨きになるでしょう。

自分の心が明らかになったときに初めて仕事に彩りが映るのかも知れません。
仕事がつまらなくなったんじゃなくて、
じぶんの心の中がつまらなくなったのかも知れません。

今日もじぶんから良い一日にする。
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20150508 fry LIVE FOR LIFE

テーマ:
“LIVE FOR LIFE”とは急性骨髄性白血病と診断された本田美奈子氏が遺したメッセージで、難病者支援活動の団体につけられた名前です。「生きるために生きる」あるいは「生きることそれ自体に意味がある」と訳します。人は生きているだけでも価値のあるものなのでしょうか。人の役に立たなくても、能力が低くても、ただいるだけで価値があるものなのでしょうか。
子供が生まれた時のことを思い出しました。私には二人の子供がいます。四歳違いの二人は同じ季節に同じ病院で生まれました。双方の両親も大変喜んでくれ、幸せに包まれて子供たちは生まれました。陣痛の家内について入った病院で、無事に生まれてきてくれと、待った時間はとても長く感じられ、私たちの両親も手を合わせてその時を待ちました。誕生、五体満足に生まれてきてくれたことが、ただ嬉しく、日頃信心のない私が、「神様ありがとう」と内心つぶやきました。私は「今日から一生懸命働こう」と心に決めました。自然にそう思いました。ただいてくれるだけで生きる勇気になる。ただいてくれるだけで嬉しく感じる。「生まれたからにはクラスで1番になれ」とか「偏差値は60以上で頼むぞ」などと思うことはありませんでした。ただいてくれること、それ自体に大きな価値がある。当り前のことほど忘れがちになります。
今、家内は子供たちのお弁当と朝食を作っています。土曜日の朝5時半です。子供たちはまだ寝ています。私たちは子供のために、実によく働きます。仕事をしてお金を稼ぎ、彼らを食べさせ寝かせ、風呂に入らせ、洗濯をします。数々の面倒を見たうえで、人間としての躾もします。大変な時間と労力を使って育てています。もちろん、その役割を担うことは私たちにとって生き甲斐です。しかし、私たちも人間ですから、時にはつらくなる事もあります。「なんでいつも私ばかり」「こんな苦労を誰もわかってくれない」と心のなかでつぶやくこともしばしばです。きっと誰もが経験する気持ちなのでしょう。自分だけではないのです。人間ですから。大好きな子供を育てる役割ですら、辛い時もある。それほど子育てとは大変なことなのです。自分をほめてあげましょう。少しでも生んだ甲斐があるように。本当に毎日よくやっています。ただいてあげるだけで大きな価値があるのです。
学校に行くとたくさんの生徒たちがいます。礼儀正しく挨拶ができ、明るい笑い声が飛びかいます。きっと中には、何かに悩んでたたずんでいる生徒もいることでしょう。それは、もしかすると私の子かも知れません。何とか悩みを乗り越え、その子らしく成長してもらいたいものです。みんな誰かの子です。光り輝く宝物の集まりです。PTAの役割は、そんな生徒たちの育つ環境を守ることです。私たち子育てを頑張っている者たちが、互いの子供たちを思いあう連係です。子供の友達の親もきっと頑張っていると感じてみましょう。そんな気持ちがPTAを支えます。
そろそろ子供の登校準備ができたようです。「部活?」と聞いたら「テスト!」とこたえました。「いってらっしゃい、夕食は一緒に食べよう」「わかった、いってきます」。“LIVE FOR LIFE” いてくれるだけで、ありがとう。いつもながらの大切なやりとりです。

(この文章は2007年、息子が高校1年生のときにPTA機関紙に寄稿したものです。)
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20150201sun ほんとうは大丈夫

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ワインの味の良し悪しがわからないと問いかけたら、あなたは水の味の違いを感じることができますかと問い返されました。もちろんです、富山生まれですからとこたえたら、そんな繊細な味覚があれば、十分にワインの味が分かっているはずですと教えていただいた。わかるとは何か。

カウンセリングをする資格が私にありますかと問いかけたら、あなたは人の相談にこたえた事がありますかと問い返されました。もちろんです、友人は大切ですからとこたえたら、そんな人を尊重する自覚があるあなたには、十分にもうその資格があるのですと教えていただいた。資格とは何か。

あなたは大丈夫なんだよと言われたようで向上心が湧いてきた。

救急救命の訓練に参加したときに、このくらいの訓練しかしていない私が、本当に事態に直面した時に人を救うことができるものでしょうかと問いかけたら、何もしなければ必ず事態は悪化するのだから、何かをしてあげるほうが助かる確率が高くなるのですと教えていただいた。できるとは何か。

私たちは、知らず知らずのうちに「わからない」「できない」「資格がない」と自分を閉じ込めているのかも知れません。

本当は大丈夫なのに。


じぶんから良い一日にする。
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20150111sun 職業の安定

テーマ:
 いい学校を出ていい会社に入ったのに、なぜ幸せになれないのだろうということを考える若者の会があるのだそうです。この場合のいい学校というのは偏差値の高い大学、いい会社というのは一部上場企業と置き換えてもいいのでしょう。昭和の後半を25年間育った私には、たしかにいい学校を出ていい会社に入ると幸せになれるという感覚があります。雇用が安定していて、給与が高くて毎年昇給して、ブランド性も高く自分の人生の彩りにもなる。できれば自分の子供たちにも、そのような道を歩んで欲しい。今の時代もその論理は当てはまるのでしょうか。
 ちなみに私は、1986年に当時日本一の売上高を誇る流通業の企業に入社しました。全国に数十店舗の拠点をもつ百貨店でした。前途洋洋として社会にでた私を待ち受けたものは、入社5年間のバブル経済とその崩壊、その後店舗は半減し、会社は大手量販店グループに買収されることになりました。多くの人が転職を余儀なくされ、中小企業に転身していきました。そして彼らの多くは後悔しました。もっと安定した企業に就職すればよかったと。しかし周知のように、その後あらゆる企業の雇用の流動性は益々進みます。銀行をはじめとする金融業界も、日本を代表する自動車や電機などの産業も、廃業や統合やリストラの話題は後を絶ちませんでした。
 それは景気が悪かったから。たしかにきっかけは経済成長の失速でした。では景気がよくなれば、あの頃のような安定した雇用が再現されるのでしょうか。私にはそうは思えません。企業のグローバル化は、世界規模の統廃合を促進していきます。多国籍社員の文化は日本人らしい文化を飲み込んでいきます。高度情報化により、社会のボーダレス化は一層進み、業界の垣根を消し去り、役職や年齢や性差などの垣根を消し去っていきます。働く時間や場所はいよいよ自由化され、所属という意味合いにも変化が訪れます。それでも、やはりもっと安定した組織に所属することを求めることが、安定した幸せな職業人生につながると言えるのでしょうか。
 会社員である前に、一人の自律した職業人であることが求められるのではないでしょうか。「明日も是非君にお願いします」と言われる仕事を毎日しているかを自問自答しなければなりません。自分をいきいきと働かせるための方法を考え続けなければなりません。そして自分の魅力を磨き続けなければなりません。それは自分の仕事を安定させるために、どんな職業の分野でも、どんな年齢や経歴の人にでも、今すぐできる仕事への考え方の一つです。


じぶんから良い一日にする。

20150103sat 息子への手紙

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 今年大学を卒業する君は、学生生活最後の年越しを東京で過ごすことを選び、我が家は君が生まれて初めて、君のいない正月になっています。間もなく23歳、思えば変化の時代に育ってきたものです。この世に生を受ける3年前、89年に昭和天皇崩御、ベルリンの壁崩壊。90年に湾岸戦争勃発、91年にバブル経済崩壊、ソ連邦崩壊。日本も世界も大きな転機の中、1992年1月に君は幸せに誕生しました。ただ先天的な疾患があり、いつか手術をしなければならないという課題を持っていました。

 翌93年に自民党55年体制が崩壊。95年には地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災。日本は成長神話崩壊のみならず安全神話が崩れたと言われました。97年に山一證券破綻、98年には北海道拓殖銀行破綻。日本経済を牽引してきた金融会社の破綻だっただけに、社会のショックは大きく、日本の年間自殺者数は3万人を超えました。バブルに浮かれた昭和末期を経験した私たちから見ると、とても信じられない10年間でした。

 君が懸案の心臓手術をうけたのは、中学一年の時でしたね。車椅子に乗って、笑顔で手を振り手術室に入っていった顔は、決して忘れることができません。先日、就職活動の課題で「あの時はもう生きて帰れないかも知れない思っていた」と私に語ってくれた時、それを口にするのに10年かかった君の気持ちを知りました。

 気がつけば、一様の価値観で進んだ経済成長が行き詰まったあと、未だ迷走を続ける社会に私たちはいます。しかし一方で、多様化・変化・情報化・スピード化・ボーダレス化という言葉に表現されるような新しい時代が始まっています。80年代に物的豊かさは飽和し、その後商品やサービスは多様化しました。それを選択する私たちの価値観も多様化しました。すべての人が一つの価値に向かう時代は終わりました。だからこそ自分の価値観はしっかり持たなければなりません。現在の産業革命ともいえる高度情報化は、あらゆる境界線をなくし、変化や多様化に限りはないとも思えるスピードを与えました。だからこそ自分で考え自分で行動を起こす力を持たなければなりません。もう昭和育ちの私たちの時代は終わりに近いのかもしれません。

 高校二年の時、先生のすすめに逆らい物理の授業を選択することを拒みましたね。理系クラスなのになぜと先生は思ったかも知れません。物理を学ばないと受験に不利なことは明らかでしたから。ただ、私はわかっていましたよ。たとえ理系でも生まれつき人好きの君は、物の研究や開発に関心は持てない。たとえ受験に有利でも、人生は受験のためにあるのではないと君は知っていると。結局君は、人への関心を満たすために教育学部に進みました。座右の銘は「初志貫徹」だったね。最後までよく思いを貫きました。右並びに偏差値と知名度だけで進路を決める時代は終わっているのです。

 就職活動では、学校教師ではなく、民間の人材教育機関を目指しました。東京での就職活動は精力的でしたね。次々に人に会いにいく姿には脱帽の思いでした。第一希望の企業から課された課題は、今までの人間関係や過去の出来事を振り返るというものだったのでしょうか。いきなり電話で、あの日の手術の話をし始めたときは驚きました。二時間もの長電話でしたね。努力が実って、就職活動は随分いいところまで進めることができたようでした。なぜ最終面接で口ごもってしまったのでしょうね?「同業の会社を経営する親の住む富山に帰らなくていいのですか?」の質問に。

 一転君は、私の経営する会社に就職活動を始めました。面接は厳しかったですね。面接にあたったスタッフ達は、誰に対しても常に本気で関わるのですよ。厳しかったのではなく本気だったのです。この冬が終わると共に働くことになります。仕事はあまくありません。今日の仕事が人の役に立ち、認められなければ、明日の仕事はないからです。明日の仕事がなければ、生活はないからです。住まいも食事もないからです。教育も文化もないからです。一方で仕事は限りない遣り甲斐を与えてくれます。どこまでも高い目標を与えてくれます。どこまでも深い目的を与えてくれます。すべては自分自身の選択と行動によるものです。

 私は間もなく正月休みを終え、いつもの仕事に戻ります。今年の冬はいつもより寒さが厳しくなりました。どんな寒い雪深い日にも働いている人がいます。そんな人たちに負けずに働く、そんな人たちを応援して働く。私たちはそういう存在でありたいと思います。君も覚悟をもって、初めの一歩を社会に踏み出してください。待っています。くれぐれも身体を大切に。

20150101thu 娘への手紙

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 高校生活もあとわずかになってきましたね。振り返るといろいろなことがありました。入試の初日は寒い嵐の日で、試験を終えた君は顔が青ざめ鞄を抱える手が震えていました。頭が真っ白になって何も書けなかったと。ようやく車に乗り込んで母の顔を見たとたん声をだして泣きましたね。あの日の君はよく泣きました。模試より20点も低い点数の合格で高校生活が始まりました。

 入学後は吹奏楽部に入りましたね。中学時代に腕を磨いたサックスを、これからも聴けると私は嬉しかったよ。まさかクラリネット担当になってしまうとは。思いが叶わず辛かったね。部活は辞めると思っていました。数日して君は「クラリネットをがんばる」と言いだしました。「元々みんなで音楽がしたくて入ったのだから」と。確か小学生の時、楽団の演奏を聴いて自分もみんなで音楽をやりたいと思ったのがきっかけだったね。

 君はとても大切な「自分の気持ち」を思い出しました。中学生までは何をやっても主役級だった君には高校生活は試練の連続だったね。「自分の気持ち」を確かめながら一つ一つ乗り越えてきました。定期演奏会の校歌の指揮は立派でしたよ。よく遣り抜きました。辛い出来事があったときには、一番純粋な「自分の気持ち」に従うことが大切だということを教えてくれました。小学生の頃から新聞を読む子でしたね。いじめの特集を真剣に読んでいた姿を時々思い出します。中学生のときは不登校の友達のことをよく話してくれました。

 大学は心理学科に進みたいと言ったときは「やっぱり」と思いましたよ。君の心を観る感性と国語力には目を見張るものがあります。人生は思うほど長くありません。できるだけ早く好きなことを見つける。好きなことには人の数倍努力する。それはとても大切なことです。

 年に200日をこえる出張をする私は、少しでも自分の子との接点を得るためにPTA活動を続けてきました。兄の小学校入学とともに役員を引き受けて16年が経ちます。君の高校卒業とともに私のPTA活動も幕を下ろします。君も私も多くの人に支えられて生きてきました。感謝しなければなりませんね。そしてあとわずかの高校生活を頑張り抜こう。仲間たちと共に高きを求め桜咲く春をめざそう。すべての事を最高の思い出とするために。

(この文章は2013年、娘が高校3年生のときにPTA機関紙に掲載していただいたものです。)