近年、様々な分野において、リスクマネージメントが叫ばれるようになった。
その根源は人間が抱くリスク不安である。
こんな事態に陥ってしまったらどうしよう。そのためには、そうならないようにしなければならない。
それは人の持つ性であり、当然の感情であると思う。
しかしながら、近年のリスクマネージメントは、過剰ではないか?はたまた甘すぎやしないか?という疑問も同時に生まれる。
本来のリスクマネージメントとは、最悪を防ぐものだと考えている。それはリスクというものを完全に回避する事が不可能であるが故の、苦渋の選択なのである。
ある程度は駄目になっても、最悪こうならないように・・・・というプランを立て、リスクマネージメントを構築するという考えだ。
それが近年では、両極端に振っているように感じるのだ。
あまりにも過剰なリスクマネージメントを要求する分野がある一方、あまりにもリスクマネージメントを考えなさすぎる分野もある。
言い換えると、バランスの悪いリスクマネージメントである。
例えば原発問題しかり、飲酒運転しかり、過剰なリスクマネージメントを要求することでの二次的弊害が生まれている一方、金利上昇リスクを顧みない長期変動金利での住宅ローンリスクや、目先だけの利益重視の結果から選択する共働きリスクなども上げられるだろう。
論理的に非常に危険であるものが意外と軽視され、感情的で論理性に欠けたものが過剰にリスク不安となるのである。(不安のもとが感情であるので、ある意味仕方の無いことでもあるのだが)
これらの本質がどこにあるのか。自分なりに考えた結果、いくつかの要因を書きたいと思う。
一つは成熟した経済におけるヒステリック現象である。
これは社会的不安が減れば減るほど、感情的不安が増えるというものだ。(世界標準で言えば、この国はそうとう豊であることは確かである)
先にも似たような言い回しをしたが、不安は人が生きている以上、無くなる事は無い。何かを無くせば、また新たな不安が生じる。それは死ぬまで続く、
生きることのリスクなのだ。
しかしながら、それらを理解せずに、目の前の不安を感情的になって払拭しようともがくことで、人は論理性と客観性を欠いた決断をしてしまうようになる。
さらには、精神的未熟も上げられる。
一言で精神的未熟と言っても、それは様々な要因が重なり合って複合化された問題であるが故に、考察することを困難なものとするが、わかりやすく説明するため、あえて簡素化しようと思う。
まず、精神力というのは、発生する事象に対しての解決能力である。これには、過去の経験や知性、知識などが主に関与する。
よって、経験値や知性、知識が希薄な場合、精神的影響を受けやすくなる。
(これは元来人間という生き物は、すべて精神的未熟であるという前提においての話であり、それを克服する手段だとも言い換えられるだが)
さらには、その問題解決能力(精神的未熟をカバーする)が低いことで、解決すべき問題と解決できない問題を混同し始める傾向にある。
これがまさに感情と直結し、その場の空気や、社会的状況などに流され、リスクマネージメントのバランスを崩す要因につながっていると考えられる。
リスクというのは、大きく分けて、解決できるリスクと、解決できないリスクと、解決したところでまた新たなリスクが生じるリスクの三つに分類できるが、それらを混同して同じようにリスクマネージメントを考えることは不可能であり、結果、感情の偏りが生じる事でバランスを欠くということである。
このように、人が生きている以上、様々な問題とリスクが生じ、人はそれに対し、常に対処を迫られるのであるが、それ故に、リスクマネージメントをどこでするべきか、しないべきか、そういったプライオリティーの明確化とその選択能力、バランス能力が問われるのだと思う。
久々に真面目な話を思うがままに書き綴ったので、わかりづらい部分や、甘い部分があるかもしれないが、あしかず。