「荷物よーし」
「飲み物よーしだぜ」
「夏月に連絡もしてあるのじゃ。鹿娘にも連絡先を渡したからのう」
8時前に忘れ物がないか部屋を確認し車に乗り込む。
「先に北井牧場に急ぐんじゃな?」
「本当なら他を見学してから寄りたかってけどかりんの言葉で大丈夫かわからなくなったからな。その頃には夏月ちゃんも着くだろ」
「この様子だと9時ぐれえか、到着は?」
「予定だとそうなるな。ただ道路次第では遅くも早くもなりそうだ。どっちにしろ一番最初に行かないといけないしな」
車で和川を高速で渡り、南良州へ入ると道路の脇にはのどかな田園風景が広がり、奥には山々が和尊達を出迎える。古き良き列島の原風景がそこかしこに見られ、牧歌的な雰囲気が辺りを包んでいた。
「昔はこうだったと説明するのにぴったり場所じゃのう。古民家もあるし、田んぼもある。それに独自の風習がいかにも残っていそうな匂いがプンプンするのじゃ」
「それは矢中も一緒だろ。昔から残っているやり方をずっと踏襲しているじゃないか」
集落のみんなが毎年行っている愛宕さんの掃除やお参りや夏祭り秋祭りは昔から続いている集落のしきたりである。それは町の至る所でも開催されているので、こっちと負けていないと和尊は思っていた。
「矢中よりもこっちの方が歴史が古いじゃろ。だから格は上だと思ったんじゃ」
「どこも原風景が残っているところはそれなりの風習が残っていると思えばいいかな?」
「そこはきっと同じじゃろうな…」
家がまばらになり、広大な田畑ばかりが目につき始めたころ北井牧場の入り口に着いた。すでに列をなしていてしばらく並ばないといけないようだ。
「夏月が先に来とるはずじゃが…。お、入口のテーブルで爆睡しているのがそうじゃないかや?」
山伏装束と畝傍で仕事する際に肩で切り揃えられた黒髪はまさに夏月だった。その背中が緩やかに上下してり完全に夢の中にいるようだ。タイヤが砂利を踏む音を聞いたのか夏月がゆっくりとこちらを振り向くと緩慢に手を振る。
「夜通し飛んできたんじゃろうし疲れてそうじゃな…」
穂美は夏月の反応を見てぽつりとつぶやいた。車を降りると大あくびを噛み殺して夏月が和尊達に挨拶する。
「おひゃよ~…。ううーん…いっしゅーかんぶりだっけ?」
「もう、そんなになるか。花隠との勉強はどうだ。うまくいってるか?」
嫌な顔をするかと思ったら夏月はそうではなく、むしろいい顔をした。
「それねー、結構わかりやすいよ。この夏月ちゃんでもよくわかるように教えてくれるから本当にいい先生だと思う」
「伊達に何人もの従業員を抱えた宿を経営していただけあるのう。おてんば娘もよく理解できるように結構考えてくれとるようじゃ」
花隠の性格からスパルタをイメージしていたが柔軟に夏月に教えているようだ。
「それで、蘇だっけ。畝傍に持って帰るやつ」
「ああ、長旅悪いけどよろしく頼むよ。まさかこんなところで古代のチーズにお目にかかるとは思わなかったからさ。是非畝傍の皆にも食べてもらいたいんだ」
「へえ~、和尊さんがそこまで関心を示すなんてね~。いいよ、それよりもお土産ってどうなっているの?」
二人は顔を合わせると同時にほくそ笑む。
「ちょっと~、何笑ってるのっ!」
「悪い悪い。きっちり日にちが持つものを買っているからその点に関しては問題ないさ」
「もう、今のところ私の唯一の楽しみなんだよ? お願いだって!」
「結構うるさい奴だな、こいつ。烏天狗なんだからもっとプライドが高いと思ってたけど全然違うな。まるでガキみたいだぜ」
すると夏月はハァ⁉と言う顔をした。
「わ、和尊さん!この子相当毒舌なんだけどなんなの?こんな見た目してこの口調って!」
「夏月ちゃん、紫音はこんなんだからしょうがないんだ。大目に見てやってくれ…」
「こんな可愛い子がこんな言葉遣いだなんて、ショックだよぉ…」
「うっせーな、二人して何なんだ。元々がこういう言葉遣いだから別にいいだろうがよ‼」
容姿が抜群の代わりに口が汚い紫音は初対面の相手には必ず同じ印象を与えてしまうのはしばらく治らなさそうだ。
「ち、どいつもこいつも私のことを見た目だけで判断しやがって…もっと活動的な見た目がよかったぜ」
「妾はその見た目の方が後々得だと思うのじゃが。その恰好でねだれば大体は上手くいきそうじゃしな。蘇は高いから紫音なら負けてくれるかもしれない」
「私はそんなことぜってーしねえぞ。しねーからな。絶対に!」
紫音は自分が人間には見えないことも忘れて、値切りはしないとわめき散らしているとカラカラとドアが開いて和尊達の番になった。
「紫音、機嫌を直せよ。言葉遣いなんて徐々に直していけばいいんだからさ。さて、どんな感じで売っているんだろう?」
中に入ってみると狭い店内にテーブルとイスが置かれているだけで比較的シンプルだった。受付も小さくみどりの窓口くらいだ。
「すいませ~ん、蘇を3つお願いします」
「蘇を3つですね。しめて3300円になります」
和尊は苦笑いをしながらお金を支払う。流石は貴重な蘇。結構値段が高い。しかし人気なのも確かなようで今和尊が購入した三箱が最後の在庫だったらしく蘇を受け取った後に店員の方が『蘇・入荷待ち』というお知らせをかけた。
「いい値段をするし、これだけ人気があるとはの~。千五百年も前からある蘇を買えるなら品切れになるのも速いのじゃ」
「それで、この一箱を私に持って行ってほしいということね。チーズだし軽いから良かった~」
和尊からビニール袋を手渡された夏月は改めて中身を確認する。
「残りの二つは蔵州に持って帰るんだろ?賞味期限とはどうなってんだよ。持って帰ったら食えませ~ん。とか話になんねえぞ?」
「そこは大丈夫そうじゃ。4日くらいで着くからそこまで気にしなくていいじゃろうな」
そこまで言ったところで夏月があっ、と声を上げた。
「それだと和尊さんたちが帰ってくる頃には賞味期限切れちゃうよ?蔵州へ行ったらすぐとんぼ返りするわけじゃないはずだし、その場合はどうするの?」
「そうなったら畝傍のみんなで食べてもらえばいいや。その方が気を使わなくて済むだろ?」
「それならみんなで食べてもらえるようにするね。この量だと一切れづつ分けちゃうともうなくなりそうだもん」
「それよりも夏月ちゃんは疲れてないのか?もしなんなら、お昼は出すぞ」
すると夏月は残念そうな顔をしながらポケットから大きめのおにぎりを取りだした。定規で計ったかのような綺麗な三角形をしている。
「花隠さんが作ってくれたの。私が良州まで行くって聞いたときに太陽が出てないときから厨房に立って準備をしてくれたんだって木陰さんが言ってた。それにお昼をごちそうになってたら夕方の勉強に間に合わないもの」
和尊は最初に花隠が柔軟だと思った考えを改めた。やっぱりスパルタだ。
「でも~、私は頑張んないといけないからね。宿を始めたら私が広報とデザート全般を任したいとか言ってたし、常識が欠けてる分人一倍勉強しないといけないからさ」
夏月もここ数日で自分には常識が足りないとようやく自覚したらしい。
「じゃあ、おにぎりを食べたらとんぼ返りじゃの。夏月も大変じゃな~」
「実際四州を飛び回ってたから疲労はあんまりないんだよね~。ただ眠かったからそこのテーブルで仮眠を取っていただけだし」
「頑張りすぎるのもほどほどにするのじゃ。体調崩してもつまらないしの」
「モチ、でしょ!」
夏月はVサインを作って白い歯を見せた。
「それじゃ、とりあえずはここでお別れだな。それともここで食べていくのか?」
「ん、私は飛びながら休み休み食べるつもりだよ。そろそろ行かないと約束の時間を過ぎちゃうからね。それじゃお土産よろしく~」
シュバッという風切り音が起きたかと思うと夏月の姿は山の向こうの小さな点となり、すぐに見えなくなってしまった。
「せわしねえ烏天狗だな~。あれって実際は結構迷惑かけてるだろ?」
夏月の消えた方を紫音は見ながら言った。「
あれでも、しつけがなってきた方だと思うけどな…。前は穂美がブチ切れるほど手が付けられなかったし」
「へえ、おもしれえじゃん。宿であった時が楽しみだな」
紫音は思わせぶりな笑顔を見せた。
「夏月も行ってしまったことだし…。妾たちもここを出るとするかの。午子塚古墳から朱龍古墳だかはここから距離はないにしろ、早く着くことにこしたことがないしの」
そうして車に移動した時、自分たちの方に走ってくる人影が見えた。
「そっ、そこのお客様にお聞きしたいことがありますっ」
息を切らしてやってきたのはかりんの言っていた鼠の妖怪だった。おそらく蘇を買い付けに来たのだろう。
「ま、まだ蘇ってありますか?」
大きく肩で息をする鼠の少女。
「それがだな…俺たちが買ったやつでちょうど最後だったんだよ。うちらがここに着いたときはもう、人が行列になっていて30分くらいしてようやく買えたくらいだ」
少女はそれを聞いた途端、ガーンと打ちのめされたような顔をした。
「そ、そんな…買えないと斎様に殺されてしまう」
「おいおい、随分物騒な単語が聞こえたぞ。殺されるってことはないだろ?」
「でも…。これまで何人も買い付けができなかった鼠は日を置かず姿を消していっています。まだ、まだ私は死にたくないんです!」
ヒステリー気味に話すほど彼女は精神的に追い詰められている。それほど斎という鼠は力を持っているようだ。和尊は手に持っていた二つの蘇に目を落とす。
「ちなみに蘇はいくつ入用だったんだ?鼠自体は数が多いから相当数必要なんだろ」
「あ、いえ。蘇を召し上がるのは斎様だけで、他は皆普通のチーズを食べますが…」
「和尊、もしや一箱あげるんじゃなかろうの。この蘇は千円以上するもんじゃぞ。それに、二箱買ったのは他に理由があるんじゃないかや?」
「本当は一箱でいいと思ったけど受付で増やしたのは勝手な思い付きだから」
「そんなほいほい渡しちまっていいんかよ…。なけなしの金で買ったもんだろ?」
和尊は二人が反対するにも関わらず、少女の手に買った蘇の片方を渡そうとする。
「も、もらえないですよぉ。お客人が遥々ここまで来られてやっとの思いで買ったものじゃないですか。受け取れませんって!」
「これがないと君は殺されてしまうんだろ。これがあれば死ぬことはないってことじゃないか」
「ですが…」
「和尊は言ったら聞かないからのう…。鼠、大人しく受け取った方がいいぞ。これで丸く収まるならいいじゃないかや?」
少女は申し訳なさそうに袋を受け取った。
「これで何も言われずに済みます。蘇をわけていただけるなんて思いませんでした。ありがとうございます!」
少女は深々と頭を下げて来た道を戻って行った。
「…本当に渡してよかったのかや?」
「これで南良州で一番力を持った妖怪に恩を売ったことになる。普通なら何かしら帰ってくるけど、彼女の言葉から思うに結構アレな性格っぽいから期待しないで待つのが一番いいんじゃないか」
紫音は納得いったように手を打った。
「あー、胸のつかえができるってこったな」
「千円ちょっとでこの地域の権力者に後ろめたい気持ちを作らせたと思えば安いもんだ」
「童もそうなったらお返ししたいと思うのじゃ。そこはまともな感覚の持ち主だといいのう」