主観性が強すぎる文化圏の悩み

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 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 このブログで何度も繰り返し強調してきた主観性の度合いの強い文化圏の特徴であるが、客観的に観察されることとしては以下の通りである。

 

1 人々は陽気で朗らか

2 価値観として家族が何よりも大切(家族第一主義)

3 家族や友達以外の人たちには徹底的に無関心(公益<私益)

4 自己主張と主観的好き嫌いなどがもっとも大切

5 私益が公益に徹底的に優先する

6 犯罪率が非常に高い

7 政府の腐敗度が高い

8 移民として国をでたがる人が多い

9 基本的には全て先進国のせい(人のせい)で貧困に喘いでいると信じている

10 理性ではなく感情を優先する

11 好きな人には非常に親切であるが、嫌いな人には徹底的に敵意を表す

12 民主主義が育たない

13 独裁体制

14 自分たちは常に絶対に正しい(省みる精神がない)

 

 少しランダムに書いたが、だいたいこんなところである。筆者も主観的価値判断を人々が大切にすることは大事だと思うし、日本人はむしろあまりにも主観的な判断を犠牲にすることを求める文化であるので、もう少しこうした発展途上国を見習うべきではないかと考えるほどである。しかしながら、発展途上国においては、自分たちの主観を大事にするのはいいとしても、それを守るために平気で「他者」を犠牲にするし、それを厭わないことが特徴である。

 

 日本人が主観を大事にしたとしても、それはあくまでも他者に理不尽に迷惑をかけることは含まれないが、途上国の場合は、他者の利益を完全に無視するか、それを損なうことを厭わない場合が多い。

 

 それゆえに、人々は陽気で朗らかであっても、社会は安定せず、盗み、強姦、殺人、汚職、腐敗がこれでもかと言わんばかりに横行するわけである。

 

 日本はあまりにも公の利益を大事にするあまりに主観性を犠牲にしすぎる結果、多くの若者が圧迫感を感じ海外に逃げ出そうとしたり、自殺者が増えたりするわけである。これはこれで緩める方向に向かうべきであるが、日本人の場合は、自己の主観性を大事にしたとしても、だからと言って他者を犠牲にすることに結びつく行動には移らない。例えば、「ああ金が欲しいな(主観的欲求)、よし強奪しよう(他者犠牲容認)」あるいは、「ああ、いい女がいるな、手に入れたいな(主観的欲求)、よし強姦しよう(他者犠牲容認)」こういうことは、発展途上国の社会では往往にして見られるが、日本人がいくら主観性を大事にしたところで、こうなることは通常ありえない。なぜならば、日本人には他者の立場に立ちものを考えようとする「思いやりの精神」が伝統的に存在するからである。

 

 もちろん、他者犠牲容認をする人も中に入るし、だからこそ日本にも犯罪はあるが、上記の発展途上国などに比べると、客観的にみてはるかに少ないのは事実である。だからこそ、社会は、世界的に見れば奇跡的なほど安定しているわけである。

 

 政治学者や社会学者がどれほど理論を並べ立てようとも、多くの発展途上国で民主化が進まず、社会の発展が進まず、さらには経済発展も進まないのは、まさにこうした理由からであるというのが、筆者の分析かつ理論である。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 


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