初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 客観的な事実の分析として、大東亜戦争の終了後、日本人が台湾、満州、そして朝鮮から引き上げるとき、もっとも安全に引き上げることができた場所は台湾であり、満州や朝鮮からの引き揚げ者の中には、命を落としたものも多いほど、満州や朝鮮からの引き上げは、非常に危険で厳しいものであった。その理由は、客観的な事実として、現地の朝鮮人から略奪や強姦、虐殺などを受けたことによることは、高山正之氏の変見自在シリーズに詳しい。もちろん、そうした危険な状況から日本人を匿って助けた朝鮮人も事実としているが、朝鮮各地でこうした目を覆う惨劇が繰り広げられたことは、主観的判断(良いか悪いか、善か悪かなど)を横に置いて、客観的事実として記されるべきである。

 

 また戦後の日本人社会で、朝鮮人の人々が日本国内において、「我こそは戦勝国民なり」と、事実ではない肩書きのお墨付き(準戦勝国民)をアメリカからいただいたことを良いことに、各地で暴行や略奪を働いたことは、蔡焜燦氏の「台湾人と日本精神」に詳しい。台湾人の方々は、これに比較して驚くほど日本人に対して暖かく、台湾においても台湾の方々が、「また落ち着いたら会いに来てください」といった言葉を日本人にかけて見送った話は枚挙にいとまがない。台湾の人々が、日本国内においても、準戦勝国民という肩書きに奢ることなく、日本人に紳士的にふるまったことは、これもまた歴史的な客観的な事実である。これをどう評価するかは、それを観察する人個々の判断によるが。

 

 また、これは南朝鮮の政府であるが、大東亜戦争後、現在南朝鮮に不法に占拠されている竹島の周辺で日本人の漁民を拿捕し、凄惨な拷問を加え、幾人かは殺されている。これもまた客観的な歴史的な事実である。慰安婦や南京のような、デタラメな歪曲事実ではない。

 

 こうした行為は、すべからく文化的な精神風土から発生することで、個々人の資質に理由を帰するべきではない。もし、朝鮮半島で生まれ育たなければ、こうした行為に及ぶことはありえないとも言えるからである。しかしながら、現に事実として、こうした残虐行為をするという伝統が、彼の地にはある。日本が併合していた時に行われたとされている拷問は、南朝鮮内の博物館で様々展示されているが、これらのほとんどは、実際に日本人がやったことではなく、朝鮮の歴史的な伝統的な拷問を、日本人がしたと歪曲して伝えていることは、青山繁晴氏が虎ノ門ニュースなどでも詳しく解説している。

 

 今回のブログのポイントは、そういう精神風土、精神文化を持った北朝鮮の人々が、暴発する恐れがあるということはどういうことかということである。お花畑を歩いて、歴史を歪曲して自らの思想を正当化する為に生きている日本のサヨクの人々は、そんな危険な爆弾を素晴らしい朝鮮人が日本に打ち込むわけがないというかもしれないが、実際は、客観的な事実として、躊躇なく打ち込む精神風土を彼らが持っているということである。

 

 つまり、現実に爆弾やミサイル、もしくは核兵器を日本に躊躇なく北朝鮮が打ち込んでくる可能性は、かなりの確率であるということを、日本人は今、この時点で、確実に、客観的に認識する必要があるということである。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 


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