2010年11月04日 12時12分31秒

「桜田門外ノ変」その後・・・

テーマ:映画
頑張れカエル君のブログ


水戸藩浪士が幕末日本に大きな転機を作った「桜田門外ノ変」 ★★★☆☆70点

頑張れカエル君のブログちょっと遅いね~と言われそうですが、桜田門外の変を観てきました。
「えいがのはこの加奈子さん」のブログではズーッと以前に、「水戸市内に『桜田門外の変のオープンセット』が作ってあり観光客が訪れているよ」と紹介があったし、既に、色んな方のブログでの寸評も読みました。
ボクは茨城の水戸出身でして、叔父さんの母親を4代さかのぼると重傷のため自刃してしまう「鯉渕要人」だったりするので、絶対にこの映画は観ようと思っていました。(茨城の人の話なので其処までさかのぼれば、みんな親戚になってしまいます。)

$頑張れカエル君のブログそして、日本の歴史では150年前なんてそんなに古い話ではないのですよね。茨城県がバックアップしたらしく、セットが素晴らしくリアリティーを持って作られています。物語は襲撃から始まるのだけど・・・これが実写のようです。
安政七年(1860年)3月3日、勅許なく安政の仮条約に調印・開国し、安政の大獄などで攘夷派の弾圧を行った大老井伊直弼が、水戸・薩摩の浪士らに江戸城桜田門外で暗殺された事件。この事件を機に、水戸藩に興った幕政改革をめざした学問・教育の思想が、倒幕運動を引き起こし、幕末の日本に大きな転機をもたらしました。尊王攘夷の志士たちが、列強との戦端を開き、さらには明治維新へと突き進んでいくための先駆けになりました。・・・・という出来事です。

$頑張れカエル君のブログしかし、学校の歴史の時間では薩摩藩士が中心になって行われたと教わったが、
映画を観て解ったように、「桜田門外の変」に参加したのは水戸藩士の数のはうが断然多かったのです。
ボクも含めて今でもそうですが、昔から水戸の人の“世アタリ”“自己主張”の下手さ!!は変わらない。鹿児島藩の挙兵の約束を期待していたのに、裏切られてしまう。そして、浪人になって役人に捕まってしまうと、罪人になってしまい、切腹もさせてもらえないんですね。(あ~嫌だ、嫌だ!!苦やしい~)

$頑張れカエル君のブログ映画では武士の潔さに重きを置いて描いているので、この悔しさはあんまり伝わってこないです。
主人公関鉄之介ほか桜田門外の変に参加した人々はは全て首を切られてしまうのですが、江戸時代に“大沢たかお”のような背の高い侍が居たのか!と感心しつつ水戸人(ミトッポ)を代表してその後を書こうと思います。
映画は首を切られたシーンで終わりますが、首を切られた主人公“関鉄之介”ほか桜田門外の変に参加した二十名のうち、十一名が水戸市にある「常磐共有墓地」に眠っています。

頑張れカエル君のブログこの、「常磐共有墓地」は、1666年、二代水戸藩主 徳川光圀(水戸黄門)が菩提寺のない藩士のために創設した墓地です。大悲山 保和院 「桂岸寺」敷地内に当たり(水戸市松本町13 )、祗園寺側から行くと、赤い仁王門、桂岸寺、駐車場をはさんで西側が「常磐共有墓地」になります。墓地内「乙地区」には11名の他にも、水戸黄門の覚さんのモデル「安積覚の墓」格さんのお墓もあります。(映画の名前は安積澹泊(通称、覚兵衛)。 覚さんが格さんに 変化したものだろう)や「藤田東湖」も眠っています。水戸からは国(江戸幕府)の方針に逆らってでも「義」を貫き通して無くなった方がたくさんいるんです。水戸藩草創期から功績のあった藩士や幕末から明治維新にかけて、活躍または殉難した志士の墓がこの「常磐共有墓地」に点在しています。
そして、我が家の菩提寺もこの桂岸寺なのです。同じお寺の中で眠っているご先祖様は「桜田門外の変」をどう見ていたのかと思うと感慨深いです。





STORY
安政7年(1860年)2月18日早暁、水戸藩士・関鉄之介(大沢たかお)は、妻・ふさ(長谷川京子)と息子の誠一郎(加藤清史郎)に別れを告げ、故郷から出奔した。同年1月、鉄之介は水戸藩の有志たちと徳川幕府の大老・井伊直弼(伊武雅刀)を討つ盟約を結び、これを実行するため江戸へと向かったのである。大老襲撃は3月3日に決まり、鉄之介を始めとする水戸脱藩士17名と、薩摩藩士・有村次左衛門(坂東巳之助)を加えた襲撃実行部隊18名が集結。そこで計画の立案者で水戸藩尊王攘夷派の指導者・金子孫二郎(柄本明)から、鉄之介は部隊の指揮を執るよう言い渡される。襲撃当日。品川愛宕山へと集結した鉄之介たちは襲撃地点である桜田門へと向かい、襲撃者の一人が大老の行列に直訴状を差し出す振りをして、行列に斬りかかる。同時に仲間が発砲した短銃の発射音を合図に、斬り合いが始まり、やがて有村が大老の駕篭へ到達、井伊の首を刎ねた。襲撃隊は稲田重蔵(田中要次)が闘死、4人が自刃、8人が自首。その成功を見届けた鉄之介は、京都へと向かう。計画では大老襲撃は序曲に過ぎず、同時に薩摩藩が挙兵をして京都を制圧、朝廷を幕府から守るはずであった。だが薩摩藩内で挙兵慎重論が持ち上がり、計画は瓦解する。幕府側からは勿論、かつての同胞・水戸藩士からも追われる立場となった鉄之介は、“桜田門外ノ変”に至る歳月を思い返していく……。安政元年(1854年)のペリー来航以来、鎖国の門戸を開こうとする井伊直弼ら徳川幕府の譜代大名たち。それに異を唱えて尊王攘夷論を押し出した水戸藩主・徳川斉昭(北大路欣也)が対立。やがて井伊が大老に就任したことから、斉昭の一派は失脚。井伊はさらに斉昭に賛同した各藩の藩士、公家を弾圧する“安政の大獄”に手を染めていく。この暴挙を食い止めるため、鉄之介たちは立ち上がったのだったが……。



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皇居にある重厚な門、それが桜田門です。 これは櫓門(やぐらもん)井伊藩邸との距離はたった600mです。
 
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水戸の千波湖畔に創った“桜田門”セットです。本物との違いを見てください。

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桂岸寺に繋がる赤い仁王門

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桂岸寺

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水戸黄門の覚さんのお墓

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大沢たかお君が役をした桜田門事件烈士「関鉄之介」のお墓(今度、水戸に帰ったら花を挙げに行きます)

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「山口辰之助」      「大関和七郎」        「黒沢忠三郎」

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我が家のご先祖様が“桂岸寺”へ「鐘」を贈っているのです。鐘には我が家の一族の名前が刻まれています。

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お墓の入り口にあるこの鐘は、年末になると除夜の鐘が打たれると言うこと。
右に見えるお墓に私の“ご先祖様”が眠っています。
(内は話で済みません)


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