2012-02-08 21:39:52

フェルメール論 ~世界観と視線~

テーマ:ブログ



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1.天文学者 (1668頃)

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2.レースを編む女 (1669頃)


フェルメール (1632-1675) の絵画に潜むもの、それは【世界観と視線】である。

二つの絵画 「天文学者」 と 「レースを編む女」 の相違とは、人それぞれが各人の仕事に励んでいる多様性を意味するのだろうか?

いや、そうではないだろう。天文学者は自分とレースを編む女の双方が宇宙内にいることを思いながら天文学を行い、そしてレースを編む女は世界の中にいる自分と天文学者の双方がいることを思いながらレース編みに集中しているのである。

汎神論で有名な同時期オランダのスピノザ (1632-1677) と等しく、【すべての存在は神の内にある】と考えられていたようなものであろう。旧約聖書で言えば、「ヨブ記」 33-6 の 「神にたいして、わたしもあなたも同様」 である。

内容にちがいはあれど、天文学者にしてもレース編む女にしても、共に自らが世界観を描いているのであって、その【世界観】の中に [いま・ここ] の【自分自身の視線】を位置づけているのだ。

フェルメールが抱いていた多様性の世界観だけではない。天文学者もレース編みの女も、多様性の世界観の中に自分を見て、[いま・ここ] の視線を発しているのである。



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3.牛乳を注ぐ女 (1659頃)

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4.天秤を持つ女 (1664頃)

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5.窓辺で手紙を読む女 (1657頃)

次の三作は、いずれも 「レースを編む女」 と同様、現在の仕事に意識を集中させている感じの視線である。

しかし彼女たちは、ずっと同じ仕事を継続しているわけではない。それはほんの一場面の意識集中に過ぎないのである。つまり【世界観】を抱いているもとでの [いま・ここ] という一場面における【視線】なのだ。

ではフェルメールは、何故に窓辺の室内を非常に多く扱ったのだろう?

それはメルヴィルの 「白鯨」 第二章 で言われているところの、まるで【室内という肉体内の意識】から【窓という眼】を通して世の中を見ている、そんな人間を象徴しているかのように思えてならない。

要するに絵画に描かれた室内とは肉体内で我々の意識が行っている様々な形態の思考操作を意味しているのであり、そんな思考操作によって自らの世界観が形成され、そして窓辺から世の中を覗いている我々なのである。


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6.手紙を書く女 (1665頃)

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7.手紙を書く女と召使 (1670頃)

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8.ヴァージナルの前に座る女 (1675頃)

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9.ワイングラスを持った女 (1659頃)

先の 「窓辺で手紙を読む女」 に引き続き、今度は書く立場の二作である。 「手紙を書く女」 は執筆を中断してこちらを向き、恒常化した世界観の中で集中していた手紙書きであったことを意味づけ、「手紙を書く女と召使」 ではそれぞれの世界観のそれぞれの視線という社会学を暗示させている。

そして 「ヴァージナルの前に座る女」 と 「ワイングラスを持った女」 では、視線以外の周辺状況への意識が指先などに示唆され、手紙書き以外における【世界観と視線】の関係が表された形である。


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10.青いターバンの少女 (1665頃)

どうであろう?ここまでの九作品からして 「青いターバンの少女」 にも【世界観と視線】の関係を考えなくてはならないのではなかろうか?

少なくとも1657年(5.窓辺で手紙を読む女)以降の作品については、【世界観と視線】の関係を作品モデルにたいして見る必要があるフェルメール絵画と思われる。

なるほど、恒常化した世界観の元で絶え間なく [いま・ここ] の視線を移動させてきた中、ほんの一瞬の振り向いたターバンの少女の視線が描かれているのだ。もはやその視線以外にも意識されていたであろう何らかの周辺事物については、描かれていないのである。

たとえること、それは久保田早紀の 「ちょっと振り向いて見ただけの異邦人」 である。

【世界観と視線】の関係を自ら意識することにより、プラグマチックな視線 (実用的) をセオリックな世界観 (観照的) の中に位置づけられる。そして絶え間なく続く [いま・ここ] とは神様のパラパラ漫画に記されている一点であって、そのパラパラ漫画についても自らが抱いている世界観の内容に含めようと進められて行くのである。



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11.婦人と召使 (1667頃)

最後にフェルメール絵画で特異と思える 「婦人と召使」 である。

レースを織らず、牛乳も注がず、鍵盤に手をおかなければ、ワイングラスも手にせず、手紙らしきものが差し出され、ペンは置かれている。

そして 「青いターバンの少女」 では手元が描かれず、妙に 「婦人と召使」 の手元にたいして異様さを感じざるおえないのである。

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