1973年9月11日 サルバドール・アジェンデの最後の演説
1970年10月、チリの大統領選挙で、左翼政党の連合「人民連合」を率いるサルバドール・アジェンデが大統領に当選した。

しかし3年後の1973年9月11日、軍が政権打倒のクーデターを起こす。
陸軍総司令官アウグスト・ピノチェトを中心に、陸海空軍と治安警察軍の全軍が、クーデターに加担したのである。
大統領府は反乱軍に包囲され、アジェンデは孤立した。しかし、この状況を前に、アジェンデは自らの思想と良心に殉じる覚悟と決めたのである。

アジェンデは執務室から電話を取り、まだ反乱軍に制圧されていなかった最後の左翼系放送局、マガジャネス放送に電話をつないだ。
そして、電話を通じて、国民に向けてお別れの放送を行う。
1973年9月11日、午前9時30分ごろのことである。



http://youtu.be/SG3f08LVwhE

サルバドール・アジェンデWiki

9/11 サルバドール・アジェンデ 最期の演説 (1973) 
1973年9月11日

おそらく、これがあなた方に向かって話をする最後の機会となるでしょう。空軍は、ラジオ・ポルタレスとラジオ・コルポラシオンの放送タワーを爆撃しました。私は恨みの言葉は申しませんが、失望はしています。

私の言葉は、誓約に対する裏切りをなした者たちへの、道徳的懲罰となるでしょう。チリの兵士たち、名ばかりの最高司令官、自らを海軍司令官に任命したメリノ提督。そして昨日政府への忠誠を誓ったばかりの卑劣な将軍、自らをカラビネロス[国家警察軍]長官に任命したメンドーサ。

こうした事実を前に、私がなすべきことは、労働者の方々にこう申しあげることです。

私は決して辞任しない!と。

この歴史的な危機に際して、私は、支持してくれた人民に、我が身を持って報います。
我々の蒔いた種子は、数千のチリ人の、誇り高き良心に受け継がれ、決して刈り取られることはないと、私は確信しています。

軍部は武器を持ち、我々を屈服させるでしょう。
しかし、犯罪行為であろうと武器であろうと、社会の進歩をとどめることは出来ないのです。

歴史は我々のものであり、人々が歴史を作るのです。

我が祖国の労働者たちよ!

私は、正義を熱望し、憲法と法を重んじることを誓う一人の代弁者に過ぎません。

その私を常に支持し、信頼していただいたことに感謝を申し上げたい。
この最終的な瞬間、あなた方に話しかけられる最後の機会に、私は教訓を生かしたいと思います。

外国資本、帝国主義者、反動主義の連合は、シュナイダー将軍が指し示し、アラヤ司令官が再確認した軍部の伝統を破壊するような状況を作りだしたのです。

彼らは、今日、外国の支援を得て、自分たちの利益と特権を守る権力が奪回されることを期待して、家にこもっています。

私は、何よりも申し上げたい。

誰よりも、わが国の慎ましい女性たち、我々を信じてくれた農婦、働き者の女性労働者に、我々が子供たちの心配をしていることを知る母親たちに向かって

祖国の職人たち、資本家の利益を守る職人協会の騒乱に反対して日々働いている愛国者の職人たちに!私は、何よりも申し上げたい。
歌い、楽しみと闘争の精神に身をゆだねる若者たちに、私は何よりも申し上げたい。
チリの男たち、労働者に、農民に、知識人に、これから迫害されるであろう人々に呼びかけます。

わが国においては、ファシズムによるテロが以前から存在しているのです。

彼らは、行動すべき義務を負う者たちが沈黙している前で、テロ攻撃、橋を吹き飛ばし、鉄道を寸断し、石油とガスのパイプラインを破壊し、わが国を損なってきたのです。
犯罪が犯されてきたのです。

歴史は、彼らを裁くでしょう。

もしかして、ラジオ・マガジャネスはもう沈黙させられて、私の声はもはや皆さんには届いていないかもしれません。

しかし、それでもいい。

あなた方はきっと私の声を聞き続けるでしょう。
私は、永遠にあなた方の元にいる。
少なくとも私の記憶は、祖国に忠実な潔い人間として残るでしょう。

人民は、きっと自身を守り、犠牲にはならないでしょう。
人民は、破壊され、蜂の巣にされたままであってはなりません。
屈服したままであってはなりません。

わが祖国の労働者たちよ!
私は、チリと、その運命を信じています。
私に続く者たちが、裏切りの支配するこの灰色で苦い時代を乗り越えていくでしょう。

遅かれ早かれ、よりいよい社会を築くために、人々が自由に歩くポプラ並木が再び開かれるでしょう。

チリ万歳! 人民万歳! 労働者万歳!

これが、私の最期の言葉です。

私の犠牲は無駄にはならないと確信しています。
少なくとも、重罪、臆病、裏切り・背信を断罪する、道徳的な裁定となると、私は確信しています。

サンティアゴ・デ・チレ


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この放送の後、アジェンデは反乱軍の降伏勧告を拒否、午前10時半頃から、反乱軍の戦車、銭湯爆撃機まで使った集中攻撃が始まった。

アジェンデは、自ら自動小銃を手にして、僅かな数の武装民兵とともに激しく交戦した。
そして、炎上する大統領府の中で、午後2時頃、65歳の生涯を閉じた。

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マスコミに載らない海外記事様より引用転載
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/911-1973-71cb.html

40年前の1973年9月11日、アメリカの後押しで、軍隊によるクーデターで、アジェンデ大統領は殺された。上記は、その時官邸から放送された彼の言葉、アジェンデ最後の演説。

市場至上主義者?ミルトン・フリードマンの流れをくむシカゴ・ボーイズたちが、ピノチェトの元で経済を司ったことになっている。中南米で「911」というと、このクーデターのことを指すそうだ。
2001年9月11日のいわゆる「テロ事件」以来、「冷戦」の代わりに、果てしない「対テロ戦争」が続き、日本は無法なイラク、アフガニスタン侵略の、片棒を担がされた
日本そのものが暗証番号のいらないATM。
宗主国にまるごと、ふりこめ詐欺をされている。銀行のATMの前で、警察官が誰何しても、国家詐欺はふせげない。
2005年9月11日 アメリカの後押しで、日本最後の虎の子を朝貢すべく、小泉郵政解散クーデターを受け第44回衆議院選挙が行われた。
そして2008年、サブプライム・ローンなる国家規模の金融詐欺の結果、計画的な現代版世界恐慌。
世界的な戦争と大恐慌をおこした宗主国は、最も忠実な属国に、臆面もなく「2008年版年次改革命令書」、(英語版pdfへのリンク )をだした。
しつこく、郵政破壊推進をいいたてている。「傀儡政権を使って日本破壊をするのではなく、外国を武力侵略するのではなく、まず自分の経済を建て直せ」というあたりまえのことを、属国傀儡政権は言えない。言わない。
大本営発表機関であるマスコミも、もちろん年次改革命令書の内容を説明しない。

年次改革命令書を、だまって実行するだけの日本政府、二大政党のどちらがやっても、変わるはずがないだろう。民主党、本当に野党であれば、年次改革命令書を問題にしているはずだ。
(※この記事は2008年に書かれている記事です。)
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(管理人)
マスコミに載らない海外記事様の記事内容は、2008年に書かれたものなので、もう5年も前になりますが、この時に小泉氏がやろうとしていた郵政民営化の本ステージが、今、ブラックスワンの黒いささやきとともに、アフラックによって本格的に結実しようとしています・・・。彼らのやり方は過去もこれまでもずっと変わりないということなんですね。

私はこのようなことには全く無関心ではありましたが、昔からこうした米の軍産複合体?による
世界的な暴力的支配と知らされて来た歴史のウソと欺瞞と・・。
その下で行われて来た迫害と富の収奪が繰り返し繰り返し行われてきたのだということを、今更ながらに知った次第です。また、この9月11日という偶然とは思えない符号も!やはりなかんじがしますが、今年の9月11日には?いったい何があるのかと??いぶかしんでしまいます・・??

それにしても、この、最後まで自らの良心と信念に従い暴力に屈服しないとして、自分の命の最期に直面しながらも、冷静に静謐に信頼する人民へと語りかけた、時のチリ大統領、サルバドール・アジェンデ氏の、この高潔で強い魂と、そして信念を貫き通した言葉のひとつひとつに、深く胸をうたれます。