今日は、○○県立博物館から学芸員のMさんが拙宅に来られた。八丈小島を研究しておられるそうだ。

 八丈島に行ってきた帰りに我が家に立ち寄られた。事前に「八丈小島忘れじの碑建立の経緯について伺いたい」との連絡を受けていたのだ。研究者というから中年の方かと思ったが、若いので少々驚いた。また、長身でスタイル抜群の美人さんである。

 久しぶりに小島の話題に妻を交えて花が咲いた感じであった。石碑建立の発案から、寄附をつのり、文面を決める際に難航したことなどを話しする。収集した写真をお見せし、私の知ってる限りの資料をお渡ししたし、今後も東京に来た際には、立ち寄ることを約しお別れした。

 こういう方がおられるということは、非常に心強い限りだ。いずれ、他の研究者と共著で出版したいと話しておられた。わが国には多くの過疎地があり消滅の危機にさらされており、八丈小島の集団離島が参考になるようなことも言われていた。今後の活躍に期待したい。

 
 ところで、一昨年から話題になっていたクロアシアホウドリが二組のペアにひながかえったとのうれしいニュースがタイムスで報じられた。これまで失敗の連続だったが初めての成功であり、今後が楽しみである。
 

 

 

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歴史民俗資料館が旧測候所跡地の改修で一時移転しその後に新築でまとまるかと思ったが、議会で反対意見が相次ぎ迷走している。一番の問題は、立地が悪いことのようだ。資料館と言えば、観光地 八丈島の顔であり来島者の多くが訪れる場所だ。私は測候所には行ったことがないので大体あのあたりかと思える程度なのだが、それでも確かに道も狭いし観光バスが乗り付けるかなと思う。タイムスによれば、12月20日に概算費用を含めた一時移転計画案が示された。4案ありA案はフルに使えるように改修するケースで、費用は概算で4億5千万ほど、B案は測候所の一部改修で最低限の改修にとどめた場合7300万、両案ともに駐車場は車両12台分とバス1台分を確保するとしている。今回新たに提示されたのが、プレハブを建設するC案で費用は1億5千万、この場合は用地選定が必要になる。そしてD案は新しい施設ができるまで休館する案である。今年度中には結論を出す方向で16日に再度全員協議会が開かれるようなので注視していきたい。
小島の資料は多くの協力者のおかげで、ある程度収集できたので、あせりはない。資料の四散消滅の危惧が解消されたのが大きい。あとは八丈町がどうするかの問題だ。昭和44年の今頃、八丈小島は島民が次々に島を後にし港が別れの涙にあふれていたことだろう。故郷を捨ててどう生活を立て直すか不安と希望が交錯していただろう。
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 南海タイムス11月11日号によれば、「戦争孤児と戦後児童保護の歴史」と題する本が出版され、その副題に「台場、八丈島に”島流し”にされた子どもたち」とある。終戦後八丈島には”特質浮浪児”の養護施設「武蔵寮」があった。創設から5年後の1952(昭和27)年に収容されていた少年らによる放火で全焼し、寮は閉鎖された。特質性浮浪児とは、特に悪質不良性の者や後天性の浮浪児が念頭に置かれていた。

 私が、この話に興味を持ったのは、映画「処刑の島」に出てきた、主人公が、少年時代に過ごした八丈島の施設で虐待され復讐のために八丈島に戻る・・・。という話を思い出したことと、妻の過ごした八丈小島で、浮浪児を住まわせて農作業に従事させていたという話を聞いていたからだ。武蔵寮が焼失した1952年といえば、妻は5歳だった。ここからは、私の推測になるが、焼失し行き場を失った浮浪児を一時的に預かったのではないだろうか?多い時には、91人の寮生がいたそうだから、小島でも何人か割り当てられたのかもしれない。妻の話によれば、そのうちの一人は家族同様に育てられたそうで、今ではかなり高齢になっていると思われるが、我が家にも一度来たことがある。家庭をもち幸せに暮らしているようである。

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