信州読書会

長野市で読書会を行っています


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2017.5.11に行った太宰治『きりぎりす』読書会のもようです。

青空文庫はこちら

信州読書会のメルマガ読者の皆さんも大勢感想書いてくれました。

ありがとうございます。

メルマガ読者さんの感想文

私も書きました。

「但馬のばかが、また来ましたよ(笑)」



夫を日陰の生活で支えていたほうが、この小説の語り手の妻は、幸せだった。夫の作品の高潔な品位は、妻の献身があってこそ、成立していたと、彼女は信じ切っていた。彼の初期の代表作は、夫婦の共同作業で生まれたはずだ。

淀橋アパートの二年間こそが、自分たち自身を見失いながら、最も自分たち自身だった幸福な時代だった。夫は、清貧の画家、シャヴァンヌの如き厳格な祈りを求めて、創作にはげみ、妻も尼僧のように、生活を夫に捧げ、創作の傍らで、無垢な一体感を感じていた。

しかし、敏腕プロデューサー但馬が、頃合いを見て夫の作品を本気で売り出したとたん、陶酔した修道僧のような生活からさめて、夫は、どこか「しらふ」になった。

新浪漫派を標榜したということは、世間が、好意を持って反応するツボに迎合したことなのだ。長いスパンで、売れるツボへと、夫を誘導し、金の力で、ずるずると芸術運動に引きずり込んだのは、但馬の悪賢いところだった。

彼の巧みなマネージメントが、夫を、急激に堕落させた。迎合するたびに、夫は、イロニー(自己否定による自己正当化)を深めた。(ロマン派のイロニーというのは、本来、そういう下等な自己欺瞞なのだ)

ロマンを悪用して、世間を騙すためには、まずもって自分たちを欺かなければならないものだから、この二人は戦時中の暗い世間がもとめた浪漫に迎合し開き直った。無垢を信じたい妻は、但馬と夫の共同作業に、ついていけなかった。

夫婦の無垢な夢から覚めて、我に返った。とたんに、別れたくなった。

「無知は富と結びついてはじめて人間の品位をおとす」と、ショウペンハウエルは書いたが、浪漫と金が結びついてはじめて、この夫は、品位を落とした。

本来なら、この妻は、但馬に怒ればいいのだ。

しかし、但馬にだまされたのは、彼女とても同じである。

結局、この夫婦は、但馬の策略によって、まんまと鳴かされていた、愚かなこおろぎなのである。

断じて、きりぎりすではない。

(おわり)

読書会の録音です。


 





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2017.5.5に行った吉村昭さんの『桜田門外ノ変』の読書会の模様です。

信州読書会メルマガ会員の皆さんから頂いた感想文はこちら

私も書きました。

「政治史は、意志の歴史である」


大老 井伊直弼を襲撃した水戸藩士の斬奸趣意書には「外国の圧力におびえた幕府が、不当な条約を朝廷の意向を無視して独断でむすんだことは、国体をそこなう大失態である。」という内容が記されていた。

日米修好通商条約への違勅調印や将軍継嗣問題をめぐって、水戸藩と幕閣老中との対立が決定的になり、井伊直弼による安政の大獄によって、苛酷な政治弾圧が行われた。

この小説の主人公、関鉄之介は、この政治弾圧に巻き込まれ、何かに引きずられるように、桜田門外ノ変の首謀者となる。

ショウペンハウエルの『読書について』には、「政治史は、意志の歴史である」との内容がある。

藩主の命でもないのに、勝手に井伊直弼を暗殺し、その後、逃亡するという主人公の人生は、狂気に近いような意志の力で行われている。

その意志は、水戸藩と朝廷と国体を一本で結ぶ、尊皇攘夷論よって強められていた

そもそも、その尊王攘夷論は水戸学から派生しており、具体的には、藤田東湖と会沢正志斎という二人の水戸学の思想家が主導したものだった。

とりわけ、会沢正志斎は、『桜田門外ノ変』の首謀者に深い影響を与えた思想家で、その影響力は全国にネットワークを形成していた。

関鉄之介ら、『桜田門外ノ変』に加わった水戸藩士の意志を育んだのは、水戸藩の教育である。その核心は、学問としての水戸学であり、政治思想としての尊王攘夷論である。

その政治思想の究極点が、国体主義=超国家主義(ウルトラナショナリズム)だとすれば、実は、このイデオロギーは、現代の日本社会にも潜在している

明治維新の発端となった『桜田門外ノ変』の志士たちの意志は、二・二六事件など、その後の暗殺を伴うような政治的テロリズム通じる意志の表現であるといえる。

『桜田門外ノ変』の水戸・薩摩藩士に、現代の我々が共感するとすれば、それは、政治的意志への共鳴である。

日本の歴史の転回点で不気味に騒ぎ出す、この政治的意志を、近代人の知性によって注意深く見守らなければならない。

(おわり)

読書会の音声はこちらです。






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2017.4.28に行った夏目漱石の『三四郎』のツイキャス読書会のもようです。

信州読書会メルマガ読者さんから頂いた感想文はこちら

私も書きました。


『それ程浪漫的な人間じゃない。
僕は君よりも散文的に出来ている。』



よし子は、兄である野々宮さんにわがままで困らせる。野々宮さんは、そんなよし子を愚物扱いしながらも、十分に、甘やかしている。彼がマッド・サイエンティストであれば、よし子のことなど一顧だにしないであろうが、そうではない。結局、兄は、妹を猫可愛がりして、妹は兄を、深く尊敬している。

そんな告白を、よし子から聴かされて、三四郎は、

(引用はじめ)

これしきの女の言う事を、明瞭に批評し得ないのは、男児として腑甲斐ない事だと、いたく赤面した。同時に、東京の女学生は決して馬鹿にできないものだと云う事を悟った。(第5章)

(引用おわり)

のである。

美禰子は、野々宮さんと同級の兄、恭助と二人暮らしだ、広田先生と同級生だった兄、そして両親までも他界している。早くに悲しい別れを経験した気の毒な身の上である。三四郎と同い年だから23歳。美禰子は、唐突によし子の見合い相手と結婚してしまった。野々宮さんは、結婚する気がなかった。彼は、美禰子に、少なからず気があったのだろう。美禰子は、三四郎に耳打ちするふりをして、野々宮さんを試したこともあった。しかし、野々宮さんは、美禰子を選ばなかった。美禰子は、『責任を逃れたがる人だから』と野々宮さんを遠回しに非難した。野々宮さんはよし子が片付かなければ、結婚する気はなかったのだと思う。その意味で、よし子が縁談を断ったことは、美禰子と野々宮の関係に決定的な影響を与えた。よし子のお陰で、三四郎は、美禰子に弄ばれた。ダシに使われただけであるが、美禰子も、それは申し訳なく思っている。『われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり』 彼女が三四郎に思わせぶりを発揮したのは罪つくりだ。三四郎は美禰子に恋していたし、美禰子は野々宮さんに恋していた。ひょっとしたら、よし子は、三四郎が好きだったかもしれない。この三角関係にはズレがあった。この現象を明瞭に批評しえたら、三四郎は恋に落ちないだろう。広田先生は、明瞭に批評しうる。だから結婚しない。

(おわり)


読書会の模様を録音しました。





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2017.4.20にツイキャスで行った梶井基次郎の『檸檬』の読書会のもようです。

皆さんに頂いた感想文はこちら

私も書きました。

「檸檬になる日は、もう来ない」


何かをなそうと思えば、日々のパンに生きるしかない。もはや、叶わなかった儚い憧れに思いを馳せるのは、非合理だ。

「こっちが気恥ずかしくなるわい」

『檸檬』を、初めて読んだ高校生の時分の私は、レモンを爆弾に見立てるという青臭いアイデアを、ふん、と笑いとばした。侮蔑の印象は、この檸檬以上の可能性を、自分が手にしているという、当時の錯覚からだった。

若さゆえの驕り、健康ゆえの卑劣さ、無分別ゆえの短慮である。吹き上がった高校生だった自分を叱りつけたい。

そして、初読から、二十数年がたった。再読した。

圧迫から解放されるための自由とは何か? 力の入らない腕に、高価な画集を何度も抱えて、その堆積の頂点に、レモンを置くこと。

そして、お高くとまった『気詰まりな丸善』を粉葉みじんにする妄想。

こんな、凡庸で、自分勝手なイメージの、何が、自由なのか?

『えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた。』

その後、作者の年齢を超えるまでに、私は、とっくに、不吉な魂を飼いならしてしまい、幾つかのささいな挫折に打ちひしがれて、卑怯さをごまかして、自分をやり過ごす術を身につけてしまった。

だから、『檸檬』に、共感することが、もうできない。

無理に、共感しようとすれば、自己否定になりそうだ。

限りある生命のさだめに、抗っている作者の純真さに寄り添おうとしても、今の自分には、嘘になる。

肺尖を病んで悪くしていつも熱っぽい身体が、檸檬のたったひとつで、軽やかに興奮で弾んで、一種誇らかな気持ちさえ感じる。健康を害した人生で、思うにまかせない身体が、ひとつの檸檬の効果で、どんどん冴え渡ってくる。

冷覚や触覚や嗅覚や視覚がフル動員され、ますます、自由の観念は、澄明な輪郭をきわだたせゆく。やがて、絶対の域にまでに高まっていく……笑いの中に消滅していく……

私が、檸檬になる日は、来ないだろう。

ひとつの檸檬が、くじけそうな私を、とことんまで正当化する日も 残念ながら来ない。

(おわり)

読書会の模様はこちらです。





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2017.4.14に

村上春樹さん訳のスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』の

読書会をツイキャスで行いました。

メルマガ読者さんに頂いた感想文はこちら

私も書きました。

「ロングアイランドアイスティーの悪酔い」


(引用はじめ)

「――そして言ったんだ。『神様はお前が何をやってきたか、ごらんになっている。何もかもをごらんになっている。お前は俺をあざむくことはできるかもしれん。しかし神様はあざむけないぞ!』ってな」

ウィルソンの背後に立ち、彼を見ているのがT・J・エックルバーグ博士の目であることを知って、ミカリエスは度肝を抜かれた。(P287)

(引用おわり)

禁酒法(きんしゅほう、英語: Prohibition)は、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律であった。

なぜ、トムが、マートルとニューヨークのアパートメントの一室で密会したとき、酒をカギの付いた戸棚に隠していたか? そして、プラザホテルの一室で、ミントジュレップを飲むために、わざわざ、彼は、ウイスキーを自宅から持参したのか? なぜ、ギャツビーのパーティーにあんなにたくさん人が訪れ、シャンパンやカクテルであれほどみっともないまでに泥酔したか? (その上、帰りに、ある車が路肩の溝に脱輪してしまっているのに、飲酒運転であることを、見物人も含めて認めようとしないのか?)

理由はすべて、禁酒法というくだらない法律のせいである。アメリカ人は、禁酒が、社会秩序に道徳をもたらすと本気で考えていたのである。

とんでもない偽善がまかり通っていた時代である。

しかし、とんでもなくピュアの時代でもあった。それがJazz Ageだ。

禁酒法という悪法のおかげで、ギャツビーは、密造酒の売買で一財産築くことができた。そして、どこかいかがわしい紳士に生まれ変わって、デイジーの前に再び立つことが出来た。

それは、貧しかった彼の人生を逆転させ、切ない想いをかなえるためのラストチャンスだった。

ギャツビーは、計画通り、デイジーをパーティーに呼ぶことに成功したが、彼女は酒を飲まなかったので、あの乱痴気騒ぎをお気に召さなかった。

ギャツビーは、とんでもなくピュアでありながら、とんでもないウソつきだった。

(おわり)

読書会の模様です。




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2017.4.6に行ったアンデルセンの『人魚姫(人魚のひいさま)』読書会の

もようです。


メルマガ読者さんから頂いた感想文はこちら



青空文庫版の『人魚姫』


私も書きました。


「さかなフレンズ あなたは、さかながお好きですか!?」

人魚姫(以下さかな女)のばっばは、語る。さかなフレンズは、死んだら、海の泡になってしまう。フレンズには、魂がないから300年の寿命で、全て終わりなのよ、と。

愛し合うものたちだけに、不滅の魂があったら、さかなフレンズには、地獄である。何が楽しくて、後朝のベッドのかたわらで、王子の口から飛び出した、寝言の残酷さに身悶えながら泡にならなきゃいけないNO! 空が堕ちればいいNO! とこの元SKFの元センター(姉たちは、現役SKF48メンバー=さかなフレンズ)が、「王子刺すNO!」と思うのは当然だ。

キリスト教圏では、永遠(=不滅)というコンセプトと、愛というコンセプトには、密接な関係がある。

神なる主を愛すること、隣人を自分のように愛すること(マルコ福音書12章)

最大の掟とは、「愛」のXYZ軸の発見なのだ。説明しよう。キリスト教では、神を愛すること(X軸)、自分を愛すること(Y軸)、他人を愛すること(Z軸)、この三つが同時に成り立たないと、「愛」は成立しないのだ。

人魚の世界には神がいないので、神を愛することが出来ない。その上、さかな女は、王子に恋はしているが、自分のことは、全然好きじゃない、さかなとしての劣等感があるので、小顔でかわいい、(しかし、純粋なわりに、お水っぽい)のだろうが、気の毒なほど自己重要感が低い。

XYZ軸が欠けているのに、王子様に「愛される」のは、どだい無理な話だ。
まず、さかな女が、人間界で「愛」を学んで、こつこつ実践する必要がある。

なぜ、人魚姫は空気の精になったのかというと、空気みたいに存在感のない状態(さかな臭い劣等感と決別したニュートラルな状態)で信仰(神への愛)と他人のご家庭のガキを受け入れる寛容さ(他人への愛)を学ぶ期間なのだ。X軸とZ軸だけ学ぶ講座だ。(カトリックで云うところの煉獄だ)

とりあえず、この講座を300年受ければ、少しは「愛」がなんだかわかるだろう。

イグアナの娘だとて、
さかなフレンズだとて同じこと、
わしらの地球全体だとても。

ギョギョギョ! 

(おわり) 


読書会の音声です。






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2017.3.31にロシアのノーベル賞作家 ソルジェニーツィンの

『マトリョーナの家』の読書会をツイキャスで行いました。

皆さんから頂いた感想はこちら


私の感想です。


『二つの戦争 三人の男』

(引用はじめ)

『これが実の弟でなかったら、お前たちふたりともぶち殺してやるところだって!』
その怖ろしい言葉は、四十年もの間、古い手斧(ちょうな)のように、この家の片隅に秘められていたのだ。


(引用おわり)

マトリョーナが、なぜあれほど、中二階にこだわったのか?

マトリョーナは、エフィムの帰ってくるのを、心のどこかで最後まで信じていたのだ、と私は思う。エフィムが帰ってくる可能性がある限りは、彼女は、家をそっくりそのままにしておきたかったのだ。マトリョーナは、まだ、エフィムを愛していたのだ。いや、愛そうとしていたのかもしれない。扶養者の喪失を証明して、年金を受給することはエフィムの死を認めることだ。彼女に夫の死を認める権利があるのか? 最初の夫の死を認めてしまったことで、ファジェイの愛を裏切ってしまった彼女が、生活が苦しいからといって、エフィムの死を認めていいものだろうか? もし、エフィムがひょっこり帰ってきたらどうするつもりだったのだろう。彼を待っていたからこそ、彼女は貧困の中で耐え忍んで、生きていたのではないのか? 法的な手続きによって、あの家は、マトリョーナと養女キーラのものになってしまった。その裏切りが、ファジェイの神経を刺激したのだ。彼が、キーラへの生前贈与を勝手に進めたのは、いよいよ、本格的に、あの手斧を振り下ろす時がきたと確信したからだ。数学教師が、下宿のお願いをしたとき、マトリョーナは他の下宿先を勧めて丁寧に断ったが、彼が再度頼み込んだときは顔に喜びの色を表していた。そして、彼女が、数学教師の来歴を尋ねなかったのは、戦犯として長い間、どこか知らない土地で服役してから現れたこの男に、エフィムの面影を重ねていたのからかもしれない。中二階が運び出されたときに、思わず勝手に数学教師の胴着を着てしまったのは、エフィムと数学教師を、混同したからだろう。数学教師に、つよく叱られることは、夫に叱られることの代償だったのだ。さらに、エフィムの裏切ったことへの自責の念が、彼女に、あの陰惨な轢死事件を引き寄せたのだ。

 
(おわり) 

読書会の模様です。








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発売から1ヶ月経ったということで

村上春樹さんの最新長編小説『騎士団長殺し』読書会を

再度行いました。


信州読書会メルマガ読者の皆様から頂いた感想文はこちら


私も書きました。

『どろんとした、奥が見えない目』

(引用はじめ)

 僕ははじめて河合先生にお目にかかりました。(中略)初対面の印象は「ずいぶん無口で暗い感じの人だな」というものでした。いちばんびっくりしたのは、その目でした。目が据わっているというか、なんとなくどろんとしているんです。奥が見えない。(中略)何かしら重い、含みのある目です。(中略)二度目にお目にかかったとき、すべて一変していました。(中略)その目には、まるで子供の目のようにきれいに澄んだ奥行きがありました。(中略)それで僕にも「ああ、昨日はこの人は意識的に、自分を受動態勢に置いていたんだな」とわかったわけです。おそらく自分を殺してというか、自分を無に近づけて、相手の「ありよう」を少しでも自然に、いわばテキストとしてあるがままに吸い込もうとしていたんだなと。 
『職業としての小説家』P300~301

(引用おわり)

 肖像画を描くのを生業としている主人公の「私」は、肖像画の依頼人と面談して『クライアントに対して少しなりとも親愛の情を持つ』という作業に努める。まずは、対象を受け入れるという下準備がなくして、クライアントの肖像画に取り掛かかるのは、暗闇を手探りで歩くようなものだろう。クライアントをそのまま人格として受け入れられるか、否かが、肖像画の仕上がりに大きく影響するはずだ。対象を受け入れる努力は、大切だ。たとえば、苦手なピーマンを食べなければならないとなれば、みじん切りにして、他の食材に混ぜて炒めるなど工夫するだろう。嫌いなものを、いかにも、美味しそうに食べているように受け入れているように演技するより、美味しいと思える調理法を探して、どうにか、受け入れるほうが、苦痛は少ない。

 初対面では、まず私を殺して、相手を一度を受け入れないといけない。
 
 どろんとした、奥が見えない目で、相手を受容するというのは、まずは相手に同化する作業みたいなものなのだろう。

 本やテキストを読むというのも、また、まずは受け入れるという下準備が大切だ。

 
(おわり) 






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2017.3.17に行った谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』読書会のもようです。

メルマガ読者の皆さんに頂いた感想はこちら


私も書きました。


『きょう、ママンが死んだ』

(引用はじめ)

「お母さん、ちょっと頼みがありまんねん。―――」
毎朝別に炊いている土鍋のご飯の、お粥のように柔らかいのがすっかり冷えてしまったのを茶碗に盛って、塩昆布に載せて食べている母親は、お膳の上へ背を丸々と蔽いかぶさるようにしていた。

(引用おわり)

 私は小学生の頃『たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず』という石川啄木の短歌を読んで、感動して泣いたことがある。しかし、大学生の時、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』という戯曲を読んで、主人公が、気位の高い母と、足の悪い姉の束縛に耐えられず家出してしまう結末のリアリティに納得した。啄木の詩の奥底には、日本の母への怖れが滲んでいるかもしれない。

 庄造の母、おりんは、『いつでも結局この倅を思い通りに動かしてる』のだ。品子が追い出されたのも、福子が嫁いできたのも、おりんの計略があったからである。おりんは、老醜と妄執を悟られないために、塩昆布でおかゆのようなご飯を食べて、家の片隅に申し訳なさそうに生きているふりをしているが、その実は、この家を支配している。しっかりした品子より、家産があって、だらしのない姪の福子のほうが、自分には都合がいい。福子を近所の風よけにして、庄造を頼りない家長にしておくことで、おりんは、いつまでも奥の院に君臨するのだ。怖ろしいことだ。

 母と福子の束縛に嫌気がさして、ヤケになって自転車を乗り回し、リリーに会いたくなって、空き地に佇む庄造は、哀れだった。

(引用はじめ)

 庄造は、母親からも女房からも自分が子供扱いされ、一本立ち出来ない低能児のように見做されるのが、非常に不服なのであるが、さればと云ってその不服を聴いてくれる友達もなく、悶々の情を胸の中に納めていると、なんとなく独りぽっちな、頼りない感じが湧いてくるので、そのために尚リリーを愛していたのである。

(引用おわり)

「息子はその母親の子どもであることだけで充分償っている。」
                     (安岡章太郎『海辺の光景』)

(おわり) 


読書会のもようです。





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2017.2.24~26の3日間に渡って

 村上春樹さんの『騎士団長殺し』のツイキャス読書会を行いました。 

 

ツイキャス読書会についてはこちらをクリック

イントロダクション

 

『第一部 顕れるイデア編』のあらすじと感想を書きました。 (以下ネタバレです。)

『騎士団長殺し第1部 顕れるイデア編』 

あらすじ

主人公の『私』は、36歳既婚。美大時代は、抽象画を専門だったが、生計を立てるため肖像画を描くようになった。彼の妻、ユズは、15歳のときに亡くした妹を思い出させたので惹かれた。デートに誘い、クロッキーを描いてあげるとユズは喜んだ。当時、付き合っていた彼氏とも別れ、親の反対を押し切り、ユズは、私と結婚した。しかし、6年間でふたりの夫婦生活は破綻し始める。妻のユズは、社交的であるが、私は、孤独を好む。そのため妻の補助的役割になりがちだった。彼女が見たある夢をきっかけに、一緒に暮らせないことを告げられ、浮気していたことも判明する。しかし、「友だちでいてほしい」という。私は、自暴自棄になって、仕事を投げ出し、日本海側を北上し、北海道まで旅に出る。その度の途中で、見知らぬ女と出会い行きずりの関係を持つ。しかし、彼女の後をつけていると思しい中年男に、睨まれ、その怒りに満ちた顔が、強迫観念となって記憶に残る。旅から戻ると、妻を残して自宅のマンションをでて、美大時代の同級生の所有する小田原の一軒家に引っ越す。高名な日本画家、雨田具彦のアトリエ兼自宅であったが、彼が、高齢者介護施設に入ったあとは空き家になっていた。私は、モラトリアムの時間を、自分のために絵を描くことで過ごそうとするが、テーマがなかった。ちょうど肖像画の依頼があり、免色渉という大金持ちの実業家と面談することになる。谷間を隔てた大邸宅に住む彼と親しくなり、交友を深めながら制作にはげむ。屋根裏部屋に物音がするので、観察するとみみずくが住みついてた。ついでに、『騎士団長殺し』という不思議な絵を発見する。『ドン・ジョバンニ』をモチーフにした日本画だった。雨田具彦のウィーン留学時代の謎が隠された日本画だった。深夜、鈴の音が庭から聞こえてきて、それ以外の物音がすべて消えるという怪奇現象が起こる。音源をたどると庭に祠を見つけた。その話に興味をもった免色は重機を入れて、祠を掘り返す。すると、下に深さ三メートルの石室が発見される。鈴は、その中にあった。免色はその石室に異常な興味を示す。免色にもう一枚、描いてほしいと依頼される。モデルは、彼の子どもかもしれない秋川まりえという少女であった。その少女は私の教えている絵画教室の生徒だった。 (おわり) 

 

私の書いた感想です。

『白いスバル・フォレスター男』

でもな、誰がなんと言おうと、わたしが描きたいのはドイツ人たちの家族なんかじゃない。わたしは〈隔離病棟〉に積み上げられた子供たちを、白黒の絵にしたいんだ。やつらが殺戮した人々の肖像画を描き、それを自宅に持って帰らせ、飾らせたいんだよ。ちくしょうどもめ!(『騎士団長殺し』第1部 第32章)

愛というのは、他人の中にある目に見えない可能性を信じることであり、かつ、目に見えないものを信じる勇気をもつことだ。と、エーリッヒ・フロムは『愛するということ』と哲学書の中で述べている。彼もナチスから逃れ米国に渡った。家族には愛情深いナチスの絶滅収容所の看守が、同時に、他民族の子どもを大量虐殺するということがなぜ起こるか?   免色は、『彼は誰かを愛することを恐れたのではない。むしろ誰かを憎むことを恐れたのだ』と主人公は思った。秋川まりえが自分の娘かどうか、確認しないのは、彼女を一つの可能性のなかに投げ込んだ割に、信じることも、信じる勇気も放棄している、そんな無責任な態度に思われた。   あいまいな態度を取り続けながら、一方で彼女に執着し、双眼鏡で監視し続けるというのは、バランスを欠いた行為である。   自分の家族と、虐殺される子どもとを同じ可能性のうえに置くバランス感覚があれば、一方で大量虐殺に加担しながら、家庭ではよき父であることなどありえない。   上記引用のワルシャワの肖像画家を怒らせたのは、不気味なまでの無感覚である。   『おまえがどこでなにをしていたかはおれにはちゃんとわかっているぞ』という白いスバル・フォレスター男の怒りの声は、人間の無感覚を告発する良心の呼び声である。   私は、免色という人物が不気味だった。着実に一歩一歩計画を成し遂げ、異常なまでに忍耐力を鍛え上げ、孤独の苦しみを制圧して生きている彼は、どこか狂っていると思われた。それは、絶滅収容所の看守が制圧してきたものにどこか似ている。でも、本人に自覚がないようだ。だから余計に不気味だった。 (おわり) 

 

メルマガ読者さんから頂いた感想文です。

 

  村上春樹『騎士団長殺し第1部 顕れるイデア編』 

 

読書会のもようです。

 

 

 

『第2部 遷ろうメタファー編』のあらすじと感想です。

『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』

あらすじ

秋川まりえの肖像画を制作しながら、免色との交流を深める私は、雨田具彦が留学先のウィーンで巻き込まれた事件と、彼の弟である継彦が徴兵され、除隊した後に、自殺した事実を知る。どちらも戦争に関わる事情が背景にあった。ある夜、アトリエに雨田具彦の生き霊があらわれる。そして、秋川まりえが行方不明になる。(彼女は免色の家に、4日間隠れていた)私は、息子の雨田政彦に生き霊のことを話す。また、政彦から、ユズの交際相手の話を打ち明けられる。彼の同僚が、ユズの浮気相手だということがわかる。彼女は、妊娠7ヶ月であったが、7ヶ月遡ると、旅先の夢の中で、私がユズを無理矢理に犯した日だった。それは免色が秋川まりえの母と体験した出来事と、奇妙な対を成していた。論理的には、ユズの妊娠している子は自分の子供ではないが、自分の子だと信じる決意をする。雨田政彦ととともに、高齢者介護施設で、痴呆状態となってベッドに横たわる雨田を訪ねる。政彦が席を外すと、騎士団長が顕れる。彼は雨田具彦がウィーンで体験したナチスの精神的拷問を語り、世界の流れに抗うことのできない個人の無力感・絶望感が、『騎士団長殺し』を描かせたと語る。そして、騎士団長は、彼の人生の終わりにあたって、もう一度『騎士団長殺し』を再演するように、私に命じる。私は、雨田具彦の前で、騎士団長を刺殺し、彼はベッドの上でそれを直視する。そして、絵のとおりに、部屋の片隅に現れた「顔なが」を生け捕りしに、顔ながの隠れていた地下のメタファーの世界に秋川まりえを探しに行く。やがて川があらわれ、顔のない男がいた。秋川まりえの携帯ストラップを、彼に渡し、船でメタファーの世界の川を渡った。森を抜け洞窟にたどりつくと、ドント・アンナがいた。自分の中にありながら自分の正しい思いを貪り食う「二重メタファー」は、白いスバル・フォレスター男だと悟る。(それは、まあ、これを描いている私の意見だが、要するに、自己欺瞞(いいわけや自己正当化)のことだと思われる。)自己欺瞞をやめるために、ドント・アンナは『手で触れられるものを、すぐに絵に描けるようなもの』を思い出すようにアドバイスする。メタファーに締付けられながら、「光は影であり、影は光なのだ」という認識を得ると、雨田具彦の庭の石室の中にいることに気がついた。彼は、免色によって、石室から救出される。秋川まりえに再会すると、彼女も、忍び込んだ免色の家で、騎士団長にあったことがあるという。彼の母の洋服のしまってあるクローゼットであった。そこで、誰かに見つかりそうになり、母の衣服に護られたという。『騎士団長殺し』は雨田具彦の鎮魂の絵であったことを、彼女に言い聴かせ、『白いスバル・フォレスター男』の絵とともに屋根裏にしまった。雨田具彦は死に、私はユズが離婚の意志がないのを確認して、再び、ともに生活することになる。やがて生まれた娘に『室』という名前をつける。雨田具彦の家は火事で全焼する。 (おわり)

 

 私の感想です。

『二重メタファー』

人間は自由意志で生きているのではなく、何かに生かされているのだ。そういうテーマの小説だと思った。欧米の小説だと、キリスト教が主題になるが、村上春樹は、キリスト教なしで、キリスト教的なテーマを描く。イデアは、頭の中の世界、メタファーは、現実と頭の中の世界を繋ぐものという言う意味だろう。邪悪なものとして『二重メタファー』というのが出てくるが、これはジョージ・オーウェルの『1984年』の『二重思考(ダブルシンク)』に似た概念だ。あの小説では『戦争は平和なり。自由は隷従なり。無知は力なり』というスローガンで表現されていたが、『騎士団投長殺し』では。『白いスバル・フォレスター男』として『二重メタファー』は、表現されている。良心のとがめるようなことを人間が、誰かに見られているのではないかと、意識するその視点は、キリスト教で言えば、神の視点なのだが、神っていう概念出すと、一神教ではない日本では、なかなか受け入れられない。『おまえがどこでなにをしていたかはおれにはちゃんとわかっているぞ』という意識を、地震という自然現象によって体験させなければ、因果を理解できない。地震は、人間の自己欺瞞を暴露する力を持っている。人間は、自然に生かされている。その認識が、薄れていくと、『目に見えるもの、手で触れるもの』をどんどん粗末し扱ってしまう。それが、すすむと、人間は自己欺瞞に深く陥って、邪悪になる。大量虐殺を正当化するまでの自己欺瞞というのは、『二重メタファー』のなせる業である。『安全保障』とう言葉は、「戦争は平和なり」という二重メタファーである。『反テロのための治安強化』は、自由が隷従であることを意味している。『本を読まないのを恥じない』とは、無知の力のことである。現実社会は、『二重メタファー』という自己欺瞞で、汚れきっている。『騎士団長殺し』は、邪悪な『二重メタファー』の犠牲になった人間を鎮魂した絵であった。 (おわり)

 

 メルマガ読者さんから頂いた感想文です。

 

  村上春樹『騎士団長殺し第2部 遷ろうメタファー編』 

 

読書会のもようです。 3/24(金)にもツイキャス読書会で『騎士団長殺し』を課題図書にします。

 

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