二十歳と言う日本の法律で定められた年にさせまる19の冬…。
中身はまだ子供だが、大人にならなければいけない二十歳までの日々は刻一刻と迫ってくる。
ここで私はいろいろなことを考えてみた。
私は臨機応変にたいしょするべきところを感情的になる場面がある。
感情的になる…正義感が強いだけでは世の中はダメだ。何故ならば、正義は必ずしも正義ではないからだ。
正義を貫く…それは必ず敵を複数作ることになる。
人をただすための怒り…
怒りを相手にぶつけて相手の道をただすこと。しかし、これは怒りをぶつけた相手にとって悪になると言う覚悟で怒らなければならない。
しかし、その悪は、時が立つにつれて善にかわる。理由は時の中でさまざまな苦を経験したときに得た罪悪感やありがたさだ。
しかし、それが誤った方向にそれるときがある。悪が憎しみにかわった時だ。
愛情の反対は憎しみ…
深く思うことが愛にも憎しみにもなる。
思う方向性によって二つに別れる気持ち。
どちらにせよ紙一重ということだ。
こうやって、さまざまなことを考えてみると正しいこととは何なのかと思うようになる。
世の中には100パーセント正解なものはない。
つまり、正解は正解でなく、正しく解かれたものだけであり、完全なものではない。
そうなると、間違いと言うのも完全なものではないとも言える。
つまり、完全なものはこの世にはないのだ。
およその値が、この世界では完全なものとして存在する。
その源は、人々の信用や信頼の値ではかられる所にある。
人の数の信用や信頼によっておよその値のものが完全なものと思われる。
一種のマインドコントロールに近いもので人は信じこまされる。
世の中はそう言う風に出来ている。
考えをしつづけて行くときりがない。しかし、人は必ず答えをださなければならない。
ここでひとつの話の結論を出すとすれば、
ものをはかる天秤は人であり、その天秤ではかる重りも人間であると言うこと。
この世の方向性は人間しだいなのだ。
完全なものはない。だから、完全なものを人間は求めたり追求する。
それが答えであり結論なのかもしれない。
いろいろ考えてみて、私は大人とは難しいものだと思った。
しかし、誰しも完全ではないと言うことがわかった。
未熟であるからこそ完全を求めて追求する。
それが人間なのかもしれないと思った。
そして、大人はみんな不安を抱えながら生きていることがわかった。
終わり…
・注意・
この文章はあくまで書いているi.masanariが、疑問に対して疑問をと考えて書いた文章である。
変な風にとらえないでクレヨン。
では、次回作で