言論の自由、モラル、挑発、見えにくい攻撃。 | 「親を、選べず 障害も 選べず。」 でも、自分の人生は、選べた!

「親を、選べず 障害も 選べず。」 でも、自分の人生は、選べた!

ミックス自身の人生の記録と、分析と、納得と。幸せを得る回復までの軌跡。~機能不全家族、親からの虐待、アダルトチルドレン、発達障害~


言論の自由、というテーマで


世界各国がいきりたっていますが・・・


言論が自由であることに、何をしてもいいという意味合いがあるようで


そこには疑問の余地があると、勝手に思っています。



うちの親は、言論の自由を駆使して


私の目の前で、子どもである兄を


半バカだ


能無し


役立たず


生きる価値なんてないだろう


死んだらどうだ、


等々、風刺の限りを尽くしたエスプリあふれる嫌味で


散々子供を攻撃する人達でした。


別の話でしょうか?



傷つける側というのは、とてつもなく鈍感で


自分達は正しい、正義だと自信を持っています。


人を傷つけても、相手が嫌です、やめてください、


それは侮辱です、文化的に大事にしている部分なんです、


それだけはやめてください、ということを


わざわざ、下品なやり方で「人が嫌がる究極の所」をやっておいて


自分達は全くの正義だ、正しい、というのは


ちょっと違うだろうと思います。



挑発しないことは礼儀では。


相手を尊重することは、人としては品格では。



意見の対立はいいでしょう。


批判もいいでしょう。


ですが、一線というのはあると思います。



まあ、他国のエスプリや


他人の娯楽や楽しみなんてわからないから


言うだけ自分が無知なのでしょうが


尊敬できない言動だというだけです。



人を殺す暴力だろうと


人の精神を痛めつける見えない攻撃だろうと


モラルに欠いた行為は等しく受け入れがたい。


見えない人を傷つける方法だからそれと知らず堂々と正義を語るのは


おろかに見えます。