三十二日目 LIFE
テーマ:ブログクリスマスをハッピーな気持で過ごしたい方は
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難病少女が残した歌、全国に共感の輪広がる
12月22日15時5分配信 読売新聞
難病で肝移植手術を受けた直後に17歳で亡くなった新潟県燕市の岡村可奈子さんの詩「笑顔を忘れないで」が歌になり、22日、母校の市立燕南(つばめみなみ)小学校の6年生全員が合唱した。
山形の合唱団がコンサートで披露するなど、病苦や厳しい境遇に負けずに笑顔で生きた少女の詩に共感が広がっている。
6年生の代表が「笑顔を絶やさず前向きに頑張った可奈子さんの遺志を受け継ぎ、心を一つにして歌います」とあいさつ、33人が体育館のステージで、全校
児童らを前に2か月間練習した曲をピアノ伴奏に合わせて元気に歌いあげた。児童の横で可奈子さんの祖母・和子さん(71)が遺影を胸に、涙ながらに聴き
入った。
可奈子さんは胆道閉鎖症で、医師は生後間もなく「成人まで生きられない」と宣告。両親は子育てに絶望して離婚し、家を去り、和子さんに育てられた。入退院を繰り返しながら、14歳のとき家族や友人らに支えられて生きる自分の姿を詩につづっていた。
2003年1月、肝移植を受けたその日のうちに帰らぬ人となった。人づてに詩を知った山形県南陽市の音楽家須貝智郎(すがいともお)さん(56)が昨年8月、「病気に苦しむ人たちの応援歌になれば」と作曲した。
可奈子さんは学校で、病気で膨らんだおなかを同級生にからかわれたこともあった。小川章校長が今年10月、いじめ根絶月間で可奈子さんのことを紹介し
た。6年生の児童たちが「可奈子さんが残した歌を合唱したい」と申し出た。6年生の早川七海さん(12)は「助け合いがあってこそ生きていけると伝える歌
詞に共感しました」と話した。児童の合唱を聴いた和子さんは、「歌がこのように広がり、夢のまた夢。いじめや難病で苦しむ人たちの応援歌となってくれれ
ば」と感極まっていた。
また、南陽市の南陽男声合唱団は6月のコンサートで歌った。団長の川井祐一さん(71)は「病気にめげず、けなげに生きた姿に共感した」と話す。イン
ターネットで知った徳島県美馬市立岩倉中教諭の中川亜紀さん(51)が昨年、「悩みを抱える生徒たちの応援歌にしよう」と校内合唱コンクールで教員と保護
者で歌い、音楽の授業でも教える。
「この詩がいつか歌になり、大好きな歌手の浜崎あゆみさんに歌ってもらえたらなあ」と夢見ていた可奈子さん。生きた証しとして残した詩が、雪が積もる体育館に響いた。
(引用元URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091222-00000821-yom-soci)
そしてこちらがその岡村さんの書いた詩。
いつも笑顔を忘れないで
きっときっとちからがわいてくる
信じる仲間や友だちと
苦しい時も悲しみも一緒なら
明るい陽ざしが見えてくるはず
あなたは一人ではないのだから
今私はここにいる
いくつかの夢を持って生きている
出会えた人に「ありがとう」
そんな自分が好きで好きで
今一番必要なのは
「がんばろうとする勇気」勇気
(引用元URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091222-00000870-yom-soci)
正直言うとですね私この手のニュースがあまり好きではなくて
この記事読むときもチョット批判的な感じだったんですよ。
んで岡本さんの詩を読んでみれば
どこのだれもが言っているような使い古された表現ばかりで
別段優れているものでもないと思ったんです。
ただ一つ最後の二行だけがどうしても頭に引っ掛かったんです。
「がんばろうとする勇気」ってなんだろう?
これがどうも頭に引っ掛かってずーっと考えてたんです。
だって「がんばろうとする」のに「勇気」なんていらないじゃないですか。
「がんばる勇気」だったら分かるんですよ。
例えば転校してきたばかりで友達を作ろうと頑張る勇気とか。
それは「話しかける」とか「自己紹介を面白くしてみる」とかそういう行為を頑張る勇気ってことじゃないですか。
でも岡本さんが言ってるのは「がんばろうとする勇気」なんですよ。
それは即ち
「友達を作ろうと思うことをがんばる勇気」なんですよ。
「がんばる勇気」の一歩前の「勇気」なんです。
これがどうも理解できなくて。
だって普通だったら「友達が欲しい」っていう感情はストレートに心から湧いてくるもので
そこに勇気なんてものは全く必要ないものですから。
だから書いたのは十四歳の少女だしただの日本語的な間違いなのかなって思ったりもしたんです。
そしたら違いました。決定的なことを私は見逃してました。
岡本さんは自分が「成人まで生きられない」ことを知っていたんです。
これですべてが納得いった。
例えば今日転校してきたけど明日また別の学校に転校しなくてはなりません。
あなたは友達を作ろうとするでしょうか。
ちょっと例が悪いですね。
誤解を恐れずに言えばこういうことです。
私には
支えてくれている人々もいて
夢もあって
そんな自分が大好きだ。
でも私はもうすぐ死ぬ。
死んでしまうなら何もしないでも同じなのではないか。
がんばっても死ぬんだ。
こういう葛藤が根底にあるからこその
「がんばろうとする勇気」だったんです。
それに気付いた時
この詩の重さがズシーンと胸に来まして正直泣きました。
こんなに悲しい詩はない。
詩のほとんどを「人生の素晴らしさ」とそれに対する「感謝」が占めているのに
最後の一句で彼女が持っていた
ある意味普遍的なテーマである「生と死」というものに対する葛藤が現れているのです。
彼女が人生のほとんどを
「膨らんだおなか」というなの「死」抱えて生きて
どんな風に悩んできたかを考えると胸を締め付けられる思いだ。
私はこの詩から何か教訓的なものを引き出して
「私たちはこう生きるべきだ」とか
そういうことを言うことはできないししたくもないです。
ナンセンスであるとも思います。
だからこの悲しみを共感することが凄く大事なことだとも思います。
前にもこのブログで言ったけど「詩」の本質はそこにあるのだから。
そういう意味でこの詩は優れているのでしょう。
ただ一つだけ言いたいことがあります。
この詩に関する新聞記事では
この詩が「病気に苦しむ人たちの応援歌になれば」なんて言っているが
それは全く見当違いだということです。
この詩をレトリック的に考察するならば
詩の殆どの「人生の素晴らしさ」を前振りにして
最後の一句で落とす
という形。
すなわち本題は最後の一句にあるということ。
本題は「生と死の葛藤」なのだ。
そんなことは「病気に苦しむ人たち」は
日常的な悩みとして抱えて持っています。
がんばろうとする勇気が必要だって事を
気付かせるって意味では有意義なのかもしれない。
ただこの場合「がんばる」ことが「良いこと」である
と言い切ることすら困難ではないでしょうか。
「がんばった方が絶対良い」というのは問題の外にいる私たちの勝手な決めつけに過ぎない。
「人生をどう過ごしたら良いのか」というのは
最終的にはその人個人の価値観に帰結するほかないからです。
だから私はこの詩は「病気に苦しむ人たち」ではなくて
普通に毎日を暮らしていけると「思っている」人たちにこそ伝えられるべきもので
その「生と死」というテーマを
あらゆる手段を用いてそれを忘れようとしている人たちに
問いかけ直すということこそ
この詩の持つ真の価値だと思うのです。
ただ抱えるだけでいいと思うのです。
世の中全て丸く収まるようになっているほど
神様も万能ではないのだから。







1 ■無題
胸を打つ詩ですね。
生きる事は甘くないですね。