テーマ:日々のこと
海の日二日目、普段は電気が消えた家に電気がついてるということで近所の人達がやってきて、早速ご挨拶させていただく。
「ご家族でご一緒に?」の質問に「一人ですぅ」と答えると、
皆さん「私らぁも、もう ひとりもんやき。」(←既にご主人が亡くなっている方が多いようです(^_^;)
と、快く仲間入りさせてもらいました。(笑)
みんなこの家の主人であった亡くなったおばあちゃんをよくしっていて、みんなが口を揃えていうのが
「ここの◯◯さんは本当に何でも大事に使いよったき、奇麗なまんまよね~」と。
この海の家に初めてきたときの心地よさ
これはこの家にいて、何かが目に入るたび、触れるたびにより一層感じられて、自分のエネルギー(周波数)とそれが心地よく共鳴して溶け合っていくのを感じます。
それはどうやら 亡くなったここの主人であったあばあちゃんのそれらしいのです。
お布団の畳み方一つ、電話台のペン立てとメモ帳の置かれたようす、使われていた可愛らしい食器類、小さなお片手鍋と小さめの包丁、そして大きすぎない木のまな板は、おばあちゃんが毎日丁寧に料理をしていたのが何故か伺えて、全てに日常の丁寧さが込められているに違いありませんでした。
むかしながらの足付きの鍋敷き、おそらく取っておいた新聞のテレビ欄の記事、縁側のテーブルセットにおかれたひざかけ、庭の手入れ道具も、片付けられたストーブも、七輪も全部、とても優しい波動を感じます。
家にはそこに暮らす人のエネルギーが移るんですね。
毎日その人が何をおもって暮らしているか。。。扉を開ける度、料理をする度、食器を片付ける度。。。
テレビ横の小さなテーブルにはおばあちゃんが若い頃、小さなお子さんを抱えている白黒の旧い写真がおかれてあります。
亡くなる前にはお孫さん達がよく遊びにきていたようですから、だからお布団も何組もそろえてあるんでしょうね。
沢山の時間を愛して 4年前に亡くなったそうです。
それでもこの海の家はそのままにとてもキレイにされていて、亡くなったおばあちゃんの優しさがそのまま残っています。
そんなあばあちゃんの立ち続けた使い勝手のよい、こじんまりとした台所の流しの下に、梅酒の瓶を発見。
このこっくりとした色といい、亡くなったおばあちゃんが生前に漬けた物に違いない。。。
さっそくここをかしてくれた知人(おばあちゃんの娘)に電話して、物は相談。
電話して「梅酒見つけたけんどよ。。。味見してかまん?」(味見で済ますつもりは毛頭なかったのですが)と尋ねてみると
「かまんかまん、腐ってなかったらえいけんど、飲みや飲みや~」と知人。
夕刻に早速頂いてみると。。。
おばあちゃんの梅酒。
美味しくない訳がない。。。!!о(ж>▽<)y ☆
瓶の中にたくさん漬けられた梅もふっくらとしてとっても美味しいのです。
おばあちゃんが使ったであろう湯のみに入れてゆっくり頂きます。
そうそう、この前お話した近所にすむ、時々「忘れてしまう」70代くらいの美しい女性ですが、
私の事を3回とも忘れて声をかけてくれます。
その度に、「姉が隣町にお嫁にいって」というのを3~4回はお話してくれます。
時間が止まったようなここの暮らしですが、
過去をどうしても遡って、そして未来を追いかけていたこの数年よりも、一番現実的(リアル)な時間に身を置いているような気がします。
同時進行で色んな複雑だったことが、まるでするすると紐解いていくかのようにつじつまがって観えるようになったり。。。
色んな事が緩んできて、隙間(空白)が出来ることで、初めて抵抗からではない純粋な気付きが起こりうる事を再確認してみたり。。。
40年生きてきて、
何も目にみえる何かをもっていないことが、
子供を欲しいとか家庭をもちたいだとか思った事が不思議なほどなくて
(想像つかなかったので)
なのに、それを持っていないということが、
寂しくて悲しくて仕方なくて、
それを誇りに生きる人が羨ましくて
それを見るたびに、自分は「欠けている」そう思っていたのだけれど、
子育てをして、孫を愛したおばあちゃんの優しさに触れる度、
空っぽになった自分の内側で、何かあたたかなものに触れていくような。。。そんな気がしています。
まだ二日目でした。。。
梅酒はまだたっぷり、大きな瓶に二つあります。
4年以上の時間をかけて、私が蓋を開けるのを待っていたに違いない。。。と勝手に漬かった梅の気持ちになってみるのでした。
ということで、遊びにいらしてくれたら、ビールだけじゃなくて、おばあちゃんの梅酒もありますよ~