Keep Challenging

小野 裕史/ Hirofumi Ono のBlogです。


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「今朝のランは、スピードトレーニングしてみよう」

皇居まで3km程走って、皇居1周5kmを20分切りを狙い、3km走って家まで戻る。

ボクの走力では、まだまだタフな練習内容。

そこそこに、追い込んで走りきった。


が、結果は、20分5秒。。

まだまだ追い込みが足りなかった。


途中「今朝は睡眠時間4時間台だったから、いつもより苦しく感じるのカナ」とか

中途半端な言い訳が一瞬浮かんだり、ぶっちゃけ甘えていた。



コンニャロ、自分め。



ふと、昨夜の投資先ベンチャー企業の幹部メンバーらとの飲みを思い出す。

ボクらの投資先ベンチャーの中でも、かなり成長している会社である。


その社長が、幹部を前に言っていた。

「正直、今のボクらなんて、死ぬほどチッポケ。

いわば、まだ(企業として)生きるか死ぬかの瀬戸際なワケですよ。

なのに、(立ち上げの頃に比べ成長している現状に)少し油断してるんじゃないかって思うんだよ。」






人は、成長を実感すると、嬉しいもの。

以前よりも、

早いペースで走れるようになったり、

携わる事業の規模が大きくなったり。


でも成長は、常に「今よりも上を」目指すからこそ、得られるもの。

今の自分が、過去より成長していても、そこに満足してたら、

「今よりも上」にはたどり着けない
(仮に数字上は伸びたとしても、惰性であり、加速度での成長はできない)。


そして、「成長する」「今よりも上を目指す」ことは、

ランや、仕事などに限らず、様々な形にて

どんなに歳をとったり

どんな環境下であっても可能なことだと、

僕が今まで触れてきた人たちから教わることができている。



どんなに肉体的に老いて、判断力が落ちていっても、

「生の終わる、その瞬間が『成長』のピーク」

ということだって、実現しうるのだ。



ランも仕事ももちろんだけど、

まだまだ成長したいコトが沢山あるし、

成長できるハズじゃん、オレ。



ふと、今朝のランで追い込みきれず

「コンニャロ、自分」

だった、瞬間に、そう、思った。


なので、あえて自分に刻んでみる。


コンニャロ、自分。
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ふと、

アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓、一五の君へ~」

がアタマに流れて止まらない。







負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそう」

「ひとつしかない この胸が 何度もバラバラに割れて」

そんな苦しい中でも、必死に生きている、十五歳の「君」へ。






そんな一五歳を経て「大人」になった今の自分でも

「傷ついて眠れない夜」はあるのだけれど、

悲しみも苦しみも、人生の全てに意味があるのだから、

恐れずに、自分を信じ、自分の夢を育てて、

「笑顔を見せて 今を生きていこう」


そんなメッセージの手紙を、贈る歌。








この歌は、




『十五歳』の経験を経て大人になり、




より成長した『自分』が、




「今『一五歳』として生きている『君』」に贈るメッセージであると同時に、




「これからも生きていく『自分』」が




「より成長した『未来の自分』を目指せるよう」にと、




自分自身へのメッセージでもあるのだよな。




と。






そう、僕なりに受けとめながら、何度もアタマでリフレインしている。










思えば、この1ヶ月ほどは、実にいろいろな事が起きた。




2週間の出来事さえも、なんだか数年も前のようにすら感じるほど。










大切な人の「最期」が無情にも近づいていく中、

その「最期の旅立ち」に立ち会うことができ、

切なさと悲しさに散々に涙にくれつつも、

その同じ朝に僕もアタカマ砂漠へと旅立ち、

さまざまな不安で一杯な自分と闘いながらも、

念願だった「チーム戦世界一」を達成することができ、

そして帰国後すぐまた出張で海外に行き、

これまでの自分ならば会うことすらなかなか難しいであろう、

実に素晴らしい、たくさんの人たちに次々と触れ合うことができ、

多くの刺激と勇気をもらえた、この一ヶ月。






悲しみも、喜びも、刺激も、勇気も、




実にめまぐるしくではあったけれど、




本当に「有り難い」経験だった思う。












ランでも、仕事でも、日常でも、




いつも心がけてきたこと。






それは、常に




「何か達成感を味わったり、嬉しい経験ができても、

逆に、悔しかったり、消えてしまいそうな悲しい経験をしても、

そういった自分を正面から受け止めつつ、一喜一憂せず、

すぐに次へと、未来へと自分を向けていく。」




こと。






決して




「過去」にフタをして、




過去の経験や想いを、記憶が拾えないような場所へと無理に追いやって




「先だけしか見ないようにする」




ということではなく、






嬉しい経験ができたのなら

「これができたんだからさ、さらに上だって目指せるハズだよな。オレ。」






悲しい経験をしてしまったのなら

「おかげで、オレ、鍛えられたんだよね。いろいろ学べたハズだよな。」






そう受け止め、経験を感謝に変えつつ、






「泣いても笑っても、過去は変わらない。

やれるのは、今から先へと進んでいくことだけ。

いろいろあったけど、過去の経験は、

どれも未来の自分に繋がる、スゲー「有り難い」コトじゃないの!


そう。


まだまだやれるはずだよな。オレ。

もっともっと、伸ばしていけるハズだよな。オレ。


そうして『(過去よりも)より良く』成長していけば、

感謝にお返ししていけるじゃないの!!」






そんな風に自分に言い聞かせ、心がけてきた。






『自分』から、『自分』への手紙、メッセージとして。












だって、ボクらが生きることができるのは、




いつだって、「今」しかない。






どれだけ過去に嬉しい事があっても




「今」はどんどん前へと進み、「過去」へと流れていく。








いくら過去の自分にすがりたくなっても、足を引っ張られそうになっても、




ボクらができるのは、




「今」をどう過ごすか。




「今」をどう生きるかだけだ。








そうして「今」がどんどん積み重なった先にしか




「未来」はないのだから。










この1ヶ月ほどの、様々な




悲しみや、嬉しさや、刺激や勇気を得た経験をふと思い返しながら、




改めて、




「いろいろな人に支えられて、こういった『今』があるのだな」




と、




いろいろな人達へ感謝で胸が一杯になり、




「しっかりと、未来に紡いでいかねばな」



「笑顔を見せて 今を生きていこう」



そう、強く勇気がうまれてくる。




未来が存在し、

『未来へと向かって、今を生きていられる自分』

が存在できているだけで、

どれだけ有り難いことだろうか。











そういえば、つい最近、




仕事のパートナーの小林さんが、素晴らしいコトを言っていた。




「子供を見ていると、ほんとにいろんなコトに興味を持って触れるのを見て




好奇心って、ホント大事だなって、気付かされた。






大人へと成長し経験が積まれるうちに、




子供の頃にだれもが持っていたハズの好奇心に




知らずと自らフタをしてしまいがち。






『でも、(過去の経験から)ソレは難しいんじゃないのかな』




『いやぁ、それはさすがにデキないんじゃないのかな』






子供の頃だったら、




何も考えずに、目を輝かせて飛びついたり、




まずは触れてみたりしていたハズなのに。






(ボクらが仕事を通して生み出して行きたい)




「イノベーション」や「新たな発見」なんて、




実はそこら中に転がっているハズ。






好奇心を持つこと。




そして、興味を持ったら




「経験」が持つ「先入観」に囚われずに、




まずは(子供のように)触れてみることが大事。






好奇心は、子供の頃に誰もが持っていたハズなんだから、




「イノベーション」や「あたらしい発見」だって誰にでもチャンスがあるハズ

なんだよな。」














有り難いことに、




ランでも、仕事でも、プライベートでも、




いろいろなコトにワクワクしたり、




好奇心を絶やさずにいられる自分が、今を、生きている。






幸運なことに、




そんな今の自分だからこそ、




次々と素晴らしいと思える人達に触れ合えたり、




本当に「有り難い」と思える体験をたくさんできたりするのかもしれない。








でも、




「まだまだやれるはずだよな。オレ。」




「もっともっと、伸ばしていけるハズだよな。オレ。」








そう。




もしかしたら、50歳くらいになった頃には、




好奇心が途絶え、




今のような素晴らしい経験や人たちと触れ合えなくなってしまっているかもしれない。




もしくは、




「未来に自分を向ける」ことができない程に




「消えてしまいそうな」くらいに、苦しい中で生きているのかもしれない。




ひょっとしたら、

既に「『未来』を失った存在」になってしまっているのかもしれない。


(いずれ、かならず、そうなるのだけれど)








できるコトならば、




少しでもカッコよく、もっといい笑顔で、




それでも




「まだまだ、やれるハズ」「もっともっと、伸ばしていけるハズ」




と前向きに生きていたいよな。








何歳になっても、

いつだって、大切なこと。





「人は、生きている限り必ず『未来』があり

いつだって、成長できるし、

どんな時だって、自ら変えていけるはず。」




という、こと。








有り難いことに、ボクは沢山の経験で、多くの素晴らしい先輩達から、




それを学べているじゃないか。






だったら、この先も、また一歩ずつでも積み重ねて




よりよい自分へと、育てていこう。




そして、五〇になった時に、また同じように、




もしかしたら、七〇になった時でも




「拝啓、五〇の君に」と




ステキなカタチでメッセージを紡げるオトナでいられるように、




大切に時を紡いでいこう。


そう、ふと想ったのでした。

おわり。


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【ブログ全体をお引越ししました。
本ブログもアタカマ砂漠250kmマラソン:チーム世界一への道からご覧頂けます!】

このブログは

2013年3月3日~9日に

南米チリのアタカマ砂漠で行われた

250kmマラソンをチーム戦として走った

「チーム"KIZUNA"」の物語です。


全18話となりますが、ご覧頂けたら幸いです。

アタカマ砂漠250kmマラソン:チーム世界一の道より、読み進みください!
(ブログ全体の引越しにつき、別サイトに移ります)

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「アタカマ砂漠250kmマラソンで、『チーム戦』で世界一を獲りにいく」




そのチャレンジを語る前に、

「あの夜」

のことは触れておかねばならない。






忘れたくても忘れられない、

号泣しながら真っ暗闇の中、ひとり走り抜けた「サハラ砂漠」でのあの夜






2011年10月6日

ボクにとっては2つめの「砂漠250kmレース」となる




「サハラ砂漠250kmマラソン」勝負どころの第5ステージ。




「夜通しで90kmを走る、オーバーナイトステージ」

である。






まだランを初めて2年そこそこながらも




レース開始からの4日間、第4ステージまで順調に順位を伸ばしつつ、




その時点で日本人1位、総合6位まで手にかかっていた。






が、5-6日目の第5ステージにて胃腸を壊し大ブレーキ。




フルマラソン以上の長距離レースでは、




「長距離を走れるだけの脚が残っているか」

はもちろんのこと、

「ひたすら食べ、消化し、走るエネルギーを作り続けられる

健全な胃腸が維持できているか

が重要である。






つまり、

「食べられ無くなったら、いくら脚が残っていても、オワリ」






人生2度目のサハラ砂漠の5日目、

一番の勝負どころのステージにて、

まさに、その「オワリ」の状態に陥ってしまったのだ。




自分の不甲斐なさの悔しさと同時に、

なんとか体調を少し戻すことができ、ようやく再び走りはじめられた安堵感からか

既に日が暮れ満天の星の夜空の下、

誰も周りに人がいないエジプトサハラ砂漠を

号泣しながら
ひたすら走り抜けた夜だった。



(サハラ砂漠ステージ5のゴール後、倒れこむボク)



『炎天下の砂漠を、7日間で250km走る。

しかも、

7日分の食料や必需品など10kgほどを、

全て自らリュックで担ぎつつ走り抜ける。』






生まれてこのかた35年間、まったく運動とは無縁で、

ひたすらインドア派、部活も文化系だった自分が、

ひょんなキッカケでランニングを始めた頃、


「一生のうち、いつかチャレンジできたら」


そう憧れていたのが、『砂漠マラソン』だった。


ランを初めてすぐにのめり込み、


体脂肪20%超えの「超おデブちゃん」だった自分が20kgも体重を落とし、

様々な「縁(えにし)」と、持ち前の「悪ノリ」により、

気づけばラン歴2年ほどにも関わらず遂にたどり着くことができたレースが

その「エジプトサハラ砂漠250kmマラソン」だった。






結果は、総合8位。日本人2位。


予想してなかった程の好成績の満足と、

胃腸の不良で出しきれなかった悔しさとが交錯するなか参加したアフターパーティー。

そこでボクのモヤモヤを一気に吹き飛ぶほどの衝撃を与えたのは

「チーム戦、世界一」として壇上で表彰されている

イタリア人ランナーの4名の輝かしい姿だった。



レース中、ボクが何度も抜きつ抜かれつしつつ、

「アイツら、チョーカッコいいぜ( ・∀・)!」

と憧れつつパワーも貰っていた、

イタリアの4人チーム"Desert Runners"(砂漠ランナーズ)である。

砂漠250kmマラソンに、「個人戦」以外に「チーム戦」という存在を

初めてマトモに意識した瞬間でもあった。






「なんだアレ!ちょーカッコいいじゃん!!( ・∀・)」






『7日間、食料や防寒具や緊急時の必須装備など平均10kgほどの荷物を自ら担ぎ、

灼熱の砂漠を250km走り抜ける』




それは個人、チームに限らず、砂漠250kmマラソンの全ての選手に共通したルール。






でも、チーム戦はさらに




『3名以上でなければならない(3名以上何名でもよいが、
リタイア等で3人未満になった時点でリタイア)』




『チームメンバー全員が、25m以上離れてはならない。
スタート/ゴールは同時でなくてはならない』




といったルールが課される。








2011年のサハラ砂漠250kmマラソンで僕が見た

イタリアの4名チーム"Desert Runners"




全員がお揃いのウェアを身につけ、

時に調子が悪い選手をリーダー格の選手が手を引いて助け、

常に互いに支えながら走り続け、

ついに「チーム戦、世界一」を手にしたのだった。





壇上に立つイタリアチーム"Desert Runnsers"のメンバー4名は




個人戦総合の男女1位に与えられるのと同じ「銀の盾」を全員が手にして




輝かしい姿で壇上で優勝スピーチをしていたのだ。






「あの、盾を、オレも手にして、ステージに立ってみたい!」




「個人戦では、優勝なんてとても実力は足りないけど、
もしかしてチーム戦ならばチャンスはあるかもしれない」






まさか、その場で共にその表彰式を眺めていた、




「初砂漠レース」ながらそれぞれ完走を果たした




佐々木 信也(信ちゃん)、黒澤 洋介(黒ちゃん)と3名チームを組んで、




その1年半後にアタカマ砂漠へとチャレンジすることになるなんて、




もちろん夢にも想像だにしてなかったのだけど。







(つづく)

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「いつか、サハラ砂漠250kmマラソンを走ってみたい」




ランを初めてしばらくしたある日、

この写真



を見てしまった時から、そう憧れていた。




そんなボクがある時知った衝撃の事実。






『砂漠250kmマラソンには




「中国、ゴビ砂漠」


「エジプト、サハラ砂漠」


「チリ、アタカマ砂漠」




と存在し、その3つのうち2つを制すると




「最後の砂漠 = 南極大陸」




に行くことができる。』








「ちょっwww




オレが一生の目標で『いつか』と思ってたサハラ砂漠って、




何なら

ラスボス(南極)に行くための中ボスの1つ

に過ぎないやんけ/(^o^)\」






そう。



一言に「砂漠マラソン」といっても、実にイロイロとあるのである。




ボクが「一生かけて目指すべき相手」と掲げていた目標が、

実は「町内のガキ大将」レベルに過ぎなく、

全国に、いや全世界にまだまだ

トンデモなヤツらがいると知ったような、そんな衝撃だった。






追い込まれた時ほど、ヒトは理性を失い暴走するものである。






「コンニャロー!

やるからには、1年で2つの砂漠250kmレースを制して、

一気にラスボス(南極)への切符を手にしてやるぜ(`・ω・´)ゞ」








ランを初めて以来、様々なレースを次々と




「ノータイムポチリ」


(後先考えずに「ノータイム」で、ココロの羅針盤の赴くままに「ポチっ」とアクションをしてしまうこと)




でエントリーしてしまう、




いわば『ワル乗りアビリティ』を手にしてしまったボクは、




当時ラン歴わずか2年弱の身ながら、






2011年6月「ゴビ砂漠250km」ポチっとな( ・∀・)!!




そして、そのわずか4ヶ月後の




2011年10月「サハラ砂漠250km」も、ポチっとな( ;・∀・)!!








「やヴぁ!

一気に2つの砂漠レースを

ノータイムポチリしてしまったYO!/(^o^)\」






当時、仕事を独立してまもなく、当然仕事仲間に相談すらしていない。




しかも、ヨメにだって、何の相談もしていない。

(イロイロ考えたら考えるほど、

「行かない方が『安全』」な理由しか出てこないに決まってる。

まずは「ポチっ( ・∀・)!」として、更に退路を塞いでやるぜっ(;・∀・)!!!)






とのことで、ゴビ、サハラと2つの砂漠をポチった直後に

Twitterにて「砂漠2つポチりだんっ!」と宣言。


ヨメからのTwitterでの公開返信は

「オマエ、マジ聞いてない。ぶっ殺すぞコラ(´・д・`)」






だって、ポチっちゃったんだもん。。。(´;ω;`)。








というわけで、号泣して駆け抜けた2011年10月のサハラ砂漠から、




時計の針をさらに4ヶ月ほど巻き戻した、中国ゴビ砂漠のお話。


時は2011年6月。






当時、ボクの「初砂漠レース」となるゴビ砂漠250kmマラソンへの壮行会には、

実に多くの方が応援に駆けつけてくれていた。


その中にいたのが、後にアタカマ砂漠でチーム"KIZUNA"として共に走ることになる




「黒ちゃん」こと黒澤洋介と「信ちゃん」こと佐々木信也の2人。






信ちゃんとは「ネット業界&北海道出身」という縁で半年ほど前に出会い、

黒ちゃんとは共通の友人を通じて
数ヶ月前に出会い、




2人共に、ボクにとっては「出会ったばかりのヒト」






とはいえ2人ともに、仕事でもチャレンジングな活動をしており、

ボクのランでのチャレンジに刺激を受けたこともあったのか、それぞれ最近ランを始め

当時、信ちゃんはランを初めて半年ほど。黒ちゃんに至ってはまだラン歴2ヶ月だった。




黒ちゃんと信ちゃん同士も、出会ってたった半月ほどの付き合い。

もちろん、2人共に、砂漠の経験などない。






そんな2人が、

何かの「縁(えにし)」で、ボクの初砂漠である「ゴビ砂漠」壮行会に同席する。





「昼は40度以上、夜は0度近くまで下がるという砂漠を250km、

7日分の食料など10kgほどの荷物を自ら担いで走りぬく」


「人生はたった一度きり」

「見たこともない世界を、見てみたい」

「自ら創るチャレンジが、自らの世界を変える」






当時のボクとしては全く未知のチャレンジに向けた想いを語ったプレゼンに

ワルい刺激を受けてしまった2人は

そこで未来を決める決定的なやり取りを交わすことになる。



(当時の写真。黒ちゃん(リュック姿)に語るボク(一番右))



信ちゃん「おい、黒ちゃん、オマエ、どうするんだよ」




黒ちゃん「ん、ぅん(´・ω・`)...」




信ちゃん「(オマエも砂漠)どうするんだよって聞いてるんだよ。」




黒ちゃん「(´・ω・`)...(・∀・)...(´・ω・`)」



(当時の写真。左が黒ちゃん、右が信ちゃん)


そうして、ボクがなんとかゴビを完走して数週間後の2011年7月。




黒ちゃん、信ちゃんらにより




「砂漠会議」




なる飲み会が催されるとのウワサを聞きつける。




(こりゃーオレも乱入する以外に手はないでしょ(・∀・)!)






当時のボクは「ゴビ砂漠完走者」でもあり、

3ヶ月後の「サハラ砂漠エントリー済み」でもあり、

根拠不明の強気モードである。



「もうココロは砂漠に向いているんだよ。
そんなもん、ノータイムポチリに決まってるだろう」




「人生有限なんだよ。
今晩、いま、ここでポチろうぜ。
パソコン出すから」




という酔いと悪ノリの中、




黒ちゃん、信ちゃんら他数名とともに




『3ヶ月後のサハラ砂漠250kmマラソン、

ノータイムポチリだん/(^o^)\っ!!』






この1年半後に、




「アタカマ砂漠、チーム "KIZUNA" 」へと歴史が大きく動いたもう一つの瞬間でもあったなんて




もちろん知る由もない。

つづく


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エントリーは「悪ノリ」でノータイムポチリできても、完走は甘くない。

それが、砂漠250kmマラソンである。

2011年の7月、

たった3ヶ月後のサハラ砂漠250kmをエントリーした黒ちゃん、信ちゃんに対し

多少とはいえランや砂漠レースの経験があるボクは

半ば「悪ノリ」で様々なハードルを与えつつ、共にトレーニングを積んでいく。




===




黒ちゃん「小野チン、トレーニングで砂漠用のリュック背負って、

富士山5合目から頂上まで登ってこようと思うんだけど」




オレ「黒ちゃん、バカ言ってるんじゃないの

オレは富士山ふもとから山頂まで駆け上るレースやってんだよ。

なんなら
黒ちゃんだって、ふもとから頂上まで走って登ってみなさいよ(・∀・)。」




・・・・




黒「オマエ、バカか!

富士山ふもとから山頂まで登ってやったよ!

山頂ついたら真夜中でビビったよ!






オレ「(コイツ、やるでないの!スゲーアホだ!( ・∀・))」




===




信ちゃん「小野さん、砂漠用のシューズ見に行くんだけど、一緒に行かない?」




オレ「いいけど、オッサン、

2週間後の『奥多摩99kmエコジャーニー』一緒に出ようよ?

フルマラソン以上走っておいたほうがいいぜ?」




既にエントリーは締め切っている事務局に、すぐさま電話をかける。




オレ「あ、今度そちらの大会に出場させて頂くモノですが、

『ぜひどうしても参加したい』という友人がいるのですが。。」




・・・・




そうして、「奥多摩99kmエコジャーニー」ながらGPS上は『106km』な旅路を、早朝から夜まで2人で一緒にゴールまで旅を共にする。




オレ「(こいつ、ちょー根性あるじゃん。おもしれー!!( ・∀・))」




====




オレ「信ちゃん、黒ちゃん、

オレ今度『北オホーツク100kmマラソン』エントリーしたから、

一緒にでようよ。

オレ、ウシの着ぐるみで並走するから




信ちゃん、黒ちゃん「マジか!行こうぜ!!!



=====






そんな悪ノリが連鎖しあいつつ、

3名それぞれの走力や精神力は磨かれていく。


そうして迎えたのが、

2011年10月の「(個人戦としての)サハラ砂漠250kmへのチャレンジ」だった。


ボクが、イタリア人4名の優勝チーム"Desert Runners"に、ココロ奪われた、あのレースだ。


※詳しくは
ゴビ砂漠250kmマラソン完走記
サハラ砂漠250kmマラソン完走記
をご覧ください。 




それまでの(なかば無茶苦茶な)トレーニングもあって

無事に初砂漠としての「サハラ砂漠250km」を完走した黒ちゃん、信ちゃんの2人は

それぞれチャレンジのハードルをさらに上げていき、




気づけば




『3人でコスプレで100kmマラソン完走\(^o^)/』



も何度かこなし、互いの走力や走り方や性格なども肌身で感じながら、




お互いランナーとして成長を重ねていく。








そうしたある日、




今では「よくある飲み会(?)」の光景として

「何か次のチャレンジングなレース出てーなー」

「おっ!なんなら『2013年のアタカマ砂漠』とかどうだ?

なんなら今晩、いま、ココでノータイムポチリしちゃおうぜっ!(・∀・)

・・・




ポチっ




ポチッ




/(^o^)\


・・・






「なぁ、どうせやるんなら、チーム戦で出ようよ。

ひょっとしたら、世界一狙えるかもしれないぜ?」




とばかりに、




極めてワルノリなノリによって




ボク、信ちゃん、黒ちゃんの3名にて、

2013年3月のアタカマ砂漠へのチーム戦エントリーを固めたのであった。






これが、今回の本題である




「アタカマ砂漠250kmマラソン、チーム"KIZUNA"世界一への挑戦」

の物語の始まりである。

つづく


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「チームとして、アタカマ砂漠250kmを出る」

「出るからには、世界一を目指す」




そう決意を固めた

黒ちゃん、信ちゃん、小野の3名。




特にお互い強制はしなくとも

それぞれ走力をあげるべく、週末とあれば

やれフルだ、やれ100kmだ

とレースをポチりお互いに刺激を加えつつ、




時には

24時間で140km走るレース(萩往還)だの、

富士山一周の山道を48時間二晩寝ずに156km走るレース(ウルトラトレイル・マウントフジ)だのと

チャレンジの角度をあげていく。






とはいえ、もちろん3名とも

プロランナーでもプータローなワケでもナイ



それぞれ、おシゴトもある。




なかなか3名が顔を合わす機会が無いながらも、

ネット上にて常に情報や刺激を交換しあいながら、

アタカマへ向けて日を進めていった。




その頃までにはそれぞれ




■小野(ワタクシ)


2011年6月:中国、ゴビ砂漠


2011年10月:エジプト、サハラ砂漠




■信ちゃん


2011年10月:エジプト、サハラ砂漠


2012年6月:中国、ゴビ砂漠




■黒ちゃん


2011年10月:エジプト、サハラ砂漠




と砂漠レースの完走経験もあり、そこそこの自信もつけてきている。




とはいえ、3名とも「アタカマ砂漠」は初めての経験。






特に
アタカマ砂漠と他の砂漠の大きな違いは「高地であること」






「アタカマ砂漠は、海抜3000m以上の高地を走るため、

酸素も薄く、高山病の恐れもある」






そこでボクが始めた「低酸素トレーニング」を2人にも勧め、

それぞれ心肺機能のアップを図っていくことに。



コイツがまためっぽう苦しいのだ。



口と鼻にマスクをし、送り込む酸素を徐々に減らす一方で

トレッドミル(ジムなどにある走るマシン)で

走るペースや傾斜角を上げていくのである。






トレーニング中は、常に血中の酸素濃度を図りつつ(SPO2。通常は100)、

SPO2が80を切ると、必死に呼吸を強めたりもしくは走るスピードを落としたりしながら

酸素濃度を戻していく。






「呼吸するのが、これほど苦しく、大変」




と感じたのは、これが初めてである。






低酸素トレーニングを予約している日は




「今日はジムに行くのが恐ろしい(´・ω・`)...」

と緊張が走るほど。






でも3名それぞれ

「オレ、キリマンジャロクラスの低酸素で走った。」

「オレ、チョモランマクラスまで一瞬イケた。」

と互いに刺激しトレーニングを続けていく。

これは、後に3名にとって大きな財産となる。


そして、もうひとつアタカマ砂漠の特徴は「寒さ」


他の砂漠レースに比べて、アタカマ砂漠は高地な分、


夜は0度近くまで下がることもありうるとのこと。


防寒がしっかりしなくては、走りもままならない。


とはいえ、自分のあらゆる装備を全て自分で担いで走らなくてはならないのが砂漠レース。




荷物が重ければ、その分走るのは遅くなってしまう。

チーム戦だと、他のチームメイトのペースを引っ張ることになりかねない。






「安全に完走できる体制を保ちつつも、いかに装備を軽くするか」

も3名の重要な議題。






砂漠レースでは、




レース事務局から、実に様々な「必須装備品リスト」が指定されている。

それら「必須装備」がなければ、スタートに立つことも許されず、

もしレース中の荷物チェックで「必須装備」が欠けていればペナルティーも課されうる。


アタカマ砂漠での装備品の一例としては

- 5℃の気温でも耐えられる寝袋

- 遭難時に助けを呼ぶ笛や鏡(日光を反射させる)

- ニット帽、ダウンジャケット、手袋(防寒具として)

- ヘッドライトもしくはハンドライトを2つ

- 緊急用ブランケット

- 1日2000Kcal以上の食事(7日間で14000Kcal以上)

などなど。






「オイ!この装備品、コッチのが5グラム軽いぜ!( ・∀・)」




「この食料は、重量対カロリーめちゃ効率いいぜ!

おまけに乾燥した砂漠でも食いやすそう!」




等々、互いに

「1グラムでも軽い装備品」



「砂漠向けな食料」

などを見つけてはシェアしあい装備の軽量化も進めていく。


そんなある日、またもや悪ノリのアイデアが閃いてしまう(´・д・`)。



オレ「おい、オレら、今までさんざん100kmマラソンでコスプレして完走してきたんだぜ。

ただ世界一を目指すだけじゃツマらないだろう。


せっかくだから、


コスプレも着て世界一をとって、

アっと言わせてやろうぜ(・∀・)







そもそも、仲間内でコスプレランを始めたのはボクが最初だった。

理由はシンプル。

「レース中、エイドのスタッフや沿道の方の応援にいかに助けられて走れている。

その恩返しに、スタッフや沿道の方にも喜んでもらおう」






決して、キャアキャア言われたいとか、

そんなヨコシマな考えで始めたワケではないのである(`・ω・´)。


そして、コスプレでフルマラソンや100kmマラソンを経験するうちに


「スタッフや沿道の方だけではなく、他のランナーにも喜んでもらえ、その笑顔でコッチもパワーがもらえる」

「様々なレースで名前を覚えて声をかけて貰える(コレは嬉しい!)」

ことに気づき、仲間内にもウィルスのようにコスプレランが伝染していく。




一方、自らパンダやらペンギンやら様々なコスプレを試すうちに、

自分なりの「コスプレポリシー」なるモノが出来上がっていく。




「老若男女が一瞬見ただけで、『何か』がわかり、簡単に名を呼べるモノであるべし」


(みんなに喜んでもらえ、走り抜ける一瞬でも認知し声をかけられるモノがよりよい)




「こちらの表情が、見ている人に伝わるモノであるべし」


(コスプレして走っているコチラの笑顔が伝わると、さらに喜んでもらえる)






そうして、3名ともに数々のレースでコスプレをしていくうち、




3名それぞれの「鉄板コスプレ」なるモノが既に固まっていた。




信ちゃん:バナナ



黒ちゃん:キリン



オレ:ダイコン



(ダイコンだけ、海外にて圧倒的に認知度が低いコトが、後に発覚していくのだが。。(´・ω・`))





「考えてみ?

砂漠を、バナナ、キリン、ダイコンが走って世界一獲ったら、

サイコーにカッコ( ・∀・)イイんじゃね?」






3名とも、若干低酸素トレーニングで走り過ぎたのであろうか。




そんなアホな妄想に取り憑かれる程に、

脳みそがイカれてしまったのであろう(´・ω・`)。。。





ちなみに3名、それぞれ定番のマラソン用コスプレとその装備重量。




信ちゃん:バナナ 730グラム

黒ちゃん:キリン 711グラム

オレ:ダイコン 635グラム




「他の装備品は1グラムでも軽量化こだわるけど、

コスプレだけは外さずに行こうぜ!




なんなら、スリーピングパッド

(寝袋の下に敷き、地面の凸凹を緩和したり地面からの冷えを断熱したりするマット)にしたり



防寒着としても使えるんじゃね?」






もう、手遅れな重症っぷりである(´・ω・`)。

(測りと、グラム単位で精査される装備品達。と、ダイコン)


つづく


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いよいよアタカマ砂漠までの日が近づき、

時はアタカマのレース3週間前。


何を血迷ったのか、

アタカマへの前哨戦として、

ボクだけ

「沖縄本島一周315kmマラソン」

なるレースをポチってしまう。



3連休で、沖縄本島をぐるっと一周315kmを走るのである。

3日間、毎日100km以上を走る大会である。






通常の読者の皆さん達には

「このヒト、(若干)アタマがワルいのでは(´・ω・`)?」




そう存分に頷いて頂いて構わない。






しかも、大会事務局からは

「えーー。第一回目の大会ではありますが、

『プレ大会』としてお考えクダサイ(つまり何があるかワカランYO!)」




なんなら大会直前で

「コースの計測ミスで、実は315kmじゃなく324kmでした/(^o^)\」

といったアバウトさ。






「た、楽しそうじゃないの(;・∀・)!!」






それまでボクの最長距離レースは、

48時間で250kmを走る「萩往還マラニック」

大会だった。




2晩寝ずに250km走り続けるのに比べ、3日間で2泊しながら324kmだ。

コレができたら、環境が違うとはいえ、アタカマへの自信も大きく付くに違いない。






そうして迎えた「沖縄本島一周、315km324km」レース2日目。

気づけば右足に徐々に鈍痛が響いていくのを感じる。

そして、ついに歩くのもままならないほどに痛みが増していく。

そうして165km地点。

これまで何十回ものフルマラソンや100kmやら250kmやらのレースを全て完走してきたボクが

ついに

「生まれて初めて味わった、『レースリタイア』」






フェイスブック等ではオリオンビールを片手に笑顔の写真でリタイア報告をするも




強烈な挫折感と共に、

なにより

「3週間後のアタカマは大丈夫なのか。。。」

と不安がどんどん広がっていく。


(リタイア直後のテーピングの様子。歩くのも痛いがな(;・∀・)!!)


それから、様々な治療を繰り返しては、

全力で怪我の治癒の日々が始まった。






「今回のアタカマはチーム戦。

『3名未満になった時点で、チーム戦はリタイア』

だ。

万一オレが故障で出場できなかったり、

レース中に故障でリタイアしたら、

それでオワリじゃないか。。」






振り返えれば、

走り初めてから3年半のラン人生は常に故障との闘い

もともと全く運動もしてなかった所から、急にアホほど追い込んで走りはじめたのだ。

そりゃ、故障もあって当たり前。


そんな経験から、

自然と

「こういった故障なら何日間で治せる」

という感覚も持てるようになっていた。



「今回のケガも、アタカマまで3週間もあるから確実に治せるだろう。

でも、万全には万全を期してダメ押しで治療をしてやる」






そして、様々な治療や日々ストレッチをしながら迎えたアタカマ砂漠の1週間前。

奇しくも、

ボク、信ちゃん、黒ちゃん3名共に「東京マラソン」の出場権を手にしてしまっていた

のである。


世界一を、しかも個人戦ではなくチームで狙っているレースの1週間前である。

通常のボクならば、迷わず「スタートに立たない」選択をしたのだが。。。

後に述べることになるのだが、

「オレも出る!やっぱ、全員コスプレで出場だよな(`・ω・´)」

(東京マラソンの朝、吉野家で牛丼を待つ、左から信ちゃん、ボク、パイロットの力丸ちゃん。※全員40歳目前のオトナです。)


(さすがにそろそろ、脚の故障はほぼ癒えたんじゃないか?

ってか、東京マラソン走れないくらいじゃ、一週間後に砂漠250kmなんて無理だろ)




が、現実はそんなに甘くは無かったのだ。




走り始めてすぐに、沖縄で痛めた脚の故障が再発してきた。






「コレは、マズいぞ。。。(・.・;)」






結局、20km地点で、アタカマ優先でサクッとリタイアを決めた。

一度リタイアを経験していると、もうリタイアも怖くなくなる。


東京マラソンスタッフ「リタイアですか?では、護送バスにどうぞ。」




ボク「あ、いや、家が近いので、走って帰りますので(`・ω・´)」




スタッフ「ぇ?は、走れるんですか?(・.・;)」




ボク「ハイ。スミマセン。

ダイコンのまま走って帰ります(`・ω・´)ゞ


ご迷惑おかけしますm(_ _)m」






これで、人生2度目のリタイア。






結果的には、東京マラソンの数時間後にはシゴトで中国出張に行く予定だったので、




そのままゆったりペースでゴールしていたら、出張に間に合わなかったのでちょうど良かったのではあるけど。






とはいえ、「アタカマで世界一を狙うチーム戦の直前2レースが、いずれもリタイアレース」という事実は




ボクのココロを不安で大きく蝕んでいったのである。






アタカマ砂漠レースのスタートまで、あとわずか7日のことであった。


つづく


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じつはこの頃、

アタカマ砂漠で世界一を目指すボクらのチーム

チーム"KIZUNA"

に、更に3名の随行者が加わっていた。




チーム"KIZUNA"の

『密着取材メディアクルー』

の3名である。





若手ながら映像制作会社で世界で活躍をはじめた

augment5社の井野ちゃん




みかなぎともこちゃん(ともちゃん)




そして、本来メディア経験はないにもかかわらず

見事な『ワル乗っかり』っぷりで随行を決めてくれた

今岡ちゃん


(左が今岡ちゃん)


の3名。


ボクがメディアクルーのリーダー井野ちゃんと出会ったのは、たった1ヶ月ほど前。

ふとしたチャットのやり取りから、それは始まった。




井野ちゃん
「小野さん、この前は初めまして!

ところでいつもオモシロそうなレース沢山でてますよね。

今度小野さんが出るレース、撮影に行かせてください





小野
「ぜひ!ってか、もうすぐだけど、

なんならアタカマ砂漠こない?

日本人初のチーム世界一も狙ってるし、


何なら3名でコスプレ着て走ろうと考えてるし、

スゲーオモロいと思うよ!」




本来、映像制作会社というのは、

テレビ番組や映画などの「出口(映像の売り先)」があったうえで

撮影が決まるものである。

というか、

フツーのオトナだったならば、そういう選択をするだろう。






それなのに

井野ちゃん「まだ出口は決まってるワケじゃないんですが、、、

ひとまず行きます!(`・ω・´)ゞ




とばかりに、スタッフのともちゃんを口説き、


チーム"KIZUNA"のメディアクルー2名がまずは誕生。




彼らaugment5社の制作した映像は、ちょうど世界的に話題になっており

ボクも期待に胸が膨らむ。






(これだけ才能がある人達が、こういう前のめりっぷりなのは、

サイコーに好きだな!( ・∀・))






ところが、アタカマ砂漠の大会事務局より

あまりに直前すぎるので、メディア班の参加がOKかは確認が必要」




さらには




「メディアクルー用に車を貸しきるには、3名のクルーが必要」とのこと。






そんな折、たまたま別件で信ちゃん経由で仲良くなった今岡ちゃんと話していた時




今岡ちゃん「オレも来年(2014年)のサハラ出ようと思うんだよね」




オレ「(・∀・)イイネ!!ところで、直前&まだ未確定だけど、

アタカマでメディアクルーが密着する予定で、しかも1名席が空いてる

んだよね」




今岡ちゃん「マジ!?オレ、メディアとか経験ないけど、

何でも手伝うから行きたい(`・ω・´)ゞ!

来年のサハラのトレーニングにもなるし!」




オレ「(・∀・)イイネ!!じゃ、すぐにメディアクルーの井野ちゃんに連絡する!」






そうして生まれたのが




チーム"KIZUNA"メディアクルー、




井野ちゃん、ともちゃん、今岡ちゃんの3名。




この時点で、

メディアクルーに先に決まった井野ちゃん/ともちゃんの2名と、

3人目となった今岡ちゃんは、まだ会ったコトすら無い






でも、3名とも大会事務局から「メディアクルー参加OK」の正式回答が来る前から

ボクのアタカマまでのフライト情報をシェアし、

「ひとまず、フライトだけでも抑えておこう!」とポチり。






(ヤヴァい。コレは何か流れがキテるに違いない!)








これで、チーム"KIZUNA"




選手班:信ちゃん(バナナ)、黒ちゃん(キリン)、ボク(ダイコン)


メディア班:井野ちゃん、ともちゃん、今岡ちゃん




の計6名となる。



左奥より、黒ちゃん、井野ちゃん、信ちゃん、(キヨピ)、ともちゃん、ボク
前方真ん中に今岡ちゃん。
(※「キヨピ」については後述。)




なんだか、

旅をしながら仲間がどんどん増えていくなんて




ドラクエみたいじゃんかw。








しかもみんな




「砂漠でチーム世界一へ向かって走る、

ダイコン、バナナ、キリンの姿を

全世界に発信できる映像にしようぜ!」


というアホな妄想の実現に、大真面目に取り組もうとさえしているのだ。。。




(巻き込む人数が増えるほど、レースに向けプレッシャーや不安も増えるかもだけど、それを乗り越えてナンボでしょ!)




やったるしか、ないでないの(;`・∀・´)!


(つづく)


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アタカマ砂漠「チーム"KIZUNA"」の選手班メンバー

黒ちゃん、信ちゃん、ボクの3名とも

アタカマ直前のスケジュールはハチャメチャだった。






黒ちゃんはシゴトで

イスタンブール→ワシントン→ロンドン→東京マラソン受付→キリンで東京マラソン→アタカマ砂漠




信ちゃんも


マレーシアやフィリピンやら北米やら国内移動やらの合間に「バナナで東京マラソン




ボクも

ダイコンで東京マラソン(20kmリタイア)」→その夜から2泊3日で中国出張→深夜帰国→数時間後にアタカマ出発





賢い読者の皆様ならば

「その合間の『コスプレ東京マラソン』いらないよね(´・д・`)?」




とツッコミ入れたくなる所であろうが、それはさておき。






そうしていよいよ、アタカマ砂漠へ旅立つ日がやってきた。

アタカマの準備やらシゴトやらでロクに寝てないながら

「これも時差調整でちょうどいいじゃん( ・∀・)!」

と前向きな3名。






日本からアタカマまでの道のりは

成田 → ニューヨーク → サンティアゴ(チリ) → カラマ(チリ)

3フライトで約40時間ほどの旅。






ボクは「縁(えにし)」というコトバが大好きなのだけど




アタカマへの旅ほどに「縁(えにし)」の連続の旅が、

かつてあっただろうか?






まずは、



成田→ニューヨーク。



なんとそのフライトを操縦するのは




奇跡的にも信ちゃんの小学の同級生で、僕らの友人&ランナー仲間でもある力丸ちゃん。
(つい数日前の東京マラソンでは、「エダマメ」コスプレとして共に走っていた)




そしてそのフライトのチーフパーサー(客室乗務員のリーダー)は、

ボクや信ちゃんと砂漠仲間で今回のアタカマでも一緒に走る予定のマキちゃんの後輩。




「なんじゃこりゃ(;・∀・)!」




ってほどの縁(えにし)の連鎖もあり、



NYまでの機内では、



CAさんがボクの周りに数名集まってくれて




「世界一目指してがんばってください」と応援ハガキを手渡ししてもらった。







実のところ、、、

アタカマ出発直前に中国に出張したボクは、

出張先にて突如体調を崩し、

日本に帰国するフライト前は、

震えが止まらない程の悪寒や吐き気と頭痛が起きていた。




(こりゃ、アタカマどころか、

日本への飛行機に乗れないレベルかも知れない。。

でも、これ乗らないと、アタカマに間に合わん。。。。)






そんな体調ながら、ゼェハァ言いながらなんとか中国から日本に深夜帰国。

成田からも、ずっと横になり、必死に吐き気と闘う状況。




その時点でアタカマ出発へと家を出る時刻まで、わずか7時間ほど。

帰国するなり、帰宅前に深夜の救急病院に駆け込んだこともあった。



そんな経緯もあったので、


アタカマへ向かう最初のフライトである


成田 → NYでは、ずっと寝たきりだったのだが。。。


(たまたま空いてた4列席で、12時間ずっと寝たきり。
ちゃんとシートベルトはしております(`・ω・´)ゞ。※信ちゃん盗撮)




そういえば、フライト中、やたらにCA(客室乗務員)さん達が


「お体、大丈夫ですか(´・д・`)?」


「ずっとお休みですが、食事はいかがされますか?」


「食事ほとんど採れてないようですが、何か必要なものはありますか?」




やけに親切でありがたいなぁと感じていたのだが、

影で、パイロットの力丸ちゃんや、同じ砂漠仲間であるマキちゃんの後輩チーフパーサーの差し金だったのであろう。

(´;ω;`)ウッ…アリガトウ....




そんなCAさんたちの応援で、ちょっとゲンキが戻ってくる。




(ゲンキンだなー、オレ(*´ω`*)。。。


ますます、やったるしか、ないでないの(;;`・∀・´)!!)




そうしてNYまでのフライトで体調は少しずつ戻してきたボクにとって、


一番の不安の種は




「沖縄で故障し、東京マラソンでも再発した脚の故障」






実は、出張先の中国でも脚の不安で眠れず

夜中にネットでテーピングの仕方を学んで何度も練習


したりもしていた。




(デキることは、全部徹底的にやらねば!)






そう悩んだ結果出た結論が


「NYでのトランジットの12時間で、

なんとかNYで脚の治療を受けられないか?」








ここでもまた、奇跡的な縁(えにし)が。




NYに在住し、信ちゃんの小学同級生かつボクの高校の1つ後輩かつランナーである

山崎あやこ(アヤロちゃん)にふと相談してみたところ




「ワタシもお世話になっている、

とびっきりイイ理学療法士が診てくれるって!」




ボクの為に、

わざわざシゴトを休んでNYの空港にまで出迎えてくれたアヤロちゃんの車の運転で、

理学療法士Evanの元へ。




オレ「アヤロちゃん、ホント感謝( ;∀;)。もう何でも言うこと聞く!ありがとう!」




アヤロちゃん「じゃあ小野さん、

一生飲み会で奢ってクダサイ!

あと100年くらい!




オレ「お安い御用だぜ( ;∀;)!!!








アヤロちゃんが運転する車中、

マンハッタンを通り抜けながら

ボクの治療に随行してくれたメディアクルーのともちゃんが、

ボクにカメラを向けながら様々な質問をしていく。





ともちゃん「小野さん、体調や脚はいかがですか?」

オレ「うーん。正直不安が無いって言ったら嘘になるけど、

まぁ何とかなるってか、何とかするしか無いよね!(`・ω・´)ゞ


(ホントは不安まみれだけどね!カメラ回ってるからね!(;・∀・)!!)」






ともちゃん「いつもゲンキそうな小野さんでも、やっぱりプレッシャーは感じるんですかね?」

オレ「うーん。。ラン歴やレース歴も一番多いのはボクだから

『みんなを引っ張って頑張らなきゃ』って勝手ながら思ってたけど

『そんなオレが、ケガでチームの大ブレーキの原因になってしまったら』

と考えるとちょっとコワいのは本音かな・・」


そんなインタビューの合間に、

運転するアヤロちゃんがニコやかに言ったヒトコトがボクを打ち砕く。






アヤロちゃん

「あーー。ワタシも昔チーム競技やってたんですけど、

必ずチームにいるんですよねー。



他のチームメンバーは何も気にしてないのに



『ひとり勝手に抱え込んでる』ヒト


って!」








Σ( ̄ロ ̄lll)!!
(ソレって、まさに今のオレじゃないのか!!)






そして、1時間ほどのドライブの末、理学療法士Evanの元へたどり着く。




まずはボクの脈を測りながら

Evanがニコヤカに言ったヒトコトが、さらにボクを打ち砕いていく。






Evan「キミ、なんだか

ずいぶん不安まみれなんジャマイカね?(´・ω・`)?」





Σ( ̄ロ ̄lll)!!!!!
(な、なんでバレちゃったの!!!??)






更には

オレ「脚の故障と胃腸の不安以外としては、

首の左が最近やたらと凝るんですが(´・ω・`)」




「あー、ソレは

『考えすぎ』なヒトによくあるヤツ

ですね」





Σ( ̄ロ ̄lll)!!!!!!






そしてダメ押し。

ボクのカラダを様々に触ったり、手足の柔らかさを調べながら

Evan「うーん。キミ、お酒飲み過ぎなんじゃ?

肝臓が少し固くて、その影響で右脚や左手の筋肉の硬さに影響が出ているよ」




Σ( ̄ロ ̄lll)!!!!!!!!!!!!




実際、故障している右足だけではなく、左腕も右腕より筋肉の伸びが硬い。。。


(そんなトコまでに影響がでるのか!ってか、繋がってるのか!!!)




オレ「た、確かに『飲むために走ってる』と言っても過言じゃない程、飲むのは好きですが。。。(´・ω・`)


そもそも体調も悪いですし、

レースまで絶対飲みません、、、(´・ω・`)」






中国で突如発生した悪寒や胃腸の不調、

そしてずっと気になっていた首の凝りは

なんと「考えすぎ」「(勝手に)抱え込んでる不安」が原因とな。




そして、脚の故障は


「飲み過ぎ」「走りすぎ」が原因とな。






オレ、ダメダメじゃん( ;∀;)。。。。






もちろん、原因指摘だけではなく、ちゃんと対処治療もしてもらう。




不安や吐き気や下痢については、よく効く漢方やハーブティーを処方してもらいつつ、



メインである脚の故障の鍼治療へ。






Evan「かなりイタいけど、

脚やお尻にタップリと針を打ちます(`・ω・´)」




アヤロちゃん「v( ̄Д ̄)v イエイ!!!

それ、ワタシもやって叫ぶ程痛かった!!!

Evan、どんどんやっちゃって!!

なんなら、小野さんの生尻に針打たれるトコ観たい!!ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ」




オレ「(´;ω;`)ウッ…。。。

少しでも良くなるなら、もう何本でもドコへでも打ってクダサイ( ;∀;)」





そこから、悶絶タイムの始まり。



次々にEvanの針がボクの脚に突き立っていく。



アヤロちゃん「小野さん、この治療、ワタシもやったコトあるけど、めっちゃ痛いでしょ???(・∀・)」




オレ「く、くぉんなの。。。ぜ、全然。お、温泉浸かっているような心地よさ、、アウッっ!!!!!




アヤロちゃん「ねぇねぇ、やっぱ、痛いでしょ???(・∀・)」




オレ「こ、こんなの、ら、楽勝ぅぐぁっっっ!!!!





Evan「今度は、足の裏に刺していきますね」

オレ「ぇ"!!


そ、ソコは針打っちゃダメなトコなんじゃ、、、

はぅあ”ッつ!!!!!




・・・・・・



20本ほどの針を刺し、様々な対処ストレッチを教えてもらい治療は終了。



(ぶっちゃけ
砂漠250km走る方がよっぽど楽なんジャマイカって程痛かったじゃねーか!( ;∀;))




Evan「針の治療をした直後は、

激しい筋肉痛と同じような症状

が脚にでるけど、レース前には戻るので大丈夫!」




と言われるも、


治療後のボクは、歩幅5cmでしか歩けない程、脚全体が超絶筋肉痛でよちよちロボット歩き状態






(こんなんで、4日後からホントに250km走るコトなんてできるんだろうか。。。(´・ω・`)




スタート立てなかったらどうしよう。立てても、レース中に故障箇所が傷んで、歩くのもままならなくなったら、どうしよう。。。




いやいや!!


『考え杉』『抱え込み杉』はダメだったんだ(;・∀・)!




なんとかなる!いや、なんとかしちゃるぜ(;;`・ω・´)!






ボクの治療を待っている間、マンハッタンで楽しく飲んだくれている仲間の元へ戻っても




ひとり弱々しく横になりうずくまってしまうほど。






そうしてNYのトランジットを終え、

さらに2つのフライトの最中に徐々に「針もどし」の筋肉痛も戻りつつ


ようやくレースの地、アタカマへ降り立ったのであった

つづく


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