消閑亭です。消閑というのは暇(閑)つぶしのことです。退職したら、晴耕雨読、暇つぶしに書評やら何やらを書こうかな、と、優雅な生活を夢見ていました。ところが、高生研のために、事情が一変しました。重厚長大型組織の高生研は、かなりの制度疲労を起こしていて、その補修作業のために定年退職者の肩は重い荷物を担がなければならなくなったのです。
常任委員会の解散は、書記局長の発案です。初めは私もちょっと違和感がありましたが、すぐに、「そうだよな」と納得しました。個人的には上記のような状況がありますが、それより何より、戦後発足した組織・運動の高齢化は避けねばならないということが最も大きな理由です。そのためには重厚長大型の組織は一旦やめて、人数は少なくなってもいいから、若い人が自分たちのニーズや形式にあった活動を模索すべきだと考えたのです。
高生研の活動主体は、今は、50代です。会員には60歳以上の方も少なからずいます。一方で50歳未満は、かなり少ないと推測されます。今のままではどっち道あと10年たったらなくなります。
5月の全国委員会でボランタリーな組織検討委員会が発足しました。残念ながら、呼びかけ人は、そう若くはない人です。しかも常任委員です。私は呼びかけ人の一人の発言に、実はがっかりしました。「機関誌を存続させたい」というのです。機関誌の存続は、人的、財政的にもう2012年以降は無理ですが、それよりも、「機関誌がなければ社会的な発言力が低下する」という、その考え方がどうかと思ったのです。私たちが今必要としているのは社会的な発言力ではなく、これからもっと過酷になる職場状況の中で、若い人が教育活動に意義を見出せるような活動をどうつくるかです。教員が孤立して、自分勝手になっていくことは目に見えています。そういう中で協同性を外から担保する組織、活動が必要なのではありませんか。必要なのは「本」ではなく、気軽に実践を交流したり、相互に分析しあったりするという「場」です。その場は、ニュースペーパーのようなものでもいいし、ウエブサイトのようなものでもいいかもしれません。
実践記録というのは、どうしても個人情報が入ってきますので、掲載は、ある程度特定の人が読む通信のような活字媒体にならざるを得ないでしょう。一方、社会的な発言、論文などは、サイトのようなもののほうが、機関誌よりもずっと多くの人の目に触れ、力を持つでしょう。あるいは携帯を使って、ハウツーがいつでも引き出せ、今日のホームルームで何をしようかと悩んでいる人がすぐにアイディアをパクれるようにするものを考案するとか、若い人なら色々考えられるのではないでしょうか。
数日前の朝日新聞の声の欄(関東地区)に、80歳以上の方が、戦争体験を語る場に若い人が来ないので話しても意味がない、そこで、頑張ってブログを立ち上げ、そこに書くようにしたら、若い人から思いもよらないような応答があった、と書いていました。
もう重厚長大型=中央集権型の運動の時代ではありません。このブログに、全国大会の継続を前提にお金を残せという「修正案」が載っていますが、全国大会ありきというその姿勢に疑問があります。全国大会を毎年開くには全国組織が必要であり、お金が必要であり…となってどんどん重厚長大化していきます。だいたい、もう人の褌で相撲をとるようなことはやめたほうがいいと思います。お金が必要なら自分たちで出す。身の丈にあった活動と自腹を切るくらいのニーズがない組織はつくるべきじゃないと思います。
検討委員会の呼びかけ人も、修正案を提案している人も、けっこうな年齢の人です。これではダメだと思いませんか。若い人に任す。そして、若い人の発言や行動が出てこないのだったら、高生研は解散してもいいと思います。年寄はノスタルジアに浸るのではなく、次の世代を尊敬すべきだと思います。それが教育の本質です。


