アヘン。
2012-01-22 22:24:12 テーマ:ブログ・アヘン(阿片)・・・opiniumの中国での音訳に基づく文字読み。未熟なケシの実の乳液を干して作った、茶色の粉。モルヒネを成分とする麻薬。
【アヘン窟】アヘンを吸わせる、秘密の場所。
(三省堂 新明解国語辞典より)
(画像はウィキペディアより拝借)・阿片戦争(アヘン戦争、英:First opium war)・・・1840年から2年間、清と英国との間で行われた戦争。
通常、戦争の名前は戦勝国によってなされるが「opium war」という名はアメリカ人がつけた。
その名の通り、アヘンの密輸が戦争のきっかけ。
当時の清と英国には圧倒的な兵器差があり、この戦争でのイギリス人戦死者は皆無だった。
・・・例によって唐突にはじめますが、ご了承を。
年末にふと気になって、正月明けぐらいからいろいろと調べものなぞいたしておりましたので、しばらく自分の備忘録にこの場所を使わせていただきます。
私、「アヘン戦争」がなぜ起こったかは、中学や高校の教科書で読んだ程度の理解度だったんですが、今回あらためて調べてみたら、考えさせられることが多かったです。
wikiを読むだけでも勉強になりますから、ご興味のある方は、ご自分で是非。
1 アヘン密輸まで
①日本と中国の鎖国
日本は当時、鎖国状態。アヘン戦争の前年には「蕃社の獄」が、その少し前は「天保の大飢饉」や「大塩平八郎の乱」が起こっている。 また、「モリソン号事件」が起こったのもこの頃。
鎖国の大きな目的は、切支丹対策。
中国も、当時は鎖国状態。
日本とは異なり、その理由は多分に「世界の中心は中国(清国)だ」という中華思想に由来していた。
一例として、陳 瞬臣著 「実録アヘン戦争」の中に出ていた、こんな事実がある。
1790年ごろに乾隆帝八十歳の祝賀使として派遣された英国のマッカートニー卿に託された、時の乾隆帝が英国王に与えた勅諭に
「天朝ハ物産宝盈、有ラザル所ナク、原トヨリ、外夷ノ貨物ニ籍ッテモッテ有無ヲ通ゼズ。」
というものがある。
以下、氏の要約を引用する。
「わが天朝は、およそ無い物はないほど豊かであるから、外国と通商して有無相通じる必要など、もともと無いのだ。」
勅諭は、さらにこう続く。
「外国は茶葉・陶器・糸斤を求めて来航するのだから、天朝は 『遠人ニ恵ヲ加エ、四夷ヲ撫育スル。』 という慈善の精神で交易に応じているのにすぎない」
これはつまり、清国皇帝はその名において、一方的に恩恵を施すのであって、平等互恵という通商の根本精神など、どこにも存在しえなかったということ。
もっとも、事実は乾隆帝の上記の言葉通りだったようで。当時の清国が輸入していたものは大抵不急不要の奢侈なものばかりだったし、それとは逆に清国から輸出される茶葉は西欧の必需品だった。
さらっと書きましたが、この「中華思想」についてはまた後で触れる機会がありそうかも。
②片貿易と銀本位制
清国は当時、なかなか面白い銀本位制を採用していたらしい。
銅銭の鋳造は国家の独占政策を採ったのに、それを本位とする銀貨は自由放任政策だった。
つまり、銀の粒でも変形した板状のものでも、外貨でもなんでもありってこと。
その理由は、銅の統制をすることで武器製造がチェックできたからだとか。
・・・大陸的な発想だなあ。
ともあれ、国に現銀が入って来ることは国力が増すということ。
茶葉の見返りになりうる代替物がなかった英国がメキシコ・ドルやスペイン・ドルをせっせと清国に運ぶことになった結果、清国内の銀がだぶついた。
・・・乾隆帝の頃の庶民の暮らし向きはいくらか楽だったでしょうね。
というのも当時、庶民が治めるのは銅銭でも税額は銀で示されていたので。
保有銀の総数が多くなれば当然、銀の銅銭における対価は下落する。経済の基本ですね。
その一方、逆に英国ではどんどん保有銀が減少。
清側とってに魅力のある輸出商品がない状況を打破するべく、英国が貿易収支改善のために用意した代替品が、アヘンだった。
③アヘンの蔓延
清国でも、もともとアヘンは禁制品ではなく、明代には医薬品として輸入がはじまっていた。
英国では当時、一般の嗜好品とされていたアヘンは清代になって中国でも嗜好品となりはじめ、瞬く間に広まっていった。
それについては、いくつかの原因が挙げられる。
・比較的安価に入手できたこと
・元の医薬品としてのイメージからか、健康に良いと思われていたこと
・政治の腐敗などによる、生活苦の憂さ晴らし
・その強力な常習性
など
清国では早々に、1729年にはアヘン販売者・アヘン吸食所を開いたものに対する禁令が出されている。
追って1780年にも、重ねて禁令が出されたがアヘンの勢いはとどまることなく。
1796年に輸入量の急増傾向が見られたことで、ついに輸入が禁止された。
(1799年には国内におけるケシの栽培も禁止になった)
しかし、公式に禁じられて密輸となっても、アヘンの輸入はますます増加を辿ることになった。
これにも、いくつかの要因が考えられる。
清国は女真族の国。人口割合で多数を占める漢民族等が反旗を翻さないようにするためにも、アヘンの蔓延で適度な愚民化を図ったふしもある。
また、その歴史を鑑みてみると、中国は賂の国。
過酷な科挙制度が生んだ弊害のひとつでもあるが、役人が賄賂を強要することが当たり前の国。
少し袖の下を握らせれば、密輸など訳も無いことだった。
そして、保有銀が減少を続けていった結果、アヘンを吸う吸わないに限らず国民は税を払えなくなった。
先に述べた理由の、逆の現象が起きてしまったから。
乾隆以前は、銅銭7百文を銀一両に換えていたものが、次第に八百文、九百文と上昇して、アヘン戦争の頃には銀一両が二千文になっていたという。
・・・これじゃあみんな、憂さ晴らしにアヘンでも吸わなきゃやってられなかったんでしょうな。
現在の政治経済に当てはめてみても有益なアヘン戦争。
次回は当時の貿易形態についてまとめてみます。
最初にことわってますが、これは私の備忘録。基本的に興味のない方はご遠慮ください。







