左側通行の原則 | (裕)の学科教室

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こんにちは!(^O^)/




今回は左側通行にまつわるお話しをしたいと思います。



日本は左側通行の国ですから、



「車は、道路の中央から左部分を通行しなければならない。中央線があるときは中央線の左部分を通行しなければならない」(教本P51)



というのがあります。



じつは世界でもこの左側通行をやっている国は少ないんですよ。

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この画像は赤が右側通行の国、青が左側通行の国です。(対面通行-Wikipediaより)




こうしてみると、圧倒的に右側通行の国が多いですね。




では、なぜ日本は左側通行の国なのでしょうか?二つの説があります。



「昔、日本の武士は右利きだったから、刀を抜きやすいように腰の左に差した。武士同士がすれ違う時に、刀のさやが当たるとトラブルの原因になっていたため、当たらないように道の左側を歩くようになった。」という説。
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「明治時代に政府が交通法規を定めるにあたって、イギリスの法規を元に作ったから」という説です。


こちらの説の方が有力です。



日本はイギリスの植民地というわけでないのに、どうしてイギリスの交通法規(乗り物は左側通行)を真似したのか?というと


日本の鉄道の始まりは、イギリスの指導のもとにイギリス方式が進められたからだそうです。




自動車もないような昔は乗物といえば鉄道でした。その後に登場した自動車も鉄道にあわせて左側通行にした方が、何かと都合がよかったというわけです。




でも他のヨーロッパ諸国は右側通行なのに、なぜイギリスだけは左側通行なのかという疑問も出てきますね。



これについては、「ナポレオン説」が有力です。


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フランスのナポレオン1世が、軍隊の通行は車両(馬車など)も含め右側通行にするように命令したのが右側通行の始まりだそうです。



そのため、ナポレオンに征服されたヨーロッパ各国はフランスの法規によって右側通行に統一されたというわけです。



ただし、イギリスだけはナポレオンに征服されなかったため、古来からの左側通行がそのまま残ったというわけです。



では、イギリスの植民地だったアメリカはどうして右側通行が採用されたのでしょうか?



独立戦争を通じて「反イギリスの風潮がアメリカという国ににはあったから」という説もあります。


明治初期の陸軍はフランス式の右側通行を採用したので、これを機に日本も右側通行にしようと考えたようですが、慣習にこだわる人々の反対で右側通行に変えることをあきらめたそうです。




世界では右側通行の国の方が多いのだから、日本も右側通行にした方が便利じゃない?って思いますよね。





左側通行の国と右側通行の国が隣接していると、


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国境で右側通行と左側通行を切り替える問題が出てくるので、統一した方がいいのがよくわかります。


日本のように他の国と直接道路がつながっていない島国では、右側通行に切り替える必要がないんですね。



もし今から日本を右側通行に切り替えるといろいろな問題が出てきます。




車のハンドルの位置、路線バスなどのドアの向き、といったような車の構造にも変更をかけなければなりません…




日本国内でも、アメリカ占領下にあった沖縄ではずっと右側通行だったんです。




返還後、長い時間をかけて本土と同じ左側通行に移行しましたが、その移行する間には事故も非常に多かったそうです。




ちなみにイギリスも島国ですが、


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このように、「ドーバートンネル」という海底トンネルで大陸とつながっています。




ということはイギリスも右側通行の国に変えた方がいい感じがしますよね?



でも右側通行に移行できないのは、やはり「お金」の問題がいちばんだそうです。それにこのドーバートンネルは鉄道のトンネルで道路のトンネルではありません。




みなさんも普段やっている習慣が突然変えなければならなくなったらどうですか?




やっぱり混乱しちゃいますよね…(;´▽`A``




(裕)でした。('-^*)/



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