2012-02-11 09:10:24
入隊124日目
テーマ:ブログ今日から数回に渡って、ピ君のお父さんのインタビューを紹介したいと思います。(心を濡らすしずくピ【Rain】の秘密・サニー出版発行より抜粋)
2003年12月のインタビュー
中学1年の頃、ピは6人組グループのダンスのメンバーとしても活動した。グループでラップおよび振り付けを担当だったが、人気はいまひとつでした。お父さんのチョン・ギチュンさんは、息子が芸能界で何をしてというか、正確に知ることはできませんでした。しかし、息子、ジフンの学校生活は充実していて、特別問題はなかったと言います。
「ジフンは真面目な子供です。小遣いを与えれば、絶対に無駄使いはしなかったのです。そう、通帳が増える一方でした。唯一、靴を買うのにはお金を惜しまなかったようです。靴を集める趣味があったんですよ。あの時集めていた靴は、今もまだ私がすべて履いています」
中、高校時代までは整った環境で子供を育てました。美しい容姿に一目惚れして結婚した奥さんとモチ屋を営み熱心に働いたので、二人の子供を育てることは大変なことではありませんでした。経済的な苦労をするようになったのは、1999年の初め頃からでした。仕事中に手を怪我した奥さんの血が止まらなくなり、病院へ行くと糖尿病という診断を受けたのでした。
「普段、元気だったので、糖尿病という診断を受けても体を労ってあげることができませんでした。それが生命に関わる重病とは思わなかったのです。今は後悔しています。 」
胸が痛むことに、病気の為に疲労が蓄積した体を引きずりながら、奥さんは普段とまったく同じ仕事をしていました。自分に理解があれば奥さんに休みをとらせ、余病を併発することもなかっただろうにと、後悔しない日はありません。奥さんの病気は悪化する一方で、治療費を捻出するために店を手放さなければなりませんでした。店を売って仕事もなかったお父さんは、友達からブラジルへ行って、 2 ~3年苦労をすれば1億ウォン程度は稼げるという話を聞くと、ブラジル行きを決心しました。選択の余地はありませんでした。苦労をいとわなければ大金を手にすることができるという考えに病に苦しむ妻と子供を残し、 1999年7月、飛行機でブラジルへと発ったのです。闘病生活を送る妻に異国の地に出発するということを伝えることができなくて、当時高校3年生だったジフンには手紙を残しました。
「この前、テレビの番組であの時ジフンがどんなに私を恨み、どんなに大変だったかを泣きながら話すのを見たのです。父親として申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、当時としては仕方のない選択でした。 」
高校3年生で大学進学を控えていたジフンは、自らの進路を決めるのにもとても難しい時期だったことは明らかです。そんな彼にとって、モチ屋を処分して得た十分とはいえないお金で苦しむお母さんと幼い妹さんの面倒を見て家計まで面倒を見なければならないというのは、大きすぎる負担でした。
「ジフンは父親が、自分にすべてのことを押し付けて行ったと思ったのです。それで恨みもつのったけれど、結果的には自分をいっそう強くしてくれたと話すのです。」
ブラジルに渡ったお父さんは、友達の話とはまったく異なった生活を送らなければなりませんでした。 2 ~3年で1億ウォンという大金を稼ごうとすれば、 1日24時間以上も仕事に振り回されることになります。ソウルより安い人件費でブラジルにとどまる理由はどこにもありませんでした。お父さんは2カ月ぶりに韓国に戻るやいなや、技術者として就職した。 自営業を営んだ20年もの間、雇われてお給料をもらうということは一度もありませんでした。病状が悪化する妻と子のために、なんでもしなければならなかったのです。
明日へつづく‥
フニ君~極寒の中、毎日ご苦労様です。貴方が入隊前ギリギリ迄頑張って沢山お仕事してくれたおかげで、今もソウルの街は貴方のポスターがあちこち溢れているようですね
韓国ファンのみなさんは本当に幸せですね~
ソウルに行って見たいわ~あはは
健康と安全・絶対無事故を祈ってますyo~

ではどちら様も~今日も元気でアジャ!アジャ!ファイティン!!!
今日の気になる~!
パク・ジニョン、盗作訴訟で敗訴...「直ちに控訴する」: 盗作訴訟で敗訴となった歌手でプロデューサーのパク・ジニョンが控訴す... http://t.co/TZBcUy20
盗作訴訟で敗訴となった歌手でプロデューサーのパク・ジニョンが控訴する意志を明らかにした。
パク・ジニョンは10日午後、ソウル瑞草区瑞草洞(ソチョグ・ソチョドン)のソウル中央地方裁判所で開かれた宣告公判で敗訴となった。この結果を不服として、パク・ジニョンは直ちに控訴する姿勢を見せた。
公判後、パク・ジニョンが代表を務めるJYPエンターテンイメントは報道資料を出して、「原告のキム・シニル氏が独創的だと主張する調和数列は、パク・ジニョンが先にg.o.d.の曲『0%』で使っている。その後、またRain(ピ)の『Move on』でも使った」と説明した。続いて「パク・ジニョンは、本人の作品に使った調和数列とメロディーパターンを使って新しい曲を創作した。盗作では絶対ない」と主張した。
これに先立ち裁判部は「被告パク・ジニョンの歌『Someday』の中で、4節が原告キム・シニルの曲『私の男へ』と非常に似ている。原告に2次著作権侵害が発生し、被告は原告に2167万ウォン(約150万円)を賠償せよ」とする原告の部分勝訴判決を下した。
続いて「2つの曲のリフレーン4節の音調、和音、リズムが似ている。『私の男へ』が、正式に発売されて地上波放送に出たため、パク・ジニョンが抽象的でも近付いた可能性がある」とした。
作曲家のキム・シニルは昨年7月、パク・ジニョンを相手取って1億1000万ウォン(約800万円)の損害賠償請求訴訟を起こした。しかし、裁判部はパク・ジニョンが全曲ではなくリフレーンの一部だけを盗作したとして2167万ウォンだけを認めた。
パク・ジニョンは裁判後、自身のミートゥデイ(韓国版ツイッター)に「とてももどかしい。私は『私の男へ』という曲を一度だって聞いたことがない。一度も聞いたことのない曲を私が盗作したなんて...気を取り直してもう一度ぶつかって見るつもりだ」と伝えた。
なんですと
あらら…師匠~頑張って下さいませね~
ファイティン












