エゴと後悔のはざま
テーマ:ひとりごと私の今年の運気は異常である
尋常じゃないほどライブに遠征に行く一方で、いくつ見送ればいいの
と思うぐらい、身近な人間の死に目に合っている
それも続けて・・・
目下の不幸は、14歳になる愛猫の癌患いである
父の入院と重なり、動物病院と父の病院の往復が続いた
そして父が他界した頃、タイミングを見計らっていたかのように、
愛猫の容態が悪化した
先生からは「安楽死」も視野に入れるように言われている
人間の最後は他人が操作する事は出来ない
どんなに切ない、苦しい最後を迎えようとも、回りにいる人間はそれをただ、ただ見守り、見届けるしかないのだ
幸い父は、安らかに旅立ってくれた
私も最後を看取り、見届ける事が出来て安堵している
それだけでも残された者には、大きな安堵となるのだ
動物には、この命の操作が可能なのである
苦しませたくないと思う一方で、注射一本で死んでしまうような小さな命を絶つ決断は
私にはなかなか出来ない
このエゴと後悔のはざまで、毎日葛藤している
若い頃、私は「後悔」という事を後悔するか、しないかという概念で捉えていた
その頃に比べて世慣れた今では、後悔をするか、しないかという両極の選択ではなく
より後悔の少ない方の選択を心がけている
そもそも後悔をするか、しないか
というような案件は、既にその内容が深刻であり
それだけに、慎重に考えなければならないという、ニュアンスを存分に含んでいるのである
そして私が生きて来た経験上、後悔をしないと決めた決断であっても
若干の後悔が含まれるのである
なので、より後悔が少ない方を選択するべく熟考する
愛猫は既にボロ雑巾のような体だ
片目は視力を失い、もう片方の目もどんよりと濁って来ている
手術をした口は変形して曲がっていて
周りへの炎症を防ぐために断指した指は、結局炎症を防げず指毎腫れている
もう前足を付く事も出来ず、3本足でピョンピョンと飛ぶように歩く
ほとんど食事も出来ず、日に日に痩せていく
毎日出血するので、体中生臭い匂いが絶えない
もう、これ以上は耐えられない
実は今週末あたり、そろそろと思っていた・・・
それは、私のエゴ
愛猫の苦しむ姿をこれ以上見たくないという
私が苦しみたくないという
でも、この子は決して生きる事をあきらめていないようだ
元気な頃と変わらない好奇心をみせ
ろくに食べられもしないのに、ごはんを催促する
呼べば必死に歩み寄り
栄養も摂れていないのに、痛がっていた足をつけて歩こうとする
この子の生命力の強さに、私は泣きながら付き合う事にした
それが後悔が少ない選択だとは思えないけど、
この子が死ぬまで私の側にいる事を選択したのだと思って・・・
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