デジタルの盲点2
テーマ:麻雀コラムそれでは、昨日の続きを書きます。
まず、『データ領域の狭さ』(=期待値の取り方)について考察します。
デジタルの基本戦略である「流れという概念を廃して、期待値や統計による摸打」に関してですが、そもそも、デジタルというのはオカルト・アナログの反対という意味で、明確な戦略というものは存在しません。
そこで、打牌選択の際に牌効率を用いたり、テンパイ取りの際に「待ち牌数×アガり点」という期待値的なものを用いたりして体裁を整えたというのが、デジタルの成り立ちです。
ここで、一般的なデジタル派の人の摸打に関して言及すると、打牌の説明としてデジタルと言っているだけで、実際に期待値を考慮しているかといったらそうではなく、前回に僕が書いた、『後付けの理屈が違うだけで、デジタルもアナログもオカルトも実質的にやってることはどれも同じ』ということになります。
また、デジタル派として有名なプロに関しては、実際の摸打ではそんな摸打はもちろんやっていなくて、デジタルの話題が出たときに強引にデジタル的な解説をしているだけで、理論的な苦しさを感じ得ません。
そして、『データ領域の狭さ』について言及すれば、デジタル的な摸打に用いられる、期待値を求める為の要素が少ないということです。
例えば、打牌選択には牌効率を用いますが、その後(さらにその後)の変化や、物理的な残り枚数や、他者の動向や、(自分または他者の)点数条件や、自分の捨牌の効果etc を考慮されてない場合があります。
期待値を多くの要素を元に求めるのは非常に困難であると思いますが、こういうときこそ理論的思考の出番のはずです。また、その為の基準作りというのも、ある程度は対局前にできるはずです。
しかし、現時点においてはデジタルは、摸打の基準である戦略 にはなり得ていないと思います。
明日は『データの取り方やモデルの有用性』を考察します。




1 ■無題
「デジタルもアナログもオカルトも実質的にやってることはどれも同じ」ということに非常に同意です。
本来の期待値は計算することはできず、デジタルもオカルトも各自の方法で期待値みたいなものを求めているにすぎませんので。
敢えて分類を行うとすれば、牌山のランダム性を仮定するかどうかですねぇ。
そのような分類の必要性は私にはわかりませんけども。
この記事の「例えば、~」の段落は、無用な反発を避けるためにも省いたほうが良さげな気がします。