デジタル=宗教
テーマ:麻雀コラム「流れ=メルヘン 」の続編です。
(注)今回はメルヘンチックな人や、自分で楽しんでやりたいようにやっているというような人は対象にしていません。また、そういう人の存在も別に否定していません。
巷ではデジタルという、考え方?戦略?が流行しているようです。この手のトレンドは存在価値はありませんが、そういう考え方でそういう打ち方をしてくる人間が確実に存在しますので、その対応法というものが必要となります。
要は、「デジタル」「アナログ」「オカルト」などという戦略はナンセンスですが、「対デジタル」「対アナログ」「対オカルト」などという戦略は必要であるということです。
それでは本題に入ります。
一般的に麻雀における「デジタル」の定義というものは、期待値を重視して「流れ」を廃した考え方という感じでしょうか。
ちなみに、類義的に「システマ?」という統計データなども用いた数理的な考え方もあるみたいです。
しかし、デジタルに関しては牌効率に毛が生えた程度ですし、システマは統計データから数理的モデルを示していますが、データの取り方やモデルの有用性には疑問もあります。
僕はここで用いられる期待値や統計という言葉に危うさを感じます。
ちょうど宗教にハマって自分を見失っている人達を見るようにです。
また、麻雀におけるデジタルは一見、期待値や統計を用いていて、いかにも麻雀の真理であるかのように言われますが、扱うデータ領域が狭くて戦略として用をなしていませんし、デジ・アナ論議などは宗教闘争となんら変わる所がありません。
まあ、ちょっとした補足をするならばデジタル=宗教であるのは現時点での意見です。
しかし、麻雀打つ人の性質上、それが改められる事はなさそうです。




1 ■初めまして
初めてコメントします。
理論的なアプローチ、非常に興味深かったです。個人的にはデジタル論者ではないのですが、勝手なことを申し上げるなら、「データ領域の狭さ」なんかについては、さらに詳述していただきたいところです。何と比べて狭すぎるのか、戦術として体を成すにはどのくらいまで扱えばよいのか・・・。お時間があればぜひ。
またお邪魔しますね。