2017-01-04

ロスチャイルドと明治維新と三菱財閥

テーマ:ハザールユダヤ人

イギリスの大英帝国化こそが19世紀の本流……それが書かれていない 1~3
ひょう吉の疑問
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019


■1 http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/f0d3898ed9c418bcd4b204ade0340262

 

19世紀は、ナポレオンで始まり、イギリスの帝国主義の拡大で終わる。
ナポレオンのフランスが混迷を深める一方であるのに対し、
イギリスは七つの海を股にかけ、大植民地帝国である大英帝国を形成する。


イギリスの大英帝国化こそが19世紀の本流である。

しかしこのことがいくら本を読んでも書かれていない。
試しに1800年代を5年ごとの有名な事件で追ってみると、

 

 

1810年代……1812 ナポレオンのロシア遠征
            1815 ワーテルローの戦い(ナポレオン、イギリスに敗れる)


1820年代……1823 モンロー宣言(アメリカ大統領)
            1825 デカブリストの乱(ロシア)


1830年代……1830 七月革命(フランス)
            1838 チャーチスト運動(イギリス)


1840年代……1840 アヘン戦争(イギリスによる中国侵略)
            1848 二月革命(フランス)


1850年代……1853 クリミア戦争(ロシア)
            1857 シパーヒーの反乱(インド)  

      
1860年代……1861 南北戦争(アメリカ)
            1868 明治維新(日本)


1870年代……1870 普仏戦争(プロシア)
            1875 スエズ運河株買収(イギリス)


1880年代……1882 エジプト占領(イギリス)
            1884 清仏戦争(フランス)     

   
1890年代……1890 ビスマルク辞職(ドイツ)
            1898 米西戦争(アメリカ)
        

 

ナポレオンのあと、急激に勢力を拡大してくるのはイギリスだが、
そのイギリスの能動的な動きは記述されない。
これは、フランスのナポレオン3世や、ドイツのビスマルクの動きが
活発に記述されることと比べると非常に地味な記述である。
19世紀の大英帝国イギリスの顔はのっぺらぼーである。
イメージがつかめないようになっている。

 


本当は何が起こっていたのか。

 

イギリスはこれより100年以上も前に、他国に先駆けて中央銀行をつくっている。
イングランド銀行がそれである。
そのイングランド銀行は1815年にはイギリスの発券銀行として、
正式な通貨としての紙幣を発行している。
さらに翌1816年には、世界初の金本位制度を確立している。

 

世界の金融界を支配するイギリスの金融街、
ロンドンのシティはこの頃から本格的に動き出す。
その中心で活動しているのが、イギリス金融資本家ロスチャイルド家である。
ロスチャイルド家はイングランド銀行の大株主として、
世界の金融に絶大な影響を及ぼしていく。
しかしこのことが全く記述されていない。

 


イギリスがエジプトのスエズ運河を買収したとき、
首相ディズレーリに多額の資金を提供したのもこのロスチャイルド家である。
ディズレーリとロスチャイルド家は同じユダヤ人という共通項があった。

ロスチャイルド家は、戦争が起こるたび、
その国が発行する国債を引き受けるという手段を通じて政治的な影響力を強めていった。

 


■2 http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/0c64e421d205818c0ad53048727531f0

 

1840年のアヘン戦争の記述を読んでも、そこに書かれているのは、
中国側の動きだけであり、林則徐などの中国側の役人の動きだけである。
しかも中国側の対応が頑ななものだったかのように書かれている。

 

たとえばこんなふうに、
「林則徐によってアヘンを没収された英国商人は、本国に軍事介入を要請した。」

しかしここでイギリスが中国に売りつけようとしているものがなんなのか。


イギリスは中国に堂々と麻薬を買えと言っている。
そんなことを受け入れる国がいったいどこにあるのか。

そんな無理な要求を決定したのは誰だったのか。
そして誰が中国攻撃を決定したのか。

 

そういうイギリス側の動きこそが大事なのに、
そしてそれが帝国主義に向かう世界史を形成していくのに、
そのことには全く触れていない。


攻撃することが当たり前のように書かれている。

このときのイギリスの外務大臣はパーマストンである。
パーマストンはその後首相になり、1856年の第二次アヘン戦争(アロー戦争)を行い、
中国侵略を推し進めていく人物である。
イギリスはこのとき、北アメリカでの植民地戦争に勝利し、
インドでの植民地戦争にも勝利している。

 


イギリスは早くから植民地獲得に手を染めている。
イギリスの要求はおかしい。
イギリスは中国のお茶が欲しいが、中国はイギリスのものはいらないと言っているから、
というのがイギリスの言い分である。
だから麻薬を買えというのである。

 

イギリスは中国に売るものがないのである。
麻薬以外に。


それでは困るとイギリスは言っている。
そんな理屈があるだろうか。
買ってくれないと貿易赤字になって困るというのだ。
そして中国がいらないというと、軍艦を派遣して攻撃するのである。
すごい話である。
チンピラの押し売りのようなことを国家がやるのであるから。
(イギリスはもともと国の成り立ちから海賊国家である。
1500年代のエリザベス女王の時代にも海賊行為は堂々と行われている。
海賊を捕まえるどころか、その海賊の親分のドレイクにはサーの称号まで与えている。)

 


こんなことを焚きつけたのは、
ジャーディン・マセソン商会のウィリアム・ジャーディンである。


ジャーディン・マセソン商会というのは、
1832年に中国の広州(香港の近く)に設立されたイギリスの商社である。
現在でも、イギリスで一二を争うコングロマリット化した巨大総合商社である。


設立者のウィリアム・ジャーディンは元イギリス東インド会社の社員であるが、
そこを辞めて同僚のマセソンとともに、ジャーディン・マセソン商会を設立した。
それが1832年である。

 

なぜイギリス人が中国の広州で会社をつくるのか。
このジャーディン・マセソン商会が何を中国に売っているかというと、
それこそがアヘンなのである。


この商社はインド産アヘンを仕入れ、
それを中国に密輸することで儲けている会社である。

この会社の設立者ウィリアム・ジャーディンが
イギリスの外務大臣パーマストンに手紙を送って、開戦を要請している。
そしてその通り艦隊を派遣している。

 

この話がおかしいのは、設立間もない中小企業の親父が一国の外務大臣に宛てて、
手紙を出すということ。
しかもその内容が、軍艦を派遣するようにというものであること。
さらにおかしいのは、一国の外務大臣が、
その要求どおり国家の軍隊を派遣すること。
そんなことは普通ありえない。

 

これには裏があって、
このジャーディン・マセソン商会の設立の資金源になったのが、
イギリス有数の金融資本家ロスチャイルド家だということである。

これで、なるほど、である。
そうでなければこんなことは起こりえない。

 

ジャーディン・マセソン商会 → ロスチャイルド家 →  
パーマストン外相 →  イギリス政府

 

こういう繋がりがなければ、歴史の意味は分からない。

いくら中国側の動きを追っても、また林則徐の動きを追っても、
歴史の本流は見えてこない。
もともと中国は何もしていないのだから。


仕掛けたのはイギリスである。
だからこれはイギリス史に位置づけられ、もっと詳細に記述すべきことだ。
しかしこのアヘン戦争は中国史としてしか出てこない。
中国は何もしていなのに。
だから中国史を見てもイギリスの動きは分からない。
アヘン戦争がイギリス史に出てこないのは、それを巧妙に隠すためだな。

こんなバカな歴史の記述があろうか。

 


■3 http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/a41a0b826c24d05e1a37d6c56b5da5d5

 

そして1856年から始まる第二次アヘン戦争(アロー戦争)のさなかの1859年、
この麻薬貿易商社ジャーディン・マセソン商会の代理人として長崎にやってきたのが、
「グラバー邸」で有名なイギリス人トーマス・グラバーである。


このとき21歳。
日本の貿易が始まる日米修好通商条約締結の翌年である。

彼はたんなる貿易商人ではなかった。
その7年後の1866年には、グラバーは土佐の浪人坂本龍馬を使って、
倒幕派の長州藩に武器を密売し、薩長同盟を結ばせている。


この薩長同盟によって明治維新はほぼ達成された。

しかし日本では薩長同盟の立役者として坂本龍馬と海援隊の活躍が喧伝されるのみで、
後ろで糸を引いていたグラバーの動きについては注目されない。
坂本龍馬はたんなる捨て駒である。


彼は翌年の1867年には、今度は逆に船中八策を書いて大政奉還論を献策している。
薩長同盟が倒幕の動きであるのに対し、大政奉還は幕府の延命策である。
この相反する政策を一人の人物が行っていることは大いなる矛盾である。


しかしなぜかこのことは注目されない。

坂本龍馬に注目すべきだとすれば、それはここにある。
なぜ彼はグラバーを裏切ったのか。
そしてその年に坂本龍馬は消される。
犯人は未だ闇の中である。

 

 

坂本龍馬は消されたが、グラバーと関わりを持った多くの志士たちはその後、
明治新政府の高官に上りつめている。
その代表格が4度首相を務めた長州の伊藤博文だろう。


彼は薩長同盟成立の3年前の1863年、グラバーによってイギリスに密航している。
後の外相井上馨らとともに。
井上馨も長州である。
その渡航資金はジャーディン・マセソン商会が出している。

 

そのジャーディン・マセソン商会は、1865年に香港に香港上海銀行を設立している。
この設立にあたっても、ロスチャイルド家の資金がつぎ込まれている。
もともとこの香港上海銀行は、ジャーディン・マセソン商会が
中国との麻薬取引で儲けた莫大な資金を本国イギリスに送金するために
設けられたものである。
今も香港の国内通貨である香港ドルは、
香港上海銀行というイギリスの巨大銀行によって発行されている。


長崎のグラバー邸を少し下ると、
それに隣接して香港上海銀行の長崎支店が大通りに面して建っている。
今は記念館として。
グラバーはこの香港上海銀行の長崎代理店になる。
こうして長崎にはイギリス資本がたっぷりと流れていたのである。

この資金が三菱財閥をつくる資金源になっていく。


三菱財閥の創始者である土佐の岩崎弥太郎は、
同郷の坂本龍馬がつくった海援隊の前身、亀山社中で会計係を務めている。
ここから岩崎とグラバーのつながりができる。
長崎には三菱重工業の巨大な造船所がある。
これももともとはグラバーがつくったものである。


グラバーは三菱に払い下げたのだ。
グラバー邸も長崎市の管理になる前は、ながらく三菱の所有であった。
グラバーに関する資料が少ないのはこのためである。
明治維新後、グラバーは東京に居を移し、三菱財閥の重役として仕事をしていく。
三菱系のキリンビールもグラバーがつくったものである。
このように彼は決して表にたたない。

 

グラバーが東京移ったとき、その居宅を無償で提供したのは後の首相伊藤博文である。
グラバーがつくった三菱は、日本一の政商としてこのあと急速に財閥化していく。

 

 

 

 

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