2009-06-17 05:27:41
JR浜松工場、東側の謎。
テーマ:ブログ
以前、このブログで、東海道新幹線が通る唯一の踏切というのを紹介した。
踏切にはそれぞれ正式名称があり(人間でいう名前)、以前“メイン”と紹介したほうは「西伊場第一踏切」、“サブ”のほうは「西伊場第二踏切」という。これらは工場の西側にある。
しかし、浜松工場には、まだ他にも関連した踏切がある。
浜松工場は、新幹線だけでなく在来線の車輌の検査も受け持っている。従って、在来線の車輌が工場内に入れる引き込み線も持っている。
場所は、工場の南東寄り。
工場の南側は、(南側から)西浜松貨物駅ヤードが広がり、東海道線本線レールを挟んで、そのすぐ北側が電留線で大きく線路が広がっている。が、よく見ると、工場と電留線の間に、伊場遺跡公園、というのがあるのがお分かりいただけるだろうか?実はこの公園への入口と引き込み線が交差しているところに踏切がある。
名前は「伊場公園踏切」。まっとうな名前だ。
工場に隣接するのは、あと二つ。
その二つは、工場の東側。
こちらも、立て続けに二つの踏切が並んでいる。
こちらは、全て在来線の線路。
ところが、これが結構、ボリュームある踏切なのだ。
ふたつのうち、北側にある踏切、線路がなんと10本もあるのだ。
やがてふたつの踏切からでてきた線路は東へ進むにつれてどんどん集約され、ついに一本(単線)になる。
ところで、この東側の踏切だが、名称は、というと・・・・・。
“雄踏第一踏切”(北側)、“雄踏第二踏切”(南側)というのだそうだ。だが、地元の人間には疑問に残る。
「なんで“ゆうとう”なのか?」
実は、雄踏、という地名は、ここからさらに西へ8~10キロ進んだところにある地名なのだ。ここの所在地からすると、「東伊場第一、第二」踏切でも良いような気がするが、いったい、ナゼ??
ひとつ考えられるのは、すぐ近くに浜松の市街と雄踏を結ぶ、“雄踏街道”というのが走っているから、というものだ。だが、この踏切は、その街道をまたいでいる訳ではない。直接は交わらないのだ。
そうなると、ますますナゾだ。
そして、東へ延びたレールは、さらにもうひとつ、踏切を跨ぐ。
この名前がなんと「雄踏第三踏切」。
あらま、三兄弟だったのだ。
では、東に延びた在来線幅のその線路、いったいどこにつながるのかというと・・・・
なんと、行き止まり!!
とある道路の交差点の手前で、プツン、と切れるのだ。
いったい、何のため???
実は、・・・・その交差点の反対側を見てみると、なにやら、かつては線路の続きだったような道が。
そう、以前は、さらに先へと続いていたのである。
ちょうど小学校とマンションの間を擦り抜けるような形の細長い遊歩道、それがかつての引き込み線の跡、「堀留ポッポ道」なのだ。
まだ浜松駅周辺の東海道線が高架になる前、在来線の引き込み線はこちらだったのだ。
高架化に伴い、こちらの線は本線に接続できなくなり、廃止された。
実際、かなり近くに東海道線の高架橋が寄り添っている。
この堀留ポッポ道、1両のSLが屋外展示されている。
「ケ91」という、軽便SL。
もともと大正時代に、東濃鉄道(現存する同名会社とは別会社)で使われていたもの。現在のJR太多線の一部に当たる。
しばらくの間、浜松市内の別の場所で保管されていたものを、ここ堀留ポッポ道へ移設したものだ。
ちなみに、姉妹機として、「ケ90」というのが、名古屋・千種のJRの社員研修センターの中に残っているんですが、こちらが現在遠巻きにしか見られない状態なのに対して、堀留のは運転台にも座れ、直接触ることもできる。
さきほどの、工場東側の踏切のネーミングだが。
もしかしたら、東海道線が地平のときに、本線には「東伊場〇〇」という踏切があったのかも知れない。
毎年、夏には工場の一般公開が行われる。
あなたも、このちょっとしたミステリーゾーン、訪ねてみてはいかが!??
踏切にはそれぞれ正式名称があり(人間でいう名前)、以前“メイン”と紹介したほうは「西伊場第一踏切」、“サブ”のほうは「西伊場第二踏切」という。これらは工場の西側にある。
しかし、浜松工場には、まだ他にも関連した踏切がある。
浜松工場は、新幹線だけでなく在来線の車輌の検査も受け持っている。従って、在来線の車輌が工場内に入れる引き込み線も持っている。
場所は、工場の南東寄り。
工場の南側は、(南側から)西浜松貨物駅ヤードが広がり、東海道線本線レールを挟んで、そのすぐ北側が電留線で大きく線路が広がっている。が、よく見ると、工場と電留線の間に、伊場遺跡公園、というのがあるのがお分かりいただけるだろうか?実はこの公園への入口と引き込み線が交差しているところに踏切がある。
名前は「伊場公園踏切」。まっとうな名前だ。
工場に隣接するのは、あと二つ。
その二つは、工場の東側。
こちらも、立て続けに二つの踏切が並んでいる。
こちらは、全て在来線の線路。
ところが、これが結構、ボリュームある踏切なのだ。
ふたつのうち、北側にある踏切、線路がなんと10本もあるのだ。
やがてふたつの踏切からでてきた線路は東へ進むにつれてどんどん集約され、ついに一本(単線)になる。
ところで、この東側の踏切だが、名称は、というと・・・・・。
“雄踏第一踏切”(北側)、“雄踏第二踏切”(南側)というのだそうだ。だが、地元の人間には疑問に残る。
「なんで“ゆうとう”なのか?」
実は、雄踏、という地名は、ここからさらに西へ8~10キロ進んだところにある地名なのだ。ここの所在地からすると、「東伊場第一、第二」踏切でも良いような気がするが、いったい、ナゼ??
ひとつ考えられるのは、すぐ近くに浜松の市街と雄踏を結ぶ、“雄踏街道”というのが走っているから、というものだ。だが、この踏切は、その街道をまたいでいる訳ではない。直接は交わらないのだ。
そうなると、ますますナゾだ。
そして、東へ延びたレールは、さらにもうひとつ、踏切を跨ぐ。
この名前がなんと「雄踏第三踏切」。
あらま、三兄弟だったのだ。
では、東に延びた在来線幅のその線路、いったいどこにつながるのかというと・・・・
なんと、行き止まり!!
とある道路の交差点の手前で、プツン、と切れるのだ。
いったい、何のため???
実は、・・・・その交差点の反対側を見てみると、なにやら、かつては線路の続きだったような道が。
そう、以前は、さらに先へと続いていたのである。
ちょうど小学校とマンションの間を擦り抜けるような形の細長い遊歩道、それがかつての引き込み線の跡、「堀留ポッポ道」なのだ。
まだ浜松駅周辺の東海道線が高架になる前、在来線の引き込み線はこちらだったのだ。
高架化に伴い、こちらの線は本線に接続できなくなり、廃止された。
実際、かなり近くに東海道線の高架橋が寄り添っている。
この堀留ポッポ道、1両のSLが屋外展示されている。
「ケ91」という、軽便SL。
もともと大正時代に、東濃鉄道(現存する同名会社とは別会社)で使われていたもの。現在のJR太多線の一部に当たる。
しばらくの間、浜松市内の別の場所で保管されていたものを、ここ堀留ポッポ道へ移設したものだ。
ちなみに、姉妹機として、「ケ90」というのが、名古屋・千種のJRの社員研修センターの中に残っているんですが、こちらが現在遠巻きにしか見られない状態なのに対して、堀留のは運転台にも座れ、直接触ることもできる。
さきほどの、工場東側の踏切のネーミングだが。
もしかしたら、東海道線が地平のときに、本線には「東伊場〇〇」という踏切があったのかも知れない。
毎年、夏には工場の一般公開が行われる。
あなたも、このちょっとしたミステリーゾーン、訪ねてみてはいかが!??






